【34】愚か者たちの終焉

「余は法王イェルダード8世。――ログルムント王家からの直訴を受け、忍びにて査察に参った」


ディオンとエミリアを始めとした使節団の面々は、ひざまずいて老人に深く首を垂れていた。

皇帝は「ひっ……」と声を漏らし、衛兵たちは槍を持ったまま困惑している様子だ。


場の空気が変わったことに気づかないカサンドラは、なおも老人を罵倒し続けた。

「神官風情がなにを訳の分からないことを! さっさと消えなさ――」


「カサンドラ、黙れと言っておるのが分からんのか!!」

皇帝は転がり落ちるように玉座から降りると、蒼白な顔で老人の前にやってきた。カサンドラの頭を押さえつけ、深く頭を下げさせる。


「な、なにをなさるのですか父上!」

「まだ気づかんのか!? こちらに御座すは法王猊下――この大陸の心臓部にて、法を定め秩序を守るお方であらせられるぞ!!」


カサンドラは呆けた顔をしていた。この老いぼれが? といわんばかりの目で老人を見つめ、ようやくピンときた様子で顔を恐怖に歪ませる。


「っ……! ほ、法王猊下!」

平伏したカサンドラの隣で、皇帝は衛兵たちに向かって声を張り上げる。

「衛兵、ただちに槍を納めよ!」


法王は、嘆かわしげに首を振っていた。

「西側諸国の統括者であるはずのレギト聖皇国が、これほどまでに腐敗していたとはな。――皇帝アレハンドロ=ツァネ・レギトよ」

「……はい」


「聖女能力保有者を、レギト皇家がすみやかに保護して法王に報告する。そして法王がその者を承認し、聖女としての役目を与える――それが大陸法の定めであるはずだ。なのになぜ、そなたは報告しなかった?」


「そ、それは……」

青白い顔で言いよどむ皇帝を、法王は感情のこもらない目で見つめている。

「ことの仔細は、このエミリア・ファーテとディオン=ファルサス・ログルムントの両名より聞いておる。言い逃れが出来るとは思うまいな?」



水を打ったような静寂。

その沈黙をうち破ったのはカサンドラだった。



「…………………………おかしいですわ」

声を絞り出し、カサンドラは反論に出ようとする。


「ここに法王猊下がいらっしゃるなんて、絶対におかしいです! さてはこの老人、法王の替え玉なのでは?」

カサンドラの声を聞き、皇帝も再び勢いづいた。


「たしかにカサンドラの言う通りだ。大陸西部と法王領は、危険な巨大砂漠キサド・ドラグネで遮断されている。法王領への往来が可能なのは、魔法障壁で構築された交易路を保有するレギト聖皇国のみ! 他国から法王領へ行くなど、絶対に不可能だ!!」


皇帝は、ディオンを睨みつけた。

「……わしを陥れるために、法王の替え玉まで用意するとはな。しかし、わしは騙されんぞ!?」


ディオンはゆったりと首を振っていた。

「いや、こちらは紛れもなく法王猊下だ」

「まだ言うか! では、貴様はあの巨大砂漠キサド・ドラグネを越えたというのか? あの魔獣と蛮族の巣窟を? 焼けつく暑さと夜の極寒に耐え、視野も保てぬ砂嵐を抜けて?  そんなことは不可能だ!!」


「越えたんだよ。多少は危険な思いをしながら、片道1か月ほどかけて砂漠を越えた……意外と、なんとかなるもんだったぜ?」

「なに!?」



「『砂の民』の力を借りたら、なんとかなった」



砂の民。

蛮族と知られる彼らの名を聞いて、皇帝は怪訝な顔をする。


「俺は日頃から、砂の民とは懇意にしてるんだ。俺は砂漠には不勉強だが、彼らにとっては『自分の家』だ。彼らに幾度も助けられ、エミリアと一緒に法王領まで行ってきた」

「………………なっ!?」

「法王猊下が寛大なお方で助かった。事のあらましを伝えたら、『レギト聖皇国の現状をこの目で確認したい』とおっしゃってな」


「……と、ということは、このお方は…………本物、?」


皇帝が、力が入らない様子でへなへなとくず折れる。



「そ、そんな――嫌だ、わしは…………わしは……。法王猊下! わしの独断ではありません、すべては我が息子ヘラルドの甘言が原因なのです!」


玉座の傍らで呆然と立っていた皇太子ヘラルドが、「え!?」と声を裏返らせる。

「な、なにを仰るのですか父上!?」

「黙れヘラルド! エミリアをカサンドラの身代わりにしたのも、ログルムントの竜化病患者を受け入れ拒否したのも、すべてお前が原因ではないか!」

「あなた!? 息子に罪を着せようだなんて、あんまりですわ――」

「うるさい! お前は皇后でありながら、何の役にも立たない無能女のくせに!」

「なんですって!?」

醜くののしり合う皇家一家を冷たく眺め、法王は静かな声で断罪した。


「皇帝アレハンドロ並びに皇家一同よ。そなたらの悪事はこの法王イェルダード8世が見届けた。大陸法の定めによって、然るべき罰を与えよう。追って沙汰を下すので、覚悟するがよい。…………逃げられるとは思うなよ?」


法王は呟いた。

「しかし、聖皇国を信頼しすぎた余にも責がある。今後は東西南北それぞれの皇家に目を光らせつつ、各地諸国とも交易の手段を作ろう。――エミリア・ファーテよ」


ふと、法王は穏やかな目をしてエミリアを振り返った。エミリアが、深い一礼で応える。


「長きに渡る不遇の日々、大儀であった。そなたとログルムント王国王弟ディオンの機転に救われ、西の聖皇国の実情を知る機会を得た――礼を言うぞ」


「お言葉、光栄でございます。猊下」

「そなたに、聖女の承認を与えよう――そなたはこれより『聖女エミリア』だ」


……聖女エミリア。


エミリアは、目を輝かせて顔を上げた。

「私が……聖女?」

「いかにも。民を救い、大陸の秩序を守る聖女として、その力を存分にふるっておくれ」


「ありがとうございます!」

声を震わせるエミリアの隣で、ディオンも幸せそうに微笑んでいる。


「ログルムント王国王弟ディオン。聖女エミリアを支えてやって欲しい」

「喜んでお受けいたします。法王猊下」


エミリアとディオンは、互いを見つめ合って笑った。

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