第40話 こんな処遇はありえない
「約束はできないけど、きっと悪いようにはしないから安心して。あの仙って娘も」
そう言って宗太は友江に微笑みかけた。
友江は作り笑顔を浮かべると、鉢様はどうなるか聞いてるかと尋ねた。
「鉢って人は、友ちゃんたちとは違う城に送られる事になってる。一緒の城に送ると心中させられそうだからね。せっかく生き延びた人の命までは奪わないよ。だって同じ遠江の家族だもん」
だから気持ちを強く持って、これからも仙ちゃんと一緒に幸せになる道を考えて欲しい。
そう言い残して友江を残し宗太は部屋を出た。
五郎八郎は二俣の兵と三人の女性を父に託すと、小姓の弥三を引き連れて駿府の今川館へと向かった。
堤城からは一旦北上し東海道に出てから東に向かう。
途中朝日山城の前を通り、宇津ノ谷峠を越え、丸子城の前を通って、さらに東に行くと駿府である。
丸子城を超えると、あちこちに戦乱の爪痕が散らばっているのが確認できる。
まだ通りには兵の遺体がぽつぽつと放置されているし、射られた矢があちこちに散乱している。
それは今川館に近づくにつれ多くなっていく。
だが今川館周辺だけは綺麗に兵の遺体は片付けられていた。
何度も坊主が供養をしているようで線香の匂いが強く漂っている。
射かけられた矢までは中々回収できないようで、あちこちに突き刺さっているが。
館に入ると近侍の一人が別室で待つようにと部屋を案内してくれた。
五郎八郎がここまで来るのに喉が渇いたと言うと、近侍はすぐにお持ちしますと言って部屋を出て行った。
近侍の持って来てくれた茶を啜りながら待っていると、別の近侍がやってきて承芳和尚がお呼びだと告げたのだった。
近侍に促されるままに部屋に行くと、そこには想定していた二人の他に想定外の人物が一人いた。
正面に承芳和尚、左手に雪斎禅師、そこまでは五郎八郎も想定していた。
右手に寿桂尼が侍っていたのだった。
五郎八郎が平伏すると、雪斎禅師は小声で寿桂尼にこの者が先ほど言った二俣の松井五郎八郎ですと小声て紹介した。
「五郎八郎、近う近う! 密談であるから平伏などせずともよい。ささ、もそっと近う」
承芳和尚に促され五郎八郎が部屋の中ほどまで入ると、承芳和尚は寿桂尼に良き人材を得ましたと言って微笑んだ。
「五郎八郎、此度の活躍、真に見事であった。そなたの活躍無くして勝利は無かったと言っても過言ではないだろう」
承芳和尚がべた褒めするので何だか恥ずかしくなった五郎八郎は勿体ないお言葉と言って平伏した。
するとそれを見て雪斎禅師が笑い出した。
「謙遜する事は無い。この館の防衛一つとっても、あの増援が無ければどうなっていたか」
門を破られさらに館の中にまで入られ、万事休すと思っていたところに門の外の福島隊目がけて岡部美濃守の軍勢が襲い掛かった。
「城を包囲されても冷静に敵の兵数を数え、あの孤立した状況で城を守る兵を援軍に向かわせる。まさに摩利支天が降臨したるが如しですな」
照れる五郎八郎をからかう事に愉悦を見出したらしく、雪斎禅師は褒める事を止めない。
話している相手は寿桂尼であり、承芳和尚もいかにもいかにもと笑顔を溢れさせている。
「兄上を失った事は悲しゅう事にございましたが、こうして良き将を得られ勿怪の幸いにございました」
承芳和尚は寿桂尼に報告するように言った。
どうやら承芳和尚も五郎八郎をからかう愉悦に気付いたらしい。
こちらを見ながらニヤニヤしている。
どうにも尻にむずがゆさを感じながら笑顔を引きつらせていると、寿桂尼がごく自然の流れで、この後はどうされるおつもりかと雪斎禅師に尋ねた。
その一言が引き金となり話題は急に真面目な統治の話へと移った。
まずは承芳和尚が室町の御所様から書状が届いていると言って文箱の中から一通の書状を取り出した。
書状を手渡された寿桂尼は一読すると丁寧に折りたたみ、それを五郎八郎に渡した。
五郎八郎も無言で書状を読んでいく。
全て読み終えると丁寧に折りたたみ承芳和尚に返却した。
書面の差出人は『征夷大将軍 源義晴』となっており、内容として還俗する際は『義』の字の名乗りを許可するという事と、従五位下上総介を継承せよと書かれていた。
また、駿河守護に任ずるとも記載されていた。
恵探和尚が名乗っていた自称駿河守ではなく、正式な幕府の役職としての駿河守である。
この書面によって承芳和尚は名実共に今川家の十一代当主となったと言えるだろう。
「上総介様、改めて此度の勝利おめでとうございます」
五郎八郎は丁寧に祝辞を述べて平伏した。
「それがしは近いうちに還俗しようと思う。『義』の字は許されたが、もう一文字何か良さそうな字はあるかな?」
……もしここで『元』以外を薦めたらどうなるのだろう?
