第10話 報復
「や、約束が違うっ!」
「助けてくれるんじゃなかったのかっ!」
「私は一言も『殺さない』と約束していないよ?」
「うぁ……あぉ……(していませんでしたわねぇ)」
「していませんね」
「していなかったな」
「……」
「「そ、そんな……」」
あらかた情報を抜き終わり、さて始末しようかなという段になって「約束が違う!」とごね出した。
そもそも約束をする前に手札を晒したのは彼等の方だ。
同情はするが情けを掛けるつもりは毛頭ない。
「カトリ、ルシア嬢」
「はっ」「……なん、でしょうか」
「こいつらに対して思う所があるならば、雪辱を晴らす機会を与えようと思うがいかに?」
「お気遣い感謝いたしますが、もはやこいつらを嬲ったところで『楽しい』とは思えません」
「私……は……」
「ルシア……」
私の提案に彼女は迷っているようだった。
これまで虐げられる側だったのだ。
それが、虐げる側に回れる。
実に甘美で退廃的な誘惑だと思う。
暴力性の欠片も見せない彼女の内に燻る憎しみという名の熾火。
彼女はその存在に気付いていながら、それをどう扱えば良いのか分からずにいる。
だからこそ、誘った。
心の荒ぶるままに振舞いたいならそうすればいいと、誰に遠慮もいらない、心の求めるままに溜め込んだ澱を吐き出せば良いと。
それは正しく『悪魔の囁き』に違いない。
事実、レイオットは私に対し物言いたげに顔を歪め、それでいて何も言えずにいる。
彼にも分かっているのだ。
憎しみを、悲しみを、吐き出せずに溜め込み続けてしまうのはいつか心を壊すだけである、と。
だからこそ何も言えない、ルシア嬢の選択に口出しが出来ない。
「わた、し……」
「決まったかね?」
ルシア嬢は黙って頷いた。
頷いて、顔を上げた時には……その顔にははっきりと憎悪が張り付いていた。
彼女が憎しみの視線を叩きつけたのは、確かボビーという看守だったか。
ボビーの顔が恐怖に歪み、反射的に何か口にしようとしたが「ごはっ!」そんな真似は許さない。
あごの骨を砕き彼の発言を封じると、私はボビーを抑え込んだままルシア嬢に行動を促した。
「さぁ、好きにするといい」
「ぎゃっ!」
ルシア嬢は、ボビーの顔を踏みつけた。
一度、二度、三度と踏みつけていくうちに、踏みつけるコツを覚えてきたのかガツン、ガツンと強烈な打撃が何度も何度もボビーの顔に叩きつけられる。鼻が潰れ、折れ、唇が避け、瞼が切れ、額に罅が入り、眼球が弾けかけた。踏みつけられる度に男の痛々しい悲鳴が上がり、悲鳴が上がる度にルシア嬢の顔に歪んだ愉悦の笑みが浮かぶ。
「コイツが、コイツがっ、コイツが一番私をっ!
やめてって言ったのに!
レイオット様に聞かせてやれって!何ならこっちに呼べば良いって、何度も!何度もっ!
許さない、許せないっ!憎い、憎いっ!お前がっ!憎いっ!!」
「ルシア……あぁ、ルシアッ」
「あぁ……あああああああああああああああっ!!」
ルシア嬢は泣きながら笑っていた。
狂ったように泣いて、狂ったように笑っていた。
これで何が変わるわけでもない。
己の身に純潔が戻るわけでも、男が恐ろしくなくなるでもない。
それでも、それでも……
禊は済んだのだろう。
胸の内に蟠る激情は全て吐き切ったのか、俯いたまま肩で息するルシア嬢。
瀕死の傷を負わされ、ピクピクと震えるだけの肉の塊をソフィアへと渡してやる。
妹が嬉しそうに『生命』を啜る様を眺めながら、私は改めてルシア嬢に問うた。
「……ルシア嬢、今の君は、
「分かりません。
分かりませんが、それでも……惰性で生きてもいいのかな、って、そう、思えるくらいには」
そう言って、彼女はレイオットを見た。
真っ直ぐに、自分を案じ続けてくれた男の姿を、今度は目をそらさずに。
ルシア嬢は答えを出した。
ならば最後にレイオットの答えを聞かなければね。
「レイオット、君の答えを聞かせてくれるかね?」
「……言いたいことは山ほどありますし、貴方が本当に信じて良い存在であるのか、俺には分からない」
「レイオット、貴様っ!」
「カトリ、構わんよ……続けて」
「だけど、俺達はアンタに命を救われ、やり直す機会を提示されている。
現状その恩義を俺達は返しきれてない。
城を抜け出してからの話も、実際は空手形を渡されてるようなもんだ、信用に足る材料がない。
だが、それでも俺はアンタを、信じたい。
アンタに、いや、ノルドハイム卿について行けば、いつかルシアが心から笑える日が来るんじゃないかって事を……信じたいんだ」
「ならばその信頼と期待には応えないとならないね」
「アンタが俺の主として相応しく在り続けてくれるなら、俺は、いや、私レイオット・グスタリフは。
一人の男としてノア・ノルドハイムに生涯の忠誠を誓おう」
一人の男として、とは中々粋な誓約じゃないか。
そういう漢気は、私は大好きだよ。
「君の忠誠に相応しい人物であるよう、努力するとしよう」
「よろしく頼むよ、我が主人」
「……私の忠誠の方がずっとずっと深いんですからね?」
「え、カトリ!?これから同じ主に仕えるんだろ!?
