第32話 全て掌の上だった

 いつの間にやら朝日山城の客間では臨時に戦評定が開かれていた。


 ここまでの経緯を雪斎禅師は五郎八郎に語ってくれた。



 ――斎藤たちが不穏な事を言い合っているという話を、雪斎は近習衆の一人由比ゆい美作守みまさかのかみから知らされた。


 恵探和尚に付き従う中に朝比奈又二郎というものがいる。

丹波守の次男なのだが、父を反面教師として育ち遠江衆に対し同情的であった。

それゆえに恵探和尚に付き従ったのだろう。


 凶行に及んだ者たち同様に美作守の由比家も庵原郡に領地を持つ駿河の国人である。

美作守はかなり物静かな人物であり、お調子者の朝比奈又二郎とは昔から馬が合わなかった。


 美作守も斎藤四郎衛門の言う懸念は理解できた。

だからと言ってそんな下剋上まがいの事が許されていいわけがないと感じたのだそうだ。

そこで表面上では付き従う振りをして、又二郎たちが寿桂尼のところに行っている隙にこっそり抜け出し雪斎禅師に報告に来たらしい。


 雪斎禅師と由比美作守はすぐに承芳和尚の元に行き、事情を話してこっそりと館を抜け出し庵原城に向かおうとした。

ところが恵探たちの兵が東に向かったのが見えた。


 東への逃走は危険と判断し、南の持船城の一宮出羽守の元に落ち延びた。


 だがどうにも出羽守の様子がおかしい。

もしかしたら既に恵探和尚たちに同調しているかもしれない。

そこで持船城もこっそりと抜け出した。


 この辺りで利より義を重んじてくれそうな家といえば朝日山城の岡部家くらい。

本来であれば東海道を行き宇津ノ谷峠を抜けるのだろうが、その為には斎藤家の丸子城を通る必要がある。

恵探和尚たちに子の四郎衛門が付いている事から、丸子城の付近を通る東海道を使うのは極めて危険と判断し海岸沿いを通って落ち延びた。


 ところが途中の方の上かたのかみ城にもどこかの兵が入り込んでいるのが見えた。

急いで朝日山城に逃げ込んだのだった――



 朝日山城に入ってからは毎日のように駿河と遠江の国人に手紙を出した。

だが返答が来たのは瀬名、由比、三浦、興津のわずか四家。

他はどこからも返答が貰えていないのが実情である。

特に遠江衆からは一通も返答が貰えておらず、このままでは早晩この朝日山で孤立する事になってしまうと頭を悩ませていたのだった。



「五郎八郎殿。そなたには遠江衆の切り崩しをお願いしたいのだ。駿府は拙僧と左京進が受け持つ。そなたは一人でも多くの国人に働きかけて、最低でも中立に持って行って欲しい」


 雪斎の依頼に五郎八郎はあまり良い顔をしなかった。

わかったとも嫌だとも言わない。

その態度に承芳和尚が不安を覚えてやってもらえるかと改めて尋ねた。


「なるほど、遠江衆が駿河守の甘言に釣られるわけですね。それがしがここで承芳和尚の義を説いても、彼らはこちらには従いますまい。どうせ遠江衆に対する約定など反古にされるに決まっているとね」


 雪斎禅師は慌てて、先ほどそれについては承芳様が保証をすると約したはずと抗議した。

だが五郎八郎は頭を振った。


「駿府で行動をする隊が駿河衆だけでは、腹の内が透けて見えると申しているのです。そこに遠江衆がそれなりに組していないと、それがしがいくら書状で遠江衆を対等に扱ってもらうと書いても誰も信じないでしょう」


 雪斎禅師は五郎八郎の進言にすぐに納得した。

承芳和尚も少し考え、そう言う事かと納得したようだった。

左京進は、どうにもついて来れていないようで考える事を放棄してしまった顔をしている。


「しかし困ったな。言いたい事はわかったのだが、生憎と拙僧たちには今の所遠江衆はそなたしか味方がおらん。そなたには遠江衆の切り崩しをしてもらいたいし、一体誰を……」


 雪斎禅師は困り顔をしているのだが当然そんなものは演技であろう。


 ここからそれなりに距離が近く五郎八郎が調略しやすい城がある。

父兵庫助の堤城である。

つまり堤の親父をこっちに寄こせと言っているのだ。


 それならそう言えば良いのに……


「わかりました。すぐ隣の福島殿の土方城の目を憚って大っぴらには兵を出せぬかも知れませんが、何とか人だけでも出してもらえるように父を説得してみます。それと父の方からもいくつか文も出してもらおうと思います」


