第30話 承芳和尚を探せ
承芳和尚に会いに行ってみようは良いのだが、問題は今どこにいるのかわからないという事であった。
堤城の父上も手紙に行方知れずと書いていた事から、恐らくは近しい者しか今は行方を知らないという事なのだと思う。
近しい人物と言っても残念ながら駿河衆で五郎八郎が面識があるのは葛山中務少輔くらいである。
だが葛山城は富士山の向こう側、二俣からでは遠すぎる。
そんな五郎八郎の脳裏に一人の人物が思い浮かんだ。
岡部左京進。
初めての評定の時、五郎八郎を蹴り飛ばした朝比奈丹波守を叱り飛ばした人物である。
毎年のように年賀の際に挨拶に伺っていて、向こうも自分を知ってくれている……はずである。
あの人物なら何かしら知っているかもしれない。
確か居城は
東から来ると安部川を越え
五郎八郎は小姓の弥三を伴って馬を飛ばし朝日山城へと向かった。
左京進に面会を求めたのだが、嫡男の美濃守の元に通される事になった。
この時点で五郎八郎は何かもの凄い違和感を感じていた。
「父への用向きはわかっております。今川館の惨劇の件でしょう? 父は今接客中でして、暫しそれがしが暇つぶしでもと思いまして」
美濃守は五郎八郎と同じくらいの年齢の人物である。
美濃守の応対態度は同年代の城主と顔馴染みになっておきたいという風に捉える事もできなくはない。
だが明らかにそわそわした感じであり、何かを誤魔化そうとしているようにも感じる。
「美濃殿は、此度の一連の暴挙について、どうお感じになられました?」
五郎八郎が同年代の雑談のように話を返してくれた事で多少はほっとしたらしい。
それがばっちり顔に出てしまっている。
岡部家は武働きに定評のある家である。
この感じだと腹芸は苦手としているのであろう。
「許されざる暴挙ですね。どのような理由があろうと主殺しは論外ですよ。父もかなりご立腹で」
なるほど、左京進は完全に承芳和尚に付いたのか。
美濃守の発言で五郎八郎は確信した。
という事は、今左京進が会っている人物は恐らくは承芳和尚側の重鎮の誰かという事になるだろう。
「それがしもそうは思うのですが、承芳和尚に後を継がれたら、それはそれで我ら遠江衆は肩身の狭い事になりそうなんですよね。そこが悩み所でしてね」
五郎八郎から少し込み入った事情を聞く事ができ、美濃守はなるほどなあと何度も頷いた。
より情報を引き出す為の餌なのだが、この感じ、美濃守は気づいてはいないであろう。
「此度の発端を考えれば、反動で承芳和尚が強硬な態度を取るかもという危惧はわかります。ですが、ご存知無いかもしれませんが、承芳和尚は寿桂尼様と共に亡きお館様を諫めてらしたそうですよ?」
美濃守が左京進からどこまで聞いているかはわからないが、少なくともこの感じからして承芳和尚は遠江衆の排除を公言しているわけではないように感じる。
では、なぜあのような手紙の内容だったのだろう?
「だとしたら、今となっては詮無い事ですが、もう少し強く諫めていただけていたら、かような事には……」
五郎八郎の指摘に美濃守は、苦しいような悲しいような、そんな顔をした。
何か言い返したいのだが、ぐうの音も出ないといったところだろうか。
「ですが、それは恵探和尚にも同じ事が言えるのでは? 当家には駿河衆をよろしく引き立てるなどと申していますが、あの方の母は福島殿の従妹。およそ本心で言っているようには……」
福島上総介は駿河守に付いたという事であろう。
駿河守としては上総介は母の従兄である。
一番頼りとできる将であろうから当然と言えば当然だろう。
だが問題はそこではない。
やはり駿河守は駿河衆にも同様の甘言を行っているという点である。
つまり二枚舌外交。
勝ったら揉める事になると諫める者が近くにいなかったのだろうか?