五郎八郎の中にふとそんな悪戯心が芽生えてしまった。
「今川の代々の名乗りである『氏』では駄目なのですか?」
寿桂尼と承芳和尚は五郎八郎の提案になるほどと頷き、承芳和尚は『義氏』『義氏』と呟き、悪くないと言い出した。
だが雪斎禅師が反対した。
「さすがにその名乗りは不遜でしょう。足利家の祖でもある上総三郎様と同じ諱を用いるのはいかがなものかと。不忠を咎められたらいかがなさいますか」
承芳和尚はそれもそうだと言い出し、全てを一つにまとめ上げたという意味で『円』ではどうかと言う事になった。
それでは鎌倉殿の短命に終わった弟と同じで縁起が悪いとなって、同じ意味を持つ『元』が良いという事になった。
結局『義元』で収まってしまったのだった。
その後、承芳和尚は文箱の中からもう一枚の紙を取り出した。
今度は寿桂尼ではなく、まず五郎八郎に手渡された。
「五郎八郎。此度の各家の処遇だがな、雪斎禅師と相談し、そのようにしようと思うのだがいかがかな?」
松井五郎八郎の功績を大とし新たに土方城を与える。
書面の最初にその事が書かれていた。
だが読み進めていくうちに思わず手が震えてきた。
井伊家取り潰し、久野家領地没収、堀越家駿河国内に転封。
天野家の領地替え、新野家を見附城へ転封。
一方で駿河衆は咎無し、庵原家に加増と岡部家に久野城を付与となっている。
ありえない!
約束が違う!
遠江衆と駿河衆を同じに扱ってくれるのではなかったのか?
「色々お聞きしとう箇所はございますが、まず『天野家の領地替え』とはどういう意味ですか? 安芸守に何か咎でもございましたか?」
五郎八郎に指摘され、雪斎禅師は旗色を鮮明にしなかった安芸守と、土方城攻撃に参加した小四郎では功績が大きく異なると説明した。
「安芸守も小四郎も、それがしがここに来る前に旗色はそれがに委ねると申しております。小四郎を呼んだのは単に兵数の問題で、安芸守が二俣城、秋葉城の守備をしてもらえるという計算あったればこその事」
そもそも何故久野家が領地没収なのか。
それなら斎藤家だって朝比奈家だって領地没収にならねばおかしいであろう。
「駿河守、福島上総介、同越前守、同常陸介、及び近習五名。首謀者が全員亡くなっており、誰かに責任を取らせる必要がある。なれば兵を送った久野、堀越の両家及び、それを最後まで支援した井伊家、その三家に責を取らせるのは当然ではないか」
雪斎禅師の説明に五郎八郎は目を伏せ首を横に振った。
「お館様は兄を失いました。そして今川家は福島上総介という良将を失いました。これ以上家の力を落とす必要がどこにございますか? この乱の発端がそもそもどこにあるのか、そこに立ち返っていただけたら、この内容がいかに馬鹿げているかよくおわかりになるかと思いますが」
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