第35話 城が取り囲まれた

 承芳和尚と雪斎禅師が朝日山城を発った翌日、朝日山城の五郎八郎宛てに文が届いた。

それも四通。

どれも五郎八郎が出した文への返答である。


 五郎八郎が文を出した相手は曳馬城の飯尾豊前守、宇津山城の朝比奈下野守、堀江城の大沢左衛門佐、井伊谷城の井伊宮内少輔。

内容は四通ともほぼ同じで、まずは自分は承芳和尚に付いたという話を記載した。

次に新野家も承芳和尚側で参戦したという話、さらに旗色はまだ変えていないが堤城の父と匂坂城の六右衛門殿も水面下で交渉が終わっているという話を記載。

そしてここからが重要で、同じ書状を曳馬、宇津山、堀江、井伊谷の四城に送っているという事を記載した。


 恐らくこの四城は互いに連携はとれていないと考えられる。

取れていれば、とっくに戦端が開かれているはずである。

もしかしたら大沢殿と井伊殿が取れているかもという程度。

実はこの四つの城の中に堀江城の大沢家が入っているのがツボなのである。


 受け取った他の三名は大沢家は婚姻の関係で二俣松井家に追従するだろうと考えるだろう。

となれば曳馬城の飯尾家としては北の脅威が無くなり、旗色を鮮明にしやすい。

恐らく宇津山の朝比奈殿も堀越家に心中というわけでもないだろうから、こちらになびくかもしれない。

そこまでの事を予想してくれれば井伊殿も中立になってくれるかもというのが思惑であった。



 最初に見た書状は堀江城の大沢左衛門佐殿。

その時点で五郎八郎はかなりがっかりした。

遠江衆の盟主である堀越家の手前、承芳和尚に旗色を変えるわけにはいかない。

ただし菘の件があるので当家は中立を貫く事にしたというものであった。


 次に曳馬城の飯尾豊前守。

五郎八郎はこの手紙で少しでも成果があった事に安堵した。

文にははっきりと曳馬城は承芳和尚に付くと書かれていたのである。


 次の宇津山城の朝比奈下野守。

文には懸川城の備中守に旗色は委ねる事にしていると記載されていた。


 最後に井伊谷城の井伊宮内少輔。

文を読み終えた五郎八郎はため息が漏れた。

まず最初に、何故かような重大事を当家に相談無く決めたのかと五郎八郎を責めるような事が書かれていた。

どのような些細な事でも相談に乗ると常々申しているはずだと。

その上で井伊谷は既に駿河守様に旗色を決めており、ころころと旗色を変えるは武門の恥だと書かれていた。

だが当家に相談無く行動を起こした福島殿にも腹を立ててはいる。

積極的に参加するつもりは無いが旗色を変える気も無い。

それで勘弁して欲しい。

もしもの時は井伊家をよろしく頼むとも書かれていた。


 井伊谷でどんな議論があったのかは知らないが、文の内容からして宮内少輔自身は薄々駿河守は駄目かもしれないと感じているのだろう。




 その日の午後、五郎八郎が文を書いていると岡部美濃守がどたどたと大きな足音を鳴らしてやってきた。

美濃守は実に晴れやかな表情で、これを見てくれと言って文を五郎八郎に手渡した。

差出人は美濃守の父左京進。

丸一日の攻防により、ついに今川館の奪取に成功したと書かれていた。


 文の内容によると、雪斎禅師の策で左京進が伝令を装い館の門の中に単騎で入り込んだらしい。

今川館はいわゆる寝殿造りという構えになっており、安倍川から引いた水で堀を巡らせてはいるものの門は正面の大手門と裏門しかなく、大手門を抜ければ広い庭の向こうが屋敷である。

承芳軍は陣を敷かず我先にと城門になだれ込んだ。

駿河守軍は奇襲を受けた形になり、まともに迎撃の準備もできず、あっという間に正門を突破されてしまい、そのまま館になだれ込まれてしまった。


 だが問題はそこからであった。

屋敷内のあちこちから精強な福島家の者たちが湧いて出てきて屋敷前の広場で両軍は激しくぶつかる事になった。

特に上総介の四人の息子の武勇が凄まじく、完全に勢いを削がれてしまった。

だが、庵原城の兵が合流すると、新野隊の活躍もあり徐々に戦況は優位になっていき、ついに奴らは裏門から脱出した。


 どうやら奴らは防ぎ切れると高をくくっていたらしい。

駿河守も福島上総介たちも裏門から逃げるので精一杯だったらしく、先ほどまで呑んでいたかわらけが散乱していた。



「すぐに門を閉じ、籠城の準備をしましょう」


 文を読み終えた五郎八郎は美濃守に進言した。

どういう事かと美濃守は尋ねたが、五郎八郎は先に命を下してくれとかなり強い語気で頼んだ。

美濃守はその五郎八郎の表情で、どうやら朝日山城に何らかの危機が迫っていると感じたようで、すぐに部屋を飛び出し、家人を呼び集め、城門を閉めさせ閂をかうように命じた。

