第19話 悪夢

 帝都の水路から這い上がって来る大量の『不浄なる者アンデット』達。


 死闘を覚悟した近衛騎士団に向かってきたのは、武装した『蠢く骸骨スケルトン』達だけだった。


「……?

それは、どういう事です?

甦りし屍ゾンビ』達も上がってきたのですよね?」

「あぁ、見るも無残な姿になって這い上がって来たよ。

水死体というのは、実に悲惨なものでな。

吐き気を催す、などと言う言葉では生温い。

一目見れば数日は悪夢に魘される、あんな姿にはなりたくないモノの代表格に上げてもいい代物だ。

実際、何人もの若い騎士がアレを見てその場で吐いたよ。

余りの悍ましさに動けなくなるものも続出した。

だが、奴等は我等に襲いかかってはこなかった。

見向きもしなかった。

かと言って帝都民に襲いかかったわけでもない。

奴等は……奴等はっ!

もっと悍ましい真似をしでかしっ!

帝都に、民に深い傷を負わせたのだっ!」


 水死体『甦りし屍ゾンビ』達は、帝都の至る所から現れた。

 水路のある場所を通じ、帝都全域にほぼ均等に姿を見せ……とにかく彷徨った。

 ふらふらと彷徨い、腐った肉片や汚汁を撒き散らし、腐臭を振りまき、自分の身体を引きちぎって周囲に投げ散らかす個体も確認された。建物に抱き着き、井戸や花壇に飛び込み、閉ざされた窓や扉を揺さぶり、階段から転げ落ち、ひたすら帝都中を汚して回ったのだ。

 『甦りし屍ゾンビ』は身体がちぎれても平気で動く。

 撒き散らされた手足は完全に潰されない限り指一本になってもびくびくと震え、腐った頭部は顎が破損しない限り誰彼構わず噛みつこうと蠢く。


 近衛騎士達は、『蠢く骸骨スケルトン』達に応戦しながらその光景を見せつけられた。


 阻止できなかった。


「水から上がって来た『蠢く骸骨スケルトン』共は全て討滅。

甦りし屍ゾンビ』達も一匹残らず『自壊』。

まだ、水底に隠れている『不浄なる者アンデット』が居るやもしれんが、それを調査するだけの余力がこの帝都にはもう残されておらぬ。

連中の信じがたい行為でっ!多くの騎士たちがっ!

死者こそ出なかったが、実に28名の騎士が精神を病み治療院送りにされたっ!

更に81人が何らかの形で心に傷を負わされて、医師にかかっておる!

帝都民まで含めれば、どれだけの被害が出たか分からんほどだっ!」


 アーノルドの憔悴の原因は、その重責だけではない。

 彼もまた、『不浄なる者アンデット』との戦闘においてその地獄のような光景を目にし、心に深い傷を負わされた一人である。

 彼等の守るべき『皇帝』が座す『帝都』。

 それを目の前で穢された。

 『不浄なる者アンデット』を操る者は、『人』などいつでも殺せると、こんな場所は何時でも廃墟に変えられると、近衛騎士団の矜持たる皇帝の、帝国の守護者としての誇りを徹底的に穢してみせたのだ。

 屈辱であった。

 戦って敗れたならば騎士として悔いなく逝けたであろうに、「貴様たちは無力だ」と敢えて無視され、見逃されたのだ。


「それで、結局どうなったのですか?」

「『蠢く骸骨スケルトン』共を排除し終えた頃には、帝都は『甦りし屍ゾンビ』共に穢されつくした後だった。

皆、その場で呆けてしまったよ。

人死が出なかった事よりも、誇りが、矜持が穢された事に耐えられなんだ。

完全に弄ばれた、完敗だった……。

そんな時、『アレ』が現れたのだ」

「『アレ』、とは?」

「『交渉旗』を掲げた『蠢く骸骨スケルトン』だよ。

誰もが目を疑ったよ。

不浄なる者アンデット』が『生者』と交渉だぞ?

馬鹿にするにも程がある、と怒り狂った者によりその『蠢く骸骨スケルトン』は即砕かれた。

が、そやつはカタカタと骨を鳴らしながら、討伐される前に私達の前に封書を投げてよこした。

……これがそれだ」

「……拝見いたします」


 アーノルドが使徒達に差し出したそれは、一枚の羊皮紙の書状であった。


 そこに書かれていたのはただの一文と、差出人の名。





『くたばれガイウス____ノア・ノルドハイム』





「ノア・ノルドハイム……彼がこれまでの件の首謀者なのですか?

