第34話 及第点というところかな

 因幡守たちが来た日の夕方、朝日山城に一軍が到着した。

御旗は浅黄地に家紋の『丸に二引両』。

『丸に二引両』は公方様である足利家の家紋である。

そしてその一門である今川家の家紋でもある。


 軍を率いてきた人物は城の外に兵を待たせると挨拶の為に登城。

因幡守たち同様、先に雪斎禅師たちの元に通された。

雪斎禅師も承芳和尚もその人物――新野にいの左京之介の到着を大変喜んだ。



 新野家は今川家の庶流である。

吉良五郎の子で今川家の家祖である今川四郎。

その今川四郎の三男、入野三郎の子の弾正が新野庄を領した。

そこから新野家は始まっており、代々御前崎の舟ケ谷城に居を構えている。


 御前崎一帯は海が荒れている事が多く、風も異常に強い事が多い。

その為、漁に出られる日が限られている。

おまけに塩害も酷く平地がちな地形にも関わらず稲も上手く育たない。

その中にあって新野の地はちょっとした山の上であり、二俣同様材木の売上で成り立っているような家である。


 すぐ西が松井兵庫助の堤城、その先の山が福島上総介の土方城である。



 五郎八郎はこの新野左京之介を切り崩しの最初の家に選んだ。

理由はいくつもあるのだが、まずは遠江今川家である堀越家がこれまで宴席などでこの人物を呼んだのを見た事が無いという点である。

恐らく新野家は堀越家ではなく駿河の宗家になびいている。

であれば此度駿河守側に堀越家が付いたと知れば、自然と反対の承芳和尚側を選ぶのではないかと考えたのである。


 だが旗色を変えても兵を出して貰えなければ意味が無い。

新野家は恐らく目の前の堤城の松井家が駿河守陣営と思っているはずで、それで旗色を鮮明にしていないのだと推測される。

そこで五郎八郎の手紙を父兵庫助に出して貰い、堤城は駿河守陣営では無いと思わせた。

もし仮に土方城から兵を送られても堤城が何とかしてくれるという安心感を抱かせたのだった。


 それでもやはりというか土方城の目が気になるらしく、山の東側からこっそりと抜け出すように進軍してきたのだそうだ。



「五郎八郎殿、此度はお誘いいただき真にいたみいる。正直これまでそこまで面識も無く、言葉を交わした事もほとんどなかったそれがしを、よく忘れずにいてくれたものだ」


 左京之介は五郎八郎に膝を近づけ両手を取って喜んだ。

五郎八郎も当然ではありませんかと微笑んでいる。


「左京殿には今川家の一門として、また遠江の尖兵として、ぜひ承芳和尚に従ってお館様の仇を討っていただきたい」


 五郎八郎は自分でも随分と口の上手い事を言っているという自覚はある。

だが目の前の左京之介はすっかりほだされ、胸を叩いて新野家の活躍をとくとご覧あれと良い笑顔を向けてきた。


 ……戦略上の駒としてだなんて口が裂けても言えない。



 その日の夜、因幡守、惣佐衛門尉、匂坂六郎五郎、新野左京之介と共に大広間に呼ばれ、岡部家の家人たちの酌を受けながら出陣前の大宴会となった。

雪斎禅師だけでなく承芳和尚まで参席し宴席は弥が上にも盛り上がった。



 その宴席の中こっそりと三人の人物が中座した。

承芳和尚、雪斎禅師、五郎八郎の三人である。


「五郎八郎殿、まずは手並みお見事。これで今川館に攻め込む体勢が整ったというものだ」


 雪斎禅師は中々に満足という顔をしている。

だが承芳和尚の顔はそこまで手放しでは喜んではいない。

お見事などと雪斎禅師は言ったが、二人の中では『まあ及第点』という評価であるのだろう。

五郎八郎ですらそう考えているのだから、向こうからしたら思ったより期待薄という感じかもしれない。


 雪斎禅師の報告では明日酒が抜けた頃合いを見て今川館に出陣する方向らしい。

これまで色々と探りを入れた結果、丸子城、持船城が恵探和尚に付いており、今川館に福島家の土方城の一隊が詰めている。

どうやら久野城からの兵が朝日山城の北西にある花倉城に、見附城からの兵が南の方の上城に詰めているらしい。

つまりは東駿河で承芳陣営はこの朝日山城のみという事になる。


 一応朝日山城には岡部美濃守と守備兵を残しておくが、万一攻められる事があったら迎撃の指揮をお願いしたい。

雪斎禅師は五郎八郎の顔をじっと見て返答を待った。


「ではまずは丸子城を落としてから今川館に向かう事になるのですか?」


 五郎八郎の問いかけに雪斎禅師は口元を歪めた。

その表情はどこか勝ち誇ったような表情であり、若干苛立ちを覚える。


「丸子は撃って出れぬよ。今、城内が真っ二つに割れている。こちらに付いたら乱が収まった際に厚遇を持って遇すると当主の加賀守に送ったら家中で揉め出しおった」


 お前とは腕が違うとでも言うような言いっぷりで高笑いしている。

そんな雪斎禅師を横目に、承芳和尚は五郎八郎に次はどのような手を打つつもりかと尋ねた。


「二俣から兵を呼び寄せようと思っています。それと天野軍にも来てもらおうかと。後、今川館が落ちるまでに堀江城と井伊谷城に賞状を出し、曳馬城の旗色を変えようとも思っています」


 上手く行けば遠江の三分の一はこちらに落ちるか最低でも中立になると、五郎八郎の予定から承芳和尚は計算を出した。


「して、その二俣の兵は何のために呼びよせるのだ?」


 雪斎禅師の疑問に、五郎八郎は一際真剣な顔で答えた。


「遠江衆を集め、土方城を落とそうと考えています」


 五郎八郎の回答に雪斎禅師は満足気であった。

承芳和尚もある程度戦局が見えたらしい。


「五郎八郎、遠江の事はそなたに任せるゆえ、思う存分腕を振るってくれ」


 承芳和尚は、そう言うと五郎八郎の肩にポンと手を置いた。




 三人で宴会をしている大広間に戻った。

すると全員すっかり出来上がっていた。


 岡部美濃守は何やら腹に墨で絵を描き踊っているし、六郎五郎も尻丸出しで腰を振って踊っている。

その尻を惣佐衛門尉がぺんぺん叩いて大笑いしており、因幡守は岡部左京進と上半身裸で力比べをしている。

それを新野左京之介が煽っている。


 ……何だこの地獄絵図は。

何がどうなったらこんな事になるのやら。


 承芳和尚は、皆元気が有り余っていて頼もしい限りと笑っているが、雪斎禅師は明らかに顔が引きつっている。


 どうやら力比べは左京進が勝ったらしい。

因幡守は千鳥足で近寄って来て、兄上相撲を取りましょうなどと言ってきた。

五郎八郎は脱力しその場にへたりこんでしまった。


 するとそこに腹に顔の描かれた美濃守と、尻丸出しの六郎五郎がやってくる。

ぎゃははと笑いながら、かわらけとお銚子片手に惣佐衛門尉がやってくる。

五郎八郎様も一献などと言って来た。


 五郎八郎は雪斎禅師に必死の視線で助けを求めたが、雪斎禅師はほっほと笑うだけで承芳和尚と二人、五郎八郎から徐々に距離を取ったのだった。



 当然そんな状況で翌早朝に出陣できるはずもなく、結局出陣はさらにその次の日となってしまった。

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