第3話 捕食

「ふむ」


 ソフィアの覚悟も知れたことで早速牢獄を脱出したいところではあるが。


 脱出しようにも、私もソフィアも裸のまま麻袋に詰められた挙句、そのまま牢内に叩き込まれたのだが……どうしたものだろうね!?


 牢獄内を見回す。

 壁際に押しやられる様に積み上がっているのは、誰のものとも分からない埃まみれの白骨の山。骨は一応武器にも使えるので、肋骨あたりの骨を拝借して短剣代わりに出来れば上等。部屋の隅には糞壺らしきものが置かれているが、明らかにカビまみれで触れたくない。

 扉には囚人のものと思われる血塗れのひっかき傷が多数。しっかりと補強されていて、打ち破るには武器があったとしても中々に手間がかかりそうだ。鍵は当然外側からかけられていて、小窓から届く様な位置には付いていない。付いていたとしても鍵開けの技能は持ち合わせていないがね。

 この状況で脱出するとなると……方法は限られる。


「うぁぁ……あぅぁ……(兄様、どうなさいますか?)」

「そうだね、幸いな事に私達は既に『死人』だ。

空腹や睡眠とも縁がないし、何より、自由に動く事が出来る」

「あぅぁ……(では?)」

「看守達には悪いが、仕える相手を間違ったのだと存分に後悔していただくとしようか。

ソフィアも無理のない程度に、今の身体に何が出来るのかを確認しておくのだよ」

「うぁぁ……おぁ……(はい、わかりましたわ)」


 私はソフィアの頭を優しく撫でると、早速『獲物』を狩る為に自身の身体の動きを確認し直す。




(さて、『死人』の身体のポテンシャルはどんなものだろうね)


 ソフィアにぶつからない適当な場所に、肩幅程度に足を広げ真っ直ぐ立つ。


 呼吸をすれば普通に肺や腹は収縮をするが、『息を吸った、吐いた』という感覚は無い。吸おうと思えば肺の限界まで際限なく吸えるし、吐けば肺が潰れるまで吸える。

 心臓の鼓動は止まったままで、動きはないが意識を向ければ意識したリズムで脈動はするようだ。その度に全身に何かが駆け巡るような感覚があるので、これがいわゆる『血流』と呼ばれるものなのかもしれない。自身の身体の中を意識する事などこれまでなかったので中々新鮮な気分だ。


 次に、肉体の柔軟性を確かめる。


 『銀狼騎士団』に所属していた頃の私は、剣の腕も大した事は無く腕力も無かった。

 運が良いだけ、見た目が多少良いだけの平凡な騎士だったのだが身体の柔らかさだけは自信があった。前屈すれば掌が地面に付いたし、足を左右に開脚したまま床に座る事も可能だったのだよ。もちろん胸を逸らしてそのままブリッジをする事も出来た。ちょっとした特技のようなものだね。


(死亡すると身体が硬直するものだが、さて……)


 ゆっくりと前屈する。


 ……指は付いたが、掌までは付けられない。

 やはり死んだ事で身体が硬直して、関節部の可動域が柔軟性を失っている可能性がある。


(うぅむ、無理に伸ばす事は感覚的に可能だが、それで筋肉が切れてしまったらマズいね。

再生するかも分からないし、ストレッチをして柔軟性が戻るかも不明だ。

今は無理をやめておこうか)


 開脚や胸逸らしでもやはり身体に不快な硬直を感じたので、『死人』というものはやはり死体の延長にある存在なのだと実感した。ソフィアの身体の動きが鈍いのも、死んでからの時間が私よりも長すぎたのが原因だとこれではっきりした。

 この問題を解消できるか否かは今の時点では分からないが、最優先で何とかしたい事であるのは間違いない。現在のソフィアは首や腕が折られたまま治っていない状態なのだ。愛らしい顔立ちをしたあの子がこのまま一生首や腕をブランブランさせたまま生きていかねばならないなど、ソフィアが受け入れたとしても私が受け入れられない。可愛い妹には何時だって可愛くあって欲しい、それが兄という生き物だと私は確信している!