そもそもこの人物、一体何者なのですか?」

「帝国北部のフェルステマン辺境伯家に仕えていた騎士爵家の若き当主らしい。

北部ではかなり有名な人物であったそうだ。

ティルティア死神の愛し子』『黒の厄災』『極北の黒い死神』『部下殺し』等、随分と物騒な二つ名で呼ばれる人物だったらしい」

「らしい、とは?」

「そやつはしばらく前に陛下の不興を買い、投獄された。

城内に『不浄なる者アンデット』が現れた際、看守や他の囚人たち共々『不浄なる者アンデット』と化し討伐された……という事になっていた」

「という事は、その人物の亡骸は誰も確認していない、と?」

「……そういう事になる」


 第三者として状況を俯瞰して見れば、嫌でもこの騒ぎの本質が見えてくる。


「これまでの一件は、そのノア・ノルドハイムなる人物が投獄された際に何らかの要因で理性を保ったまま『不浄なる者アンデット』と化し、皇帝陛下に対する復讐の為騒ぎを起こしたのだ……と?

……それを陛下はご存知で?」

「貴殿は、『教皇猊下に恨みを持つ者が『不浄なる者アンデット』と化し、大聖堂を襲撃しております』と猊下の前で報告できるのか?」

「………………無理、ですね」


 使徒フラウスはアーノルドからの問いに長考してみたが、結論は否だった。

 皇帝と教皇では比較対象としてどうかと思わなくもないが、言わんとする事は分かる。

 叱責が恐ろしいというより、己が心から忠誠を捧げる相手に対し「アンタが恨まれてるせいで皆迷惑してますよ」などと言いたくないし、言えるわけもない。

 いずれ何処からか伝わることかもしれないが、ただでさえ燃え盛っているであろう皇帝の怒りに、わざわざ油を注ぎ込むなど道化でも試みたりはしないだろう。


 それにしても、皇帝ガイウスはこのノルドハイムという人物に何をしたというのだろうか?


 『生者』が死後『不浄なる者アンデット』に堕ちるなど、普通ではありえない。

 恨みを買うにしても余程の恨み、憎しみが必要になる。

 それこそ一族郎党皆殺しにした上に地位も名誉も奪いつくし、人としての尊厳すら奪うくらいの事をしてもなお、人の『善性』は穢されたりはしないものなのだ。

 投獄された場所に、何か問題でもあったのだろうか?


 それとも……何か別の要因があったのだろうか?


「ともかく、帝都内の何処に『不浄なる者アンデット』が潜んでいるか分かりませんし、そのノルドハイムとやらが再び民衆に害をなすやもしれません。

早急に帝都全域を神聖術で浄化し、『不浄なる者アンデット』祓いの結界を設置いたします」

「よろしく……よろしく、お願いいたします……!」


 憔悴しきったアーノルドの姿に憐憫を覚えつつ、次の日から使徒達は帝都の浄化に動き出す。

 懸念されていたノア・ノルドハイムの動きは一切無かった。

 あまりにも事が起こらなさ過ぎて不安に駆られるほど、帝都は平和であった。


 それでも人々の心に傷痕は深く残る。


 戦略級神聖術の大結界が帝都に張られてもなお、人々に笑顔が戻る事は無い。


 騒ぎの元凶が未だ討滅されていないのだから、それは当然と言えた。


 人々は噂する。

 全ての元凶は皇帝ガイウスにあるのだと。

 全ての騒ぎは「皇帝憎し」と行われた行為なのだと。


 吟遊詩人は密やかに歌う。

 首謀者の名はノア・ノルドハイム。

 暴虐なる皇帝に愛する妹を殺され、人としての尊厳すら奪われ、『人外』に堕ちた復讐鬼。


 怨霊悪霊亡者を率い、死者の軍勢束ねるその名は、骸冠する『死屍しかばねの王』。


 皇帝への復讐が果たされるまで、彼の『呪い』は帝国に住まうあらゆる『生者』を蝕み続けるだろう____と。


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