『家督相続』 享禄元年(一五二八年)

第15話 千寿君をお支えします

「まさか、かような事になろうとは……たった半年だなんて……」


 顔に布のかけられた嫡男を前に、兵庫助は目を覆い肩を震わせた。

母上、義姉上も、わんわんと声をあげて泣いている。

五郎八郎もあれから泣き通しである。

家人たちも皆、慟哭している。

特に横見藤四郎は山城守の小姓上がりで、悲しみは一入であった。



 天龍院から源信がやってきている。

源信はそこはやはり僧である。

八郎二郎から一報を受け、城に到着してから涙を流しながらも小坊主に指図をし、広間に亡骸を運び、顔に絹布を掛けさせた。

線香を焚き、ご飯を盛り、箸を突き立てた。




 源信は泣いている者たちの中から五郎八郎を呼び寄せた。

誰もいない部屋に連れて行きそこに座り、五郎八郎にも座るように促した。


「五郎八郎、悲しいのはわかる。それは拙僧も同じだ。だがな、誰かが指揮を執って葬儀の準備をせねばならん。それはわかるな?」


 源信は諭すように五郎八郎に言った。

実際源信の声も涙で震えている。

五郎八郎は答えるように無言で頷く。


「うむ。拙僧はな、それはそなたの役割だと思うのだ。生前兄上に最も可愛がられたそなたが、最後の務めとして行わねばならぬと考えるのだが、いかがかな?」


 源信の頬を雫が伝い、それを袈裟の端で拭き取った。

五郎八郎にも源信の言っている意味は頭では理解できている。

だがどうにも心が付いてこないらしい。

流れ落ちる涙を必死に拭うのだが、後から後から溢れ出てきてしまう。


「まずは井戸で顔を洗ってきたら良い。落ち着いたら戻ってきてもらえるかな? この後の話をしようと思うでな」


 五郎八郎は源信に小さく会釈をし部屋を出た。

廊下を歩き井戸に向かう。


 不思議なものだ。

自分は宗太であって五郎八郎では無いのに。

わずか数か月、居を共にしたに過ぎないのに。

そんな兄上の死に、ここまで深い悲しみを抱くなんて。


 顔を洗おうと井戸に釣瓶を落とした。

ただそれだけのことで胸が酷く締め付けられる。

思えば最初にこの井戸で、兄上と一緒に顔を洗ったのだった。

顔にばしゃばしゃと水をかけ、五郎八郎はまた泣き崩れた。




 さんざん泣いて少し落ち着きを取り戻した五郎八郎は、源信の元へ向かった。


 源信は五郎八郎が話をしても大丈夫な状況だと判断し、通夜と葬儀の話を始めた。

通夜は自分が読経するが、葬儀は連城寺にいる兄弟子にお願いしようと思っている。

その為に今、小坊主を向かわせていると報告した。


 葬儀の段取りなどは五郎八郎にはわからないので、そこは全て源信にお願いすることにした。


「問題はだ、葬儀が終わった後のことだ。そなた、この二俣をどうして欲しいか、生前兄上から何かしら聞いてはおらぬか?」


 五郎八郎は病床で山城守が必死に伝えた言葉を思い出した。


”松井家を……二俣を……頼む……夕と……千寿を……頼む……”


 それを聞いた源信は目頭を摘まんだ。


 源信の話によると、遠江松井家は現在二つあるのだそうだ。

堤の松井家、これは現在は父の兵庫助が当主を務めている宗家になる。

もう一つがここ二俣の松井家。


 実は今年の初春までは、五郎八郎の祖父である山城入道が堤城の当主、二俣城の当主が兵庫助であった。

山城入道――諱を宗能というのだが――が隠居され、松井家の家督と堤城を父の兵庫助に譲られた。

その際この二俣は山城守に譲られたのだそうだ。


 そこからわずか半年。

二俣の松井家を継いだ山城守が他界することになってしまった。


 以前の酒宴での山城守の話からすると、兵庫助は堤城の松井家を五郎八郎に継がせるつもりということであった。

恐らく兵庫助は宗家を二俣に移し、堤の五郎八郎の家を新家として扱ってもらうつもりでいたのだろう。



「そなたは兄上の遺言をどう受け取った?」


 どうと改めて言われても、複数の取り方があるような遺言には感じない。


「普通に、幼い千寿君を盛り立てて欲しいという風に受け取りましたが、他に何か?」


 源信は無言で何度も頷いた。

何かを言おうとし止めてという行動を何回か繰り返した。


「まあ、葬儀が終わり、少し冷静になってから皆で話し合えば良いであろう。ご隠居も堤からお出でになることであろうしな」




 源信と共に兄上の元に向かうと、母上と義姉上の姿が無かった。

父上の姿も千寿丸の姿も無い。


 どうしたのかと権八に尋ねると、泣きすぎて心労で具合が悪くなってしまったのだそうだ。

千寿丸はどうも熱がでているらしい。


 五郎八郎は急いで義姉上の元へ向かった。

義姉上は布団に入り、五郎八郎に背を向けしくしくと泣き続けてる。

その隣で千寿丸が額に布を当てて赤い顔で寝息を立てている。


 障子戸をそっと閉めようとすると、お待ちになってくださいと、義姉上がか細い声で呼び止めた。


「通夜までまだ時間があります。それまでごゆっくり体をお安めになってください」


 そう言って戸を閉めようとすると、義姉上は待ってと再度呼び止めた。

体がしんどいであろうにむくりと起き上がり、泣いてぼろぼろの顔を見せないように袖で隠した。


「五郎八郎殿。どうかどうか千寿丸をお頼みします。私たちには、あなたしか頼れる人がいないのです。どうかどうか……」


 そう言って小さく震える義姉上を見て、以前義姉上が五郎八郎の嫁の話で猛反対していたのを思い出した。

あの時、義姉上は『謀反』という言葉を口にした。


 つまり義姉上は潜在的に五郎八郎が山城守を裏切ることを危惧していたのだろう。

そして今でも五郎八郎が千寿丸を虐げるのではないかと危惧しているのであろう。


 それが戦国の世の倣いなのだろうか。

そう考えると五郎八郎は何ともやるせない気持ちになった。


「ご安心ください義姉上。兄上が遺言で二人を頼むと言い残していきました。私は兄上の遺言に従い、千寿君が立派な二俣の主になるように、しっかりとお支えしていこうと思います」

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