【21】ダフネとサラの密告
ディオンの執務室で、ダフネは淡々と「独り言」を話し続けた。
メアリの名は偽名であり、本当は「エミリア」だということ。
エミリアは「聖女の力」を持っているが、非公認なので聖女を名乗れないこと。
カサンドラと背格好や年齢が同じだったため、変装をして『聖女カサンドラ』として働かされていたこと。
――それらは、ディオンが既に知る内容だった。
さらに続いたダフネの言葉に、ディオンは眉をひそめる。
「私は、皇家の擁する暗殺者集団――「皇家の陰」に属する者。皇女カサンドラの配下でしたが、命令を受けてエミリア様の監視役となりました。表向きは、エミリア様の侍女兼護衛とされていましたが」
「…………」
「エミリア様は偽聖女として働くとき以外、皇城内の塔に閉じこめられていました。外出できるのは聖女カサンドラの替え玉を演じるときだけ。……とてもひどい扱いでしたが、エミリア様は不満な素振りも見せず楽しげに偽聖女の役目を果たしていました。正直、私にはエミリア様がなぜ笑っていられるのか理解できません」
ディオンは思った――たぶんエミリアは、その暮らしを不条理だと思わなかったんだろうな、と。事実、8年前のエミリアはディオンに「ニセモノでも本物でも構わないから人助けがしたい」と笑顔で答えていた。
「エミリア様は偽聖女として人々を支え、そして人々はカサンドラを賞賛しました。本物のカサンドラにとって好都合なはずですが、なぜかカサンドラはエミリア様を妬んだのです――『替え玉の分際で、調子に乗るな』と。本当に無茶苦茶な女だ……」
そして、エミリアは投獄された。
「カサンドラはエミリア様の処刑を望みましたが、皇帝の承認が得られなかったため秘密裏に私に命じたのです。――エミリア様を脱獄させ、外で殺せと。自由への希望を持たせてから、絶望の谷底に突き落とせ、と」
ダフネは無表情だったが、静かな怒りが剃刀色の瞳の中で燃えていた。
「私は従うふりをして、エミリア様と逃亡しました。そしてカサンドラを裏切り、この国まで逃げた……念のためエミリア様にそっくりな死体を作って、死を偽装しておきました」
ディオンの顔が険しくなった。
(……死体を作る!? まさか、エミリアと似た年頃の娘を殺した訳じゃないだろうな)
ディオンの態度を見て、ダフネは首を振った。
「誰も殺しておりません。もしも彼女が知ったら、ひどく悲しむでしょうから。……墓場の死体を漁ったので「許されざる行為」ではありますが、多少はご容赦いただきたい」
ダフネはどこまでも冷静だ。
「そして現在に至ります。殿下のおかげで、エミリア様はようやく穏やかに暮らせるようになりました。……なのに彼女は、困っている人を放っておけないんです。能力を隠してのんびり生きればいいのに、ついつい力を使ってしまう。まったく、仕方のない人です」
ダフネは溜息をついた。しかし、どこか幸せそうでもある。
「エミリア様が偽聖女として働き続けていたと知る者は、レギト聖皇国の皇帝、皇后と皇女カサンドラ、皇太子ヘラルド、主神殿の神官長、そして私のみです。エミリア様は隠されていた存在でしたから、ほとんど顔が割れていないのは不幸中の幸いと言えるでしょう。……話は以上です」
メアリ様を、どうかよろしくお願いします――と言って最敬礼をしてから、ダフネは退室していった。
「……ふぅ」
ディオンの口から思わず溜息が漏れる。
(エミリアが密入国してきた経緯が分かったが……まさかここまで手ひどい仕打ちを受けていたとは)
エミリアを守りたい。ここから先の人生は、思い切り幸せにしてやりたい。――ディオンはそう願うばかりだ。
(……そのためには。さて、どうするかな?)