(後は、『動き』……だが)


 軽く腰を落とし、ゆっくりと右拳を前に突き出す。

 拳を引き、今度は左拳を突き出す。

 それを数度繰り返し、今度は前蹴りを左右で数回繰り返し、放つ。

 意識と動きの連動は、生前よりもスムーズに感じる。


 徐々に速度を上げていく。


(おぉ、これは……!)


 何と言うか、実に不思議な感覚だ。

 生前は拳を打ち出す事を意識して行っても、イメージ通りの動きにはならなかった。

 何処か歪みがあったり、セーブしたような感覚があって望んだ軌道、力のノリ、キレが拳に乗らず、納得のいく『技』に至れなかったのだ。


 それが今は違う。


 意識した通りに身体が動く。

 まるで『魂』の動きを肉体が追随しているかのように、望んだ軌道でイメージ通りの動きが出来ている。突き出す拳は風を切り、蹴り出した足は空を裂く。力もキレも、理想通りのモノを表現できている。


「素晴らしい、これなら……」


 私は部屋の隅に積み上げられている、埃を被った人骨の中から大腿骨と犬歯と思しき歯を拾い上げる。

 そして犬歯をしっかりつまむと、大腿骨に当て、勢いよく斜めに薙いだ。


 ガリッ!


 鈍い音を立て、大腿骨に深い削痕が刻まれたのを見て、私は思わず笑みを浮かべた。

 己の想像以上にこの肉体は力を出せる事を確信できたからだ。

 人体の中で歯はもっとも硬い部位だ。だからと言って大腿骨を犬歯で薙いで削れるかと言ったら簡単にできる事ではない。それを、『死人』の身体はいとも容易くやってのけた。それだけのパワーを、子の肉体なら引き出せるという事だ。


 それが分かればやれる事は多い。


「今の時点でこのポテンシャル、というのは嬉しいね。

その内看守なり衛兵が、私達の様子を見にやってくるだろう。

その時が、脱出のチャンスになるね」

「あぅぁ……おぁぇ……(うふふ、楽しみですわね!)」


 あぁ、本当に楽しみだよ。




〈それから3日後〉


「はぁ、まったく気の滅入る仕事だぜ……」


 先日、近衛兵達が男の囚人と女の死体を地下牢に持ち込んだ。

 何でも陛下の不興を買った罪人らしい。

 囚人は獄死させるように、との指示だった為、食事も水も与えていない。投獄から既に3日、怪我を負わされているという話であったし、普通なら衰弱して身動き一つ取れなくなっている頃合いだろう。普通に考えれば死んでいる筈だが、もし生きているようなら止めを刺してしまう方が後々楽かもしれない。


「まったく、死んだのが男の方だってんなら、女を好きにする楽しみもあったってのによォ」


 よりにもよって男の方が囚人だというのだからつまらない。

 女の方の亡骸を弄ぶにしても、既に死後3日では腐敗も始まっているだろう。

 そんな腐った玩具で遊ぶ趣味は、この看守にはない。

 囚人の生死を確認し、死んでいるようなら牢内に鼠を放ち死体を処理。

 生きているならとどめを刺してから鼠を放ち死体を処理。

 どうせやる事は変わらない。


 目当ての牢の扉の前までたどり着くと、溜息をつきながら小窓を開き、中を確認した。


「ん~?

死んでるみたいだな、まぁ、無理もねぇ」


 小窓から見えたのは、牢の真ん中でピクリとも動かない

 流石に死んだか、そう思い牢の鍵を開けると看守は牢の中へ入ろうとし……「残念ながらまだ生きているんだよ、すまんね」突然頭上から襲いかかってきた「何者か」に口をふさがれ、それと同時に咽喉に鋭い何かを突き込まれ、声を上げる間もなく息絶えたのだった。



  ◆  ◇  ◆


「あぅぁ……あぅぅ……(兄様、お見事ですっ!)」

「あぁ、ありがとう。

面白いくらいに上手くいったね。

まったく迂闊にも程があるね、この看守は。

開けてから何の警戒も無しに入るだなんて、『殺してくれ』と言っている様なものだろうに」


 麻袋から這い出たソフィアが諸手を上げて私を称賛してくれる。

 策を褒めてくれるのは嬉しくあるけれど、見えてはいけないところが丸見えだよ?