何で俺睨まれてんの!?」
「うぁぉ……えぅぁ……♪(ふふっ、兄様、良かったですね)」
「あぁ、これで憂いなく城の脱出に注力できる」
私は足元で震えている哀れな看守の『生命』を啜ると、『
ははっ、そんな目で私を見ても助けるわけが無いよ。
君だってそうだったのだから、分かるだろう?
新たに生まれた二体の『
「まぁ、概ね方針は決まっているのだけどね」
「流石はご主人様!」
「おいカトリ、内容も聞かないで主様を持ち上げるのは太鼓持ちと変わらないぞ?」
「煩いわレイオット。
私は信じている。
ご主人様なら誰も思いつかない様な極悪非道な方法で、この城の人間を根絶やしに……」
「カトリの私への評価がいやに高い理由がよく分からないが、流石に根絶やしは無理だよ。
まだまだ自分達に出来る事も十全に把握できているとは言えないからね。
とはいえ、『嫌がらせ』としては最高の策が浮かんだと思っているよ」
というわけでその内容を皆に伝えたところ、物凄い極悪人を見るような目で見られた。
ちょっと待てソフィア、お前もか?
「うぉぁ……おぇ……(兄様、最悪です)」
「ご主人様には人の心が無いのですか、あ、無いのでした……」
「その作戦は、メイドとしてはちょっと……」
「主様、ここは戦場じゃないんですが、あ~、でも『嫌がらせ』としては……う~ん」
「『
「「「でも最低です」」」「おぅぁ……(です)」
そうは言っても、これが『今の私達』に可能な最も直接的に奴を怒らせる方法だと思うのだが。
「むぅ、駄目かね?」
「もちろん全力でやりましょう」
「は、反対はしておりませんよ?」
「俺はアリだと思ってますよ、えげつなさ過ぎるだけで」
「うぁぁ……おぁぇ……(わたくしはいつでも兄様の味方です!)」
賛成なら素直に賛成してくれないモノかねっ!?
まぁ、自分でも「子供の嫌がらせか!」と思わなくもないから皆の反応も予想はしていたよ!
はぁ……よし、気を取り直して。
……さて、ガイウスよ。
今日という日を忘れ得ぬ『始まりの日』にしてやろうではないかねっ!
◆ ◇ ◆
「なぁ、そういや看守共出てきたか?」
「そういえば深夜番の連中が入ってから誰も出てきてないな。
今日のあがりは誰だった?」
「確かマイトとアランが休みだったんじゃなかったか?」
「あの二人かぁ」
看守室へと続く通路は、衛兵詰め所の憲兵尋問室の隣にある。
地下へと続く階段は、スライド式の鉄扉で蓋が出来る様になっており、仮に囚人達が脱走したとしても扉さえ閉じられれば容易に突破できない仕組みになっている。入り口から看守室までは結構な距離がある為、地下牢内で悲鳴や何かが上がったとしても衛兵詰め所迄響いてくることはほぼ無い。
衛兵詰め所にはいけ好かない憲兵たちの尋問室や拷問室、留置所なども併設されている。
ただでさえ拷問室から毎日飽きもせずに響いてくる悲鳴に、四六時中精神を削られるのだ。
囚人相手に好き放題しているであろう看守達の心配をしてやる義理など、衛兵達には無かった。
どうせ非番になるのだからと、女囚人相手に腰でも振っているに決まってる……そんな油断が、彼等の運命を決定づける事になった。
「ん?足音がするな。
やっと出てきたか」
「遅かったじゃねぇか、さっさと書類にサイ……ン、を」
ヴァアァァァァァ……!
のそりと地下通路から現れたのは、元看守だった『
衛兵たちは見慣れた相手が見るも無残な姿に変わっていた事に動揺し、採るべき選択を誤った。
自分の目がおかしくなったのかと己が目をこすり、あろうことか誰何してしまったのだ。
「……は?
え、ちょっと待」
「いや、待たないよ?」
故に動けなかった。
『
「その命、捧げよ__『
「「がはっ!!」」
その生命を啜られ、物言わぬ屍と化した。
「うん、情報通りだね。
入り口付近には担当の衛兵が二人だけ、職務態度は悪い、と。
じゃあ次は憲兵詰め所を叩いて、留置所共々制圧するとしますかね」
ノアが静かに動き出す。
後に『帝国の落日』と呼ばれる一連の事件の最初の騒動が、ここから始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます