第4話 あの山に田を

 二人は城方面に少し戻って天龍院という名の寺へと向かった。


 山門で馬を降り山道を歩いていると、すぐに寺の小坊主が出てきた。

小坊主は山城守を見るとかなり驚いた顔をし、住職を呼んできますと言って駆けて行った。


 しばらくすると、寺から一人の若い僧が姿を現した。


 山城守は気さくに、息災であったかとその僧に声をかけた。


 僧は兄上もお元気そうで何よりですと言って近寄って来た。

兄と二言三言交わした後、明星丸を見て、そなたも息災であったかと尋ねた。


 明星丸が答えづらそうにしていると、ちと記憶を飛ばしてしまったようでと山城守が事情を説明した。

僧は憐れんだ目で明星丸を見て、それは難儀な事だとしみじみ言った。



 僧は源信げんしん和尚と言うそうで山城守の二つ違いの弟なのだとか。

山城守、明星丸とは腹違いで、母が下女ということで、ある程度成長すると寺に入れられたらしい。


 だが山城守と源信は幼い頃から仲が良かったのだそうで、昨年、山城守がここに天龍院という寺を開いてあげたのだそうだ。




 寺の一室に二人を通すと源信はお茶をふるまった。


 ずずずと茶を飲み明星丸は思わずむせた。

茶碗にお茶葉がそのまま残ってしまっていて非常に飲み心地が悪い。

このお寺茶こしって無いのかな?


 三人で茶をすすると、源信は、突然お越しになられて、どうされたのかと山城守に尋ねた。

山城守は茶碗を置くと、ちと尋ねたきことがあると切り出した。


「そなた山の斜面に田畑を作る技術を知らぬか? 明星丸が何か文献で見た気がするというのだ。明星丸が見たというならここの文献ではと思うのだが」


 源信は少し考え込み何度も茶をすすり覚えがないと答えた。


「覚えがないのではなくおぬしが忘れておるだけでは無いのか?」


 山城守はかなり疑いの目で源信をじっとりとした目で見ている。


「ここの文献は全て何度も目を通しております。そのような目で見られても、そのようなことはございませんよ」


 源信はきっぱりと言い切った。


 山城守は明星丸の方を見て、先ほど言っていたのはどのようなものかと詳しい説明を求めた。

源信も明星丸をじっと見つめている。


 『棚田』という名前を聞いても尚、源信は首を横に振っている。

逆にどういうものかと聞いて来た。


 明星丸は身振り手振りで懸命に説明したのだが、残念ながら二人とも全く響いていないという感じであった。

困り果て周囲をきょろきょろと見渡すと箪笥を見つけ、これを見てくださいと言って引き出しを段々に開けていった。


 山城守は箪笥を見て、これはと言ったまま言葉を失った。

確かにこれなら山の斜面を田畑にできると源信は頷いた。


「ほらみろ、やはりそなたが文献を見落としていただけでは無いか」


 源信はそう言って山城守に散々にからかわれた。


「はて、どこの文献にそのような記載があったのか。もしかしたら堤の方の菩提寺かもしれませんぞ?」


 源信が首をひねりながら山城守に言ったのだが、もはや山城守はそんなことには興味が無いという感じで箪笥を見続けている。


 ふと山城守は箪笥の中に何かを見つけたらしく顔をにんまりとさせた。

引き出しから煎餅を取り出すと、お駄賃だと言って明星丸に煎餅を渡した。

源信はそれは私のおやつとあたふたしたが、山城守はゲラゲラと笑っている。


 明日にでも近隣の村の者を集めて、なるべく早く作業にかかってくれと山城守は源信に頼んだ。


 どうにも世の乱れが激しくなってきている気がする。


 漏れ聞こえた話によると、都では二人の公方様が堺と坂本で睨みあいを続けていると聞く。

公方様がそんな状況では、もはや己が身は己で守る以外無い。

いつ何時戦に巻き込まれるかわからぬから。


 源信は兄の話にこくりと頷いた。


 「三年後の収穫を心待ちにしてくだされ」


 そう言って外に見える山に視線を移しほほ笑んだ。


 三年後。

あの山裾が黄金に染まる。

待ち遠しいと言って山城守は顔をほころばせた。




 城に戻った山城守は明星丸を伴い真っ直ぐ奥方の部屋へと向かった。


 奥方は名をゆうという。

父は同じ遠江国周知しゅうち郡の久野くの城主、久野佐渡守。

佐渡守はすでに隠居しており、現在の当主は夕の同腹の兄である三郎殿なのだとか。

佐渡守殿の諱は宗隆、三郎殿の諱は忠宗というらしい。


 山城守の話によると佐渡守の奥方は美しいと評判だったのだそうだ。

佐渡守には娘が何人かいるのだが、皆美女揃いとの噂であった。

夕は末の娘で、嫁いできた時はあまりの美しさに、家人たちは皆見惚れて声も出なかったそうだ。


「あら、それでは今は面影も無いような言い草ではありませんか」


 山城守は嫡男が生まれてからというものこの通り口やかましくていけないと笑い出した。

酷い言いようと言って夕もクスクスと笑った。




 翌日からぽつぽつと城内の人物に出くわした。


 松井家には家人けにんが何人かいるのだが、皆、普段はその辺の農民と共に畑仕事に精を出しているらしい。


 普段から城に詰めている家人は中々に少ない。

初日に顔を見に来た女性――名を多喜たきというそうだが――あの女性の夫、横見藤四郎という者が一切を仕切っている。

いわゆる家老というやつらしい。


 視察の際馬を曳いてくれた者が、薮田やぶた権八ごんぱちという者で足軽大将を務めている。

他に魚松うおまつ弥次郎やじろうという者もおり、この者も足軽大将なのだそうだ。


 自分の近侍きんじは和田八郎二郎はちろうじろうという者を予定しているらしい。

八郎二郎の父は現在は堤城にいるらしく、元服式に間に合うように二俣に来ることになっているのだそうだ。


 山城守の話によると、近侍というものは本来であれば小姓こしょうとして幼少期から付き従うものらしい。

明星丸にも小姓がいた。

だが昨年の流行り病で、許嫁の紅葉同様、幼くして他界してしまったのだとか。


 父の兵庫助も呑気なもので、まあ嫡男では無いのだから元服の時に恰好が付けばそれで良いだろうと、後任の人選が後回しにされていたそうなのだ。


 恐らくすっかり忘れていたのだと思うと山城守は悪態をついた。



「あの、兄上。このような少ない家臣でこの城は大丈夫なのでしょうか?」


 ある日のゆうげにそう聞いてみた。


 山城守は明星丸の顔をしげしげと見つめ、誰が攻めてくると思うのだと逆に聞いてきた。

立地を考えれば甲斐かい(山梨県)の武田信玄だろうか。


「その『しんげん』とかいうのは何者なのだ? お前の言う武田は甲斐源氏のあの武田なのだろう? あそこの当主は陸奥守むつのかみという者で『しんげん』などという者では無いぞ?」


 ……そうだった。

以前雑誌で読んだことがある。

現代の自分たちは『織田信長』のように『姓名』で言う。

だが『信長』というのは『いみな』といって普段は呼ばないらしい。


 その陸奥守という人物の諱は何というのかと試みに山城守に尋ねてみた。


「諱か……それなら確か信直とかいったと思うが」


 ……誰それ。


 山城守の話によると、これまでずっと甲斐では内乱が起こっていたのだとか。


 それをその陸奥守という者が、次々に戦によって制圧していき、つい最近甲斐の平定にほぼ成功したらしい。


 そんな戦でぼろぼろの武田家が、信濃を制圧してここに攻めてくるなどおよそ考えづらい。


 山城守は鼻で笑った。


「一体お前には何が見えておるのだ。それとも何か市井で良からぬ噂でも聞いたのか?」


 思わず乾いた笑いが出た。

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