 麻袋できちんと隠しなさいまったく。


 私達がやったことは実に単純だ。


 必ず生死確認に現れるだろう看守の不意を突き、牢破りをする、それだけだ。

 ソフィアには麻袋の中でじっとしていてもらい、私は天井に張り付いて看守の到来をじっと待つ。

 生身であれば肉体の疲労限界で天井に張り付けるのは良くて数分だっただろうが、『死人』の身体は疲れ知らず。そんな無茶も可能に出来る。実際は限界があるのかもしれないが、少なくとも今回は問題が無かったのだから良い。検証はまた別の機会に、だ。

 どのくらいの時間が経ったのかは知らないが、予想通り看守は現れ、確認の為に牢内に入った。余りにもあっさり成功し過ぎて拍子抜けしたくらいだが、その結果こそが全てである。


 それはそうと、だ。


 天井から看守に襲いかかり、その命を絶ったわけだが……不思議と罪悪感は沸かない。

 それどころか、看守からどんどん漏れ出していく『命』が、『生命力』が、非常に「もったいない」と感じてしまうのだ。

 看守の『肉』を喰らいたい、というわけではない。

 看守の『生命』を、啜りたくて仕方がない。

 自然に己の内から言葉が溢れ出てくる。


「その命、捧げよ__『生命吸収ドレイン・ライフ』」


 熱く滾る『熱』が、看守に触れている部分を通じ流れ込んでくる。

 溶岩の様に灼ける様な熱さでありながら、砂糖菓子の様に蕩ける甘さが、私の魂を激しく揺さぶるっ!


 これが、『生命』の味……!?


 あまりの美味さに、腰が砕けそうになる。

 これは、この美味さは危険だっ!

 『死人』は空腹を感じない、そう思っていたが……こんなに『生命』が美味だと知ってしまうと、際限なく啜りたくて仕方が無くなるかもしれない。この味の虜になってしまえば、『生者』が文字通り「食料」にしか見えなくなってしまうのではないか、そう思う。


「あぅぁ……うぁぅ……(兄様、どうかなさったのですか?)」

「うっ、あ、あぁ、後でお前にも教えてあげないといけない事が出来た、それだけだよ。

それにしても……これは……」

「うぅぁ……あぅぁ……(あらあら、何か妙なモノが引き寄せられているようですわね?)」


 私が『生命吸収ドレイン・ライフ』で命を啜った看守の亡骸は、まるでミイラの様に生気を失った姿となってしまった。人間の干物、とでも呼ぶべき無残な姿だ。そして、そんな生命の欠片も残されていない亡骸に引き寄せられるように、何処からともなく「雑霊」とでも呼んだ方が良さそうな、意志の欠片も残っていない霊体がいくつも集まりだした。

 それらの「雑霊」は、私が手にしている看守の亡骸に群がろうとしては、私の存在を恐れるかのように距離を取る、という事を繰り返している。


「もしや、お前達はこの亡骸が欲しいのか?」


 オォォォォォォォ……

      オォォォォォォォ……


 「雑霊」達の呻き声は、「そうだ」と答えているように感じる。

 私は看守の上着を剥ぎ取ると、亡骸を牢の奥へと無造作に放り投げた。

 一斉に「雑霊」達が亡骸に群がり、その中へと入り込んでいく。


 ピクリ、と亡骸が動いた。


 ヴァアァァァァァ……


「おぉ……」

「あぅぁ……(あらまぁ)」


 幾つもの「雑霊」達が入り込んだ亡骸は、ノロノロと起き上がると呻き声を上げながら、何をするでもなくふらふらと牢内を彷徨い始めた。まるで知性を感じないその在り様、戦場跡で何度も見かけたことのあるその存在は__『彷徨う死体リビング・デッド』と呼ばれる「不浄なる者アンデット」だ。生者の温もりを求め、襲いかかる生ける屍、それが一般的な『彷徨う死体リビング・デッド』に対する認識なのだが。


「なるほど、死体に無数の『雑霊』が憑りつく事で意思無き『不浄なる者アンデット』と化すのか」

「うぁぉ……あぅぅ……(驚きましたわ……)」


 私もソフィアも『死人』だからか、『彷徨う死体リビング・デッド』が襲い掛かって来る事はない。看守の亡骸から剥ぎ取った上着をソフィアに着せてやりながら、私は「これは案外、良い駒を手に入れたかもしれない」とほくそ笑むのだった。



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