第11話 汚泥

 モースティン帝国の帝城は大きく分けて5つの区画に分かれている。


・中央に謁見の間や王の執務室、各省庁の部署等が置かれた『行政区』

・北に位置するは皇室の住まう『宮殿区』

・東西北部には皇族専用の『森林区』

・東南部に衛兵・憲兵詰め所や使用人達の宿泊施設等が集中する『居住区』

・西南部に騎士団関連施設や軍司令部等の機能が集中した『軍属区』

 これら5つの区画を巨大な城壁が取り囲み、『帝城』を構成している。


 城壁には大きな門は南側に一つしか存在せず、正門からの立ち入りが許されていない者達は東南部、西南部にそれぞれ4つづつ設けられている通用門を抜ける以外、城内に立ち入りが出来なくなっている。

 敷地面積は行政区、居住区、軍属区を合わせて約17.2ha。(便宜上ヘクタール表記)

 宮殿区や森林区を含めると、総面積は1800haを越える。


 この広大な敷地は800人以上の使用人達の働きによって支えられており、特に使用人達の住まう居住区は昼夜を問わず人の動きが激しい。


 帝城で働けるのは原則として『貴族』出身者のみである。

 そして貴族内であっても家柄によって『家格』というものがあり、それにふさわしい待遇を強いられたり求められたりもする。

 上位貴族の出身であれば、城外に家を借りたり城内に個室を用意して貰ったりする必要があるし、下位貴族の出身であれば個室など論外とされたりもする。もちろん結婚して家がある者は別であるが、未婚の者は男女問わずそのように扱われるのがこの国の決まりである。

 これは騎士や衛兵、憲兵、文官などでも同じ事。


 彼等彼女等は日が昇る前から帝国の為に働き。

 日が落ちてからも帝国の為に働き。

 喜悲交々な日々を繰り返す。


 その日もそうなる……筈だった__本来であれば。




 最初に「それ」に気付いたのは誰であったかははっきりしない。


 この騒ぎの全貌を知る者は、それを起こした本人達だけであったから。




 その日、財務省付きの夜番を務める事になったメイドのラクシャは、憂鬱な気分を隠せずにいた。

 伯爵家の5女として生まれ、家を追い出される様に帝城のメイドになってから早5年。

 幾人かの文官のお手付きになったものの、生来のプライドの高さから相手と続かず、気が付けば「行き遅れ」と呼ばれる年齢になってしまった。後輩のメイド達が次々と相手を見つけていくのだ、当然彼女も焦らざるを得ない。

 ただでさえ実家は「結婚しろ」と煩く騒ぐし、後輩たちはコソコソ陰口を言い合う。

 先輩や同僚たちの哀れむ様な目は、どうにも腹立たしいものだ。


(私だって、私だってまだチャンスは……あら?

……何かしら、この臭い。

まさか、どこかの馬鹿が厠までこらえきれずにいたしたんじゃないでしょうね?)


 汲み取り式の厠は帝城の各所に設置されているが、臭う為に施設類からはそれなりにはなれた所に設置されている。もちろん貴人用は最新式のとても凄いもの、らしいがそれはこの際どうでもよい。

 問題は、この臭いの元が本当に「誰か」がいたしたモノだった場合だ。

 気付いてしまった以上、第一発見者としてラクシャがそれを始末しなければならない。

 もちろん見て見ぬ振りも出来るが、誰かがそれを目撃していた場合、『職務怠慢』としてラクシャが責められる事になる。担当部署に向かう途中だった、などと言う言い訳は頭の固いメイド長には通じない。


「はぁ、まったく厄日だわっ!

……ん?

あれは何をして……はああああああああ!?」


 臭いの元に向かったラクシャは、進んだ先に何者かが立っている事に気付き足を止め。

 その何者かが、「何をしているか」に気付き、絶叫した!


 魔導ランプの薄明かりの中、糞尿にまみれた衛兵らしき男が汚臭を振りまきながら、あろうことか糞壺の中身を城内の壁にベタベタと投げつけていたのである!それも素手で!


 吐き気がする臭気の中で、「ヴァアァァァァァ……!」と唸り声を上げながら壁一面に「うんこアート」を描いていた衛兵らしき男は、ラクシャの叫び声に反応してゆっくりと振り向いた。汚物まみれの虚ろな顔に満面の笑みらしきものを浮かべた「それ」は、彼女に向けて両手を広げゆらゆらと迫って来たではないか!


「ギャアアアアアアアアアアアアアア!