 五郎八郎の提案に雪斎禅師は及第点を付けたらしい。

それなりに満足そうな顔で頷いている。

だが承芳和尚はもう少し味方が欲しいと思っているようである。


「懸川は難しいか?」


 雪斎禅師も五郎八郎も、当然懸川城の朝比奈備中守がこちらに付いてくれるのが最良だとはわかっている。

だが恐らくかの御仁が判断材料としているのは寿桂尼で、彼女が駿河守に付いている以上は現時点での説得は極めて困難と考えられる。

何故なら備中守の正室は寿桂尼の姪だから。

しかも駿河守に朝比奈の一門の者が従っている以上、宗家当主としては容易に答えは出せないであろう。


「時世が傾けば必ずやこちらに付くでしょう。逆に言えば、かの御仁がこちらに付いた時、遠江衆は雪崩を打ってこちらに鞍替えするという事です。その時はもはや勝利は疑い無いかと」


 その勝利の流れを呼ぶ為、駿府の館を奪取し寿桂尼をこちらに引き込む必要がある。

五郎八郎の見解に雪斎禅師も全面的に賛同であった。


「先ほどの話ですと、遠江衆は誰も返答が無いという事でしたが、曳馬の飯尾殿からも無かったのですか?」


 五郎八郎の感覚では、曳馬城の飯尾豊前守は遠江衆からは一線を引いた付き合いをしているように感じている。

遠江衆の中心は見附館の堀越治部少輔で、そこと志を同じくしているのが今回首謀者に祭り上げられている福島上総介だと考えている。

そこからすれば、少なくとも飯尾豊前守は誘いを出せば乗るはずなのに。


「それが返信も来ぬのだ。我々も頼りとしていた者の一人だっただけに落胆してしまってな」


 曳馬城が動けないのは何か理由があるはず。

可能性とすれば、旗色を鮮明にしてしまうと危険が及ぶと考えるからだろう。

普通に考えればすぐ近くに宇津山城があり、そことの連携ができると考えるはずである。

にも拘わらず旗色を鮮明にしない理由。

恐らく近くに駿河守陣営を明確にしている大きな家があるからだろう。


「もしかしたらですが、少し思い当たるところがあるので、そちらに文を出してみます。ですがあまりそちらは期待しないでいただきたいです。説得は極めて困難だと思いますので」


 早速父の説得に向かいたいと思いますのでと退出しようとした時であった。

雪斎禅師から、文は左京進の家人が届ける故暫く別室を使いなされと案内されてしまった。

若干顔を引きつらせ左京進の顔を見ると人の良さそうな顔で微笑んでいる。


「拙僧の添え状が欲しい時は遠慮なく言ってくれ。何枚でも発行する故」


 承芳和尚も嬉しそうな顔で五郎八郎に微笑みかけた。




 左京進の家人の案内で五郎八郎には朝日山城の一室が宛がわれた。

そこに少し遅れて小姓の与三が入室してきた。


「殿、いかがなされました? どこか体調でもお悪いのですか?」


 部屋に入ると部屋の真ん中で五郎八郎が座り込んで頭を抱えていたのだった。


 与三は突然岡部家の家人の案内で待機していた部屋から別室に案内される事になり、もしや殿の身に何かあったのではと心配していた。

もし急な病に倒れでもしていたら、小姓の自分一人でどう対処したものかと狼狽えていたのだった。


 与三が部屋の戸を閉めると、五郎八郎は両拳を握りしめ突然床板に叩きつけた。


「あのクソ坊主どもめ!! まんまと乗せられた!!」


 五郎八郎が突然大声をあげたので、与三は驚いて尻もちをつき、じりじりと五郎八郎から後ずさった。


「あいつら最初から誰か遠江衆が訪ねてくるのを待ってやがったんだ! 訪ねて来た奴を篭絡して切り崩し工作させるつもりだったんだ! その為に東に向かわず、わざわざ遠江との国境に近いこの城で待機していやがったんだ!」


 東に行く兵が見えたから何だっていうんだ。

雪斎禅師の実家の庵原城は確実に承芳陣営なのだから、そこを目指せば良かったじゃないか。

駿河衆の多くが駿河守の統治を嫌がる、そんな事最初からわかっていたはず。

だから東の庵原城に逃げて、駿河衆を纏めあげてさっさと今川館に攻め込めば良かったのだ。

それをしなかったのは、今川館から逃れた駿河守たちが遠江衆を纏めあげて徹底抗戦する事態を避けたかったからだ。


 五郎八郎は最初から承芳側に付くつもりであった。

自分では上手く隠していたつもりだったのだが、恐らくあの二人の僧にはバレバレだったのだろう。


「なんという食えない坊主どもだ。こうなったら何として遠江衆を説得して、一人でも多くこちらに付けなければ」

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