五郎八郎がさらに何かを言おうとしたところで戸が開いた。
どうやら左京進の接客が終わったらしい。
美濃守が先導し左京進の部屋へと向かった。
「父上、珍しい方が父上を訪ねてまいりましたぞ」
五郎八郎が部屋の中を覗くと、左京進以外にもう一人男性が座っている。
だが五郎八郎としては予想通りという感じでもあった。
黒き袈裟を身にまとい、金糸で刺繍の施された茶の掛絡をかけている。
頭には同じく茶の角頭巾。
承芳和尚の兄弟子、雪斎禅師である。
ここに雪斎禅師がいるという事は、すなわち隣室には……
単に情報を聞き出すつもりが、まさかこんな事になろうとは……
「今日はどのような用向きかな? まあ、駿府があのような状況ゆえ、何となく察しは付くが」
左京進は雪斎禅師の事には全く触れず、いきなり五郎八郎に来城の理由を尋ねた。
こういう真っ直ぐなところは息子そっくりである。
「当然その件にございます。我が城は山奥、おまけに若輩者ゆえ、中々情報が入ってきませんで。もしかして左京殿なら何かしらご存知なのではと、藁をもつかむ気持ちでやってまいりました」
困り顔を作って左京進に尋ねてみた。
横で表情一つ変えず顎髭を撫でている雪斎禅師にはバレバレなのだろうが、左京進はそうかそうかと言って嬉しそうに微笑んだ。
「それは難儀な事であるな。では堤の兵庫殿にもあまり情報は入っておらぬというところか。それがしで知っている事であれば極力話してやろうとは思うが、して、どのような事が知りたいのかな?」
恐らくだが、左京進もあわよくば二俣城を自勢力に加えたいと思っているはずである。
であれば多少の込み入った質問程度であれば答えてくれるであろう。
「それがしは、その……承芳和尚という方をあまり存じ上げません。新年の挨拶に伺った程度で、ろくに話もした事がございませんで。どのような方かという事を伺いたくて」
左京進は思わずちらりと隣の部屋に視線を移した。
本当にわかりやすい人である。
何かを言おうとしたのだが、自分よりも雪斎禅師に聞いた方が良いだろうと言って、雪斎禅師に丸投げしてしまった。
雪斎禅師もさすがにそれには苦笑いである。
「子供の頃から聡明な方でな、さらに心優しい方だ。だが芯は強く、文学や和歌にも精通しておる。あまり表裏が無いのが玉に瑕じゃな」
雪斎禅師の人物評を聞き、食えない坊主だと五郎八郎は感じた。
玉に瑕だと欠点を言っているようで、その実、陰湿では無いと褒めているだけである。
「その……それがしとしては、遠江衆をどう扱おうとしているかというところが一番気になるところなのですが。もし亡きお館様のように遠江衆を排除するという事であれば、この機です、駿河守に従う事にするのですが」
雪斎禅師は顎髭をさすって暫く無言で考え込んだ。
何度かじっと五郎八郎を見つめ、ふむと息を漏らし、また考え込むという仕草を繰り返す。
「逆に問う。五郎八郎殿であれば遠江衆をどう扱う? 遠江衆に少しでも甘い顔をすれば駿河衆が離反しかねない。駿河は足元だ。そこでの反乱は致命的な事になりかねないのだ」
つまり雪斎禅師も亡きお館様の方針で行こうと思っていたという事であろう。
だから遠江衆には義の心があるならこちらに付けと見下すような内容の手紙を出したのだ。
「それがしであれば、遠江衆を対等に扱ったというだけでへそを曲げるような輩は冷遇します。そのような者は他国からの誘惑で簡単に転ぶような輩です。そんな輩を重用したらいざという時に計算が狂う事になります」
左京進はなるほどと納得したが、雪斎禅師は若いなあと呟き笑顔を見せた。
「そなたの考えもそれはそれで一つの答えだと思う。だがな、国衆の多くは利によって動くものだ。あちらを立てればこちらが立たぬ。だがそうした者たちを納得させられる手段がある。それが蔑む存在を作る事なのだよ」
納得いかぬ。
五郎八郎は押し黙って雪斎禅師を失望した顔で見ている。
そんな五郎八郎の態度に雪斎禅師は意地悪く笑う。
「いささか拙僧の案は品が無かったな。どうもいかんなあ。そなたのような智に明るい者を見ると、どうしても論戦を挑みたくなってしまう。僧の性のようなものだ。許してくれ」
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