こ、こっち来ないでええええええええっ!」


 糞尿まみれの衛兵に迫られたら誰だって逃げる、全力で逃げる。

 よってラクシャに罪はない。

 問題があったとすれば……彼女が、「それ」を衛兵であると勘違いしてしまった、という事だ。

 同様の事がほぼ同時刻に、数か所で発生し。


 悲劇は始まった。


『糞尿まみれの衛兵』出現の報せはすぐさま巡回の衛兵たちに伝わり、彼等は逃げてきたメイド達に良いところを見せ……もとい、メイド達を救う為に不埒者を取り押さえにかかった。

 もちろん自分達が糞尿まみれにされるのはごめんだ。

 故に即抜剣し、「とまれ!何処の所属だ馬鹿野郎が!」と剣を突き付けた。


 だが、彼等は知らなかった、そして気付けなかった。


 その『糞尿まみれの衛兵』達が『彷徨う死体リビング・デッド』である、という事を。


 目の前に『生者』が現れた事を『彷徨う死体リビング・デッド』は喜んだ。

 喜んで飛び掛かると、暖かいその肉を喰らう為、瑞々しい血を啜る為、容赦なく嚙みついた。

 金属の棒で打ち据えられたが関係ない。

 肉を喰らいたい、血を啜りたい、主は言ったのだ、好きなだけ喰らって来いと。

 糞尿の中に浸かったら、適当に彷徨って、生きている物を見つけたら好きなだけ食べろと。

 うれしい、うれしい、うれしい。

 『生者』が暴れる、生きが良くて嬉しい。

 ガンガンと何かに叩かれているけど、斬られているけど関係ない。

 にく、にく……うま


「ちょっと待てこいつっ、来るなっ!汚ねぇっ!!」

「おいおいなんだこいつっ!」

「なっ!こいつ、人間じゃねぇぞっ!」

「は?っ!ギャアアアアアア!!」

「嘘だろっ!何で城内に『不浄なる者アンデット』がっ!」

「知るかっ、さっさと切れっ!」

「よせっ、たす、け……」

「くっ、もう無理だ、諦めろっ」


 同様の事態が、『糞尿まみれの衛兵』が現れた件数だけ発生し。

 犠牲者たちは新たな『糞尿まみれの「不浄なる者アンデット」』と化して周囲の人々を襲う。

 城内の騒ぎに気付いた上級士官たちが状況の把握に努めた事で、情報の整理と交換が為され衛兵間の連携がようやく機能し始める。

 それによって同様の被害の再発は防げた、のだが。


「ちょっと待て、どれだけの『不浄なる者アンデット』が城内に入り込んでいたのだ!?」

「憲兵は何をしているっ!」

「衛兵詰め所が『不浄なる者アンデット』の巣窟になってやがるぞっ!」

「『不浄なる者アンデット』の発生源の特定はまだかっ!」

「また『糞尿まみれの不浄なる者アンデット』が出たぞっ!」


 情報交換が進むにつれ、上級士官たちの顔色はどんどん悪くなっていく。

 城内に拡散した『不浄なる者アンデット』の数が、余りに多すぎる!

 『糞尿まみれの不浄なる者アンデット』などと言う奇行種が、こんなに大量に自然発生するなど絶対にあり得ない。遺体の状況から察するに彼等はあくまでも『犠牲者』であり、死してその尊厳を穢された者達。ただでさえ穢された彼等の命の尊厳を、更に汚物まみれにして地の底にまで落とす悪鬼の所業は明らかに知恵ある者の悪意に基づいて行われたものだ。むしろそうでなければ被害者たちが報われない。


 確実に、居るのだ。

 『不浄なる者アンデット』を生み出し、指示を与える事が出来るだけの『上位種』が!


 加えて、この『糞尿をばら撒く』という行為。

 最悪の悪ふざけにしか聞こえないこの行為も、この騒ぎを『何者か』の攻撃だと仮定するならば意味は大きく変わってくる。古来より『戦争』で敵陣に『死体』や『糞尿』等を投げ込む、という行為は頻繁に行われてきた。それらは投下された場所を汚染し、病毒を撒き散らすお手軽で効果的な『兵器』であるからだ。

 これらが忌避される様になっている理由は、単純に外聞の問題と後の浄化の手間を考えての事だ。汚物屍毒に侵された場所の洗浄には大変な手間がかかる。臭い、病毒の対策もそうだが何より現物の処理を誰もが嫌がる。やられた側のモチベーションの低下が洒落にならないのだ。

 やられたらやり返すのが戦場の常。

 互いに大いに名誉とやる気を削ぐと分かっている『戦術』を好んで用いる馬鹿は、名誉を重んじる騎士や貴族にはまずいない。


 だが、指揮官が『不浄なる者アンデット』だというのなら話は変わる。


 己を武器に糞尿屍毒を撒き散らす事に、意思無き亡者たちは何の躊躇いも無いだろう。討伐しても亡骸は残るし処理も必要だ。城内の壁や床の掃除の手間にどれだけ使用人たちが疲弊するか、そして陛下の怒りがどれほどか、想像するだに恐ろしい。ただ亡者たちが暴れまわるだけで、帝国の尊厳が物理的に穢されていく。


「これは、我等の手には負えん」

「近衛の出撃を願おう」

「場合によっては陛下にも避難していただかねば」


 ノア達の『復讐いやがらせ』は、皇帝の尊厳を『物理的』に穢す攻撃から始まった。



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