第7話 レイオットの困惑
<side レイオット>
「さぁ、早く行くと良い。
これから忙しくなるのだからね、社会的に死んだ存在になったとはいえ、君達は『生者』なのだから」
「っ、わかり……ました」
ノルドハイム卿を名乗る『化け物』のご配慮で、隣の牢に収監されていたルシアと、もう一人のメイド……名をカトリと言ったか?二人を連れて看守室へと向かう。
二人ともノルドハイム卿の放つ色濃い『死』の気配に恐怖し震えているようだったので、彼女達の手を取り急ぎその場を離れたのだが、通路を曲がったところで突然カトリに引いていた手を払われた。
それだけではない。
ルシアを引いていた手もカトリは払い、彼女を庇う様に俺の前に立ちはだかる。
「何の真似だい?
俺に君達を傷つけるつもりはないぞ」
「……それは、分かってる。
貴方が、実直な人物なのは、
「ならば、何故」
「気持ちは、嬉しい、でも……男は、怖い」
「!!」
その一言で俺は察した。
そう、そうだった。
ルシアもカトリも、看守達に……。
「気が利かなかった、すまんがルシアを頼む」
「うん」
「……レイ、オット、様……ごめ……な、さ……」
「気にするなルシア、俺が自分で気付くべきだった」
ルシアはノルドハイム卿に怯えていたのだと思っていたが、そうではなかった。
彼女は、俺が、『男』が怖かったんだ。
俺に触れられ、腕を掴まれ、腕を引かれた事が怖くて声も出せなかったんだ……。
ショックだった。
だが、ショックだからと言って落ち込んでいる暇は、無い。
『
ノア・ノルドハイム卿の噂そのものは、国元に居た時に何度も聞かされた。
曰く『死神に愛された優男』『部下殺しのノア』『死神の愛し子』『死を振りまく黒き厄災』と言った二つ名持ちで、帝国においては珍しくかつ『不吉』とされる、黒目黒髪の一族ノルドハイム騎士爵家の嫡男にして若き当主。ひとたび戦場に立てば自ら激戦区に飛び込み、敵味方関係なく死をばら撒いては己は無傷で帰る。特に武芸に秀でるわけでもなく、見た目が女のように美しいというだけの軟弱者。
実際にノルドハイム卿のお姿を見た事は一度もない。
故に、あの『ノア・ノルドハイム』を名乗った化け物が、本当にノルドハイム卿本人であるのかを確認する術はない。
「まぁ、本人であろうが無かろうが牢から救い出されたという事実は変わらんか」
「私は、あのまま死にたかった」
「……私も、あの場で死にたかったわ……」
「……そう言わんでくれ。
拾われた命だ、本当に死にたいと願うなら後で彼等にそう願おう」
そんな言葉しか二人にかけられない自分が、情けない。
看守室の扉の前に着くと、私はすぐさま中の気配を探る。
話し声も人の気配もない事を確認し、ゆっくりと扉を開けた。
部屋の中は酒と煙草の臭いで満ちていて、恐らくは看守達とノルドハイム卿達が争ったらしき跡がそのまま残っていた。外へ続く扉に閂がかかっているかを確認、かかっていなかったのですぐにかける。これでもし外部から誰かやってきても、すぐに踏み込まれる事はないだろう。
逃げ出すにしてもルシアとカトリを連れてここを抜け出すのは難しい、いや不可能だと断言できる。
看守室を出た先には、憲兵の詰所がある。
詰所内を抜けなければ城内には出られないし、城内に出たとしても城外に出るには城門を抜けるか、いくつか存在する使用人用の通用門を抜けるしかなく、そのどちらにも厳重な見張りが配置されている。城門よりも通用門の方が警備は緩いが、緩いと言っても詰所には衛兵が少なくとも5人は詰めている。
俺も兵として弱い方ではないという自負はあるが、それでも女二人守りつつ憲兵隊や衛兵を薙ぎ倒して城を抜け出せる程ではない。
城からの脱出を図るならどの道、あのノルドハイム卿を名乗る化け物の力を借りるしかないのだ。
問題は、逃げられたとしてその後どうするか、なのだが。
仮に逃げ延びたとして、俺もルシアも「死者」と変わらない。
これまでの経歴はすべて捨て、別人としていちからやり直さねばならないだろう。
何処かの街で人足として雇ってもらえる程度には力には自信があるし、いっそ冒険者になってダンジョンで一攫千金狙いもいいと思う。だが、二人の様子を見る限りそれも難しいかもしれない。
彼女達は看守達の性のはけ口として、長いこと酷い目に合わされ続けてきた。
俺は、ずっと隣の牢で彼女等の悲痛な叫び声を聞いていたから、知っている。
「殺して」「助けて」と何度叫んでいたか、どれほど叫んでいたか、知っている。
望まぬ妊娠をさせられ、獄中で子を産まされた挙句に己の目の前で始末され、狂ってしまった女性がいた事も、余りの苦痛に耐えきれず舌を噛んで亡くなった女性がいた事も、知っている。
彼女達にとって、既にこの世は「地獄」なのだ。
死に安寧を求め、神の身元に招かれる事を願うのは逃避でも何でもない。
だからこそ、俺はルシアが「死にたい」と願ったあの時、それに付き合うのも悪くないと思った。
そう、思ったのだ。
だが、本心を言えば生きて欲しい、そう思う。
俺は気まぐれで彼女を助けたわけではない。
彼女に惚れていたから、いつも彼女の笑顔を目で追っていたから、あの日あの時、あのクソ貴族がルシアに言い寄ったのに気付けたのだから。
結果として二人揃って投獄された挙句、ルシアには生き地獄を味合わせる羽目になってしまったのだから全くもって救えない話だよな。
俺は好きな女一人守る事が出来ず、傷つけ、今も守る事が出来ず、支える事も出来ずにいる。
むしろ助けた事でより残酷な目に合わせてしまったかもしれないと思うと、泣きたくなる。
俺は、一体どうすればいいのだろうか。
だが、それだけだ。
助かったわけじゃない、ルシアを救って逃げのびたわけでもない。
むしろ、投獄されていた時以上に酷い事に巻き込まれたのかもしれない。
俺は、どうすればいい?
どうするのが正解なんだろうか……?
「レイオット」
「なんだい?」
カトリが暗く濁り切った目で俺を見る。
「さっきのノルドハイムって人、信用できるの?」
「さぁ、分からないな」
「分からないのに従うの?
死にたいって言ったのに殺してくれなかった化け物なのに信じるの?」
「復讐の為に死んでもいい覚悟はあるか、って聞かれたんだよ」
「一緒だよ。
私は私の大事なものを傷つける奴等に復讐したいし、死にたいの」
「なら、本人にそう言えばいいさ」
「……」
カトリはそのまま口を噤んでしまった。
ルシアは俺達のそんなやり取りを、少し困った様に黙って見ているだけだった。
これからどうするのか、どうなるのか?
結局のところ、ノルドハイム卿がやってくるまで何も決められないというのがはっきりしただけだったように思う。
本当に……俺達はどうなってしまうんだろうな。
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