彼女は、人助けに生き甲斐を感じているのだ。
だから目の前に困っている人がいると、がまんできなくなってしまう……地下牢に忍び込むような無茶をしてでも、助けたくなってしまう。
(要するに『聖女の力』を他人に悟られずに、人助けできればいいってことだな? だとすると、俺ができることは……)
そのとき、再びノックが響いた。ダフネの鋭い叩き方とは違う、女性的なノック音だ。
入室を許可すると、しずしずと侍女のサラが入室してきた。
サラは、この屋敷に長く勤める侍女である。ディオンと同じ年齢で、よく気が利く有能な女性だ。
普段のサラは清楚な笑みを浮かべて用件を伝えてくるのだが。……今日のサラは、どこかが違う。
媚び入るように距離を詰めてくるサラに、ディオンはわずかな嫌悪感を覚えた。
「メアリ奥様のことで、大事なお話があります」
「……メアリのこと?」
「ええ。奥様に不貞のおそれがあるのです」
「不貞?」
ディオンは眉をひそめた。
「どういうことだ」
「メアリ奥様には、愛し合う男性がいるようです。うたた寝をしながら、愛しそうに男性の名を呼んでいました……まったく、汚らわしい。男性からの贈り物を、大事そうに握り締めていました」
(……!? エミリアには好きな男がいたのか? そんなこと、考えてもみなかった)
自分の胸の痛みに気づき、ディオンは戸惑った。
ショックが顔に出ていたらしく、サラが哀れむような表情をしてきた。
とっさに、ディオンは平静な態度を装う。
「……話が済んだなら退室してくれ」
「いいえ、まだお話があります。不貞の証拠を手に入れたので、ご覧ください」
ねっとりとした笑みを浮かべて、サラは一粒のイヤリングを執務机の上に置いた。
ディオンがそれを見て、目を見開く。
「これは……!」
ディオン自身が、8年前エミリアに贈ったイヤリングだった。
「メアリ様はそれを握りしめて、幸せそうな顔で眠っていました。愛する男性に贈られたものであることは、態度から明らかです)
「愛する……男性?」
「ええ! メアリ様は夢うつつに「ルカ」と囁いていました。イヤリングの持ち主である「ルカ」という者を愛しているに違いありませんわ!」
「!? まさか、そんなことは」
「いいえ、絶対に愛しているはずです!!」
ディオンは動揺を隠せない。
(エミリアが、
実際に「変態」とまで言われたか定かではなかったが、ディオンはひどく混乱していた。
口元を手で覆って黙り込むディオンを見て、サラは彼がショックを受けていると勘違いをしたようである。
サラはディオンに近寄って、いたわるように微笑した。
「おかわいそうなディオン殿下。あのような平民女はお捨てになって、新しい妃を迎えてはいかがです? あなたに相応しい女性は必ずほかに――」
「返してこい」
堅い声音で、ディオンは命じた。
「え……?」
「メアリに今すぐそれを返してこい!」
「ひっ!?」
いきなり怒鳴られて、サラはすくみ上がった。
「早く行け!!」
「は、はい」
ディオンの剣幕に圧されて、サラはあたふたと退室していく。
ひとりきりになったディオンは、脱力して執務椅子に身を沈めた。呆然として、天井を仰ぐ。
(エミリアがルカを覚えていただけでも、想定外だったのに。まさか
思考がまとまらず、頬がやたらと熱くなる。
(しかもエミリアは、「ルカ」が俺だと気づいていない。……俺はどうしたらいい? このまま「ディオン」で通せばいいのか? それとも「ルカ」だと明かすべきか?)
答えの出ない問いかけを頭の中で繰り返しながら、ディオンは天井を睨み続ける。ずいぶん長く悩んだ末に、出した結論は、こうだった。
(やっぱり、俺から余計なことを言うのはやめよう。エミリアが気づくまで、今まで通りに振る舞うのが一番だ……)
===ここまでのストーリーを2024/1/23以前に読んだ方へ===
● 過去分の話の微改稿を行いました。
● ストーリーはまったく変わりません。
● 地理情報を追加。文章のもっさり部分を削除。
● 以下の地理情報が整理・追加されています。
↓↓↓
・この大陸は、翼を開いた竜の亡骸が海に浮かんだような形をしている。
・エミリア達のいる西側諸国は『左側の翼』部分にあたる。
・