城兵を増やして兵糧の準備をと言ったところで、五郎八郎から兵はなるべく少なく見せておいた方が良い、ただし旗はなるべく多くと指摘され、その通り準備させた。



「五郎八郎殿、言われた通り籠城の準備はさせたが、一体どの城が攻めてくるというのです? 少なくとも丸子城は機能不全という事だし、後方の花倉城、方の上城は敗戦のすぐ後でそう簡単には動かないと思うのですが?」


 広間には言われるがままに腹巻を身に付けた家人たちが臨戦態勢を取っており、美濃守も腹巻に陣羽織を羽織っている。


「先ほど来た手紙には駿河守と上総介は館を脱出したと書かれていました。さらに城門を最初に突破したのは左京進殿だと。とすれば彼らはこの城の近くを通って花倉城か方の上城に退いたはずなのです」


 だとすればその途中で、承芳軍の現時点での最重要拠点のくせに門が開け放たれて極めて無防備なこの朝日山城を見ているはず。

彼らはきっと今、朝日山城を落とせば後は防衛に向かない今川館だけだと思い侵攻の準備を整えているはず。


 もしここでこの城が落ちれば、せっかく少し引き寄せた流れが一気に向こうに行きかねない。

そうなれば駿河の国人たちも旗色を変える者が多発し、今川館にいる者たちは孤立してしまう事になる。


 岡部家の家人たちは五郎八郎の説明に納得はしたものの正直半信半疑という顔をしている。

そんな家人たちの雰囲気を察し、美濃守は古くから備えあれば憂いなしと言うからと言って強引に納得させた。




 そこから五日間は何の動きも無かった。

どうやら急襲を受るという事態は避けられたらしい。


 その間、五郎八郎は二俣城と秋葉城に書状を出し兵を堤城に入れるように依頼を出した。

さらに朝比奈備中守、小笠原信濃守、天方山城守、久野三郎に文を出し承芳和尚へ味方するようにお願いした。

文には、既に今川館は承芳和尚の手中にあり遠江衆からも旗色を変えるという返答がいくつも来ていると記載した。

実際には遠江衆はまだほとんどが中立なのだが、ここは一家でもそういう家があれば後は方便というものであろう。




 六日目の朝の事であった。

あさげを終えた美濃守と五郎八郎の元に家人の一人が慌てて駆け込んできた。


「申し上げます! 城外に多数の敵! 城が取り囲まれています!」


 美濃守は飯を噴き出すと、大慌てで相手はどこの者かと尋ねた。


「地黄に桔梗紋の旗、赤地に五瓜に三つ巴の旗、二引両の染められた撫子色の旗が多く見えます!」


 恐らくは福島軍と久野軍、及び堀越軍。

家人の話だと街道を続々と東上してきて、城前の軍勢はどんどん増えているらしい。


「五郎八郎殿、どう思われる? 彼らはどう来るだろうか? そうだ、早く今川館にこの事を知らさねば!」


 どうやら美濃守は初めて大将として城を守るらしい。

完全に浮足立ってしまっている。


「美濃殿、少し落ち着かれよ。今伝令を出しても彼らに捕まるのが関の山ですよ。彼らの主目的は早急に決着を付ける事でしょう? であれば守りが固いと見ればすぐに今川館の攻略に移りますよ。伝令はそれからでも良いでしょう」


 彼らを少しでも足止めして時間稼ぎができれば、今川館の方はそれだけ準備ができて有利になるから、挑発して籠城戦に持ち込むのも悪手では無いがどうしたいか?

五郎八郎がおどけた顔で尋ねると、美濃守は少し落ち着きを取り戻し床に座り込んだ。


「無駄に功を焦って兵を失えば、後で父上に何を言われるかわかったものではない。ここは大人しく籠城して兵を温存しよう」


 美濃守は籠城という決断を下した事でかなり気持ちが落ちついたらしい。

気持ちが落ち着くと、今度は功名心が出てきたのだろう。

思う存分武働きがしてみたい、そんな気持ちも湧いて来たと見える。


 少し残念そうな顔をする美濃守を五郎八郎は鼻で笑った。


「それが賢明でしょうね。この城が健在である以上、彼らは本城との連絡が遮断され続けるのです。逸る気持ちはその後の決戦にぶつけたら良いだけのお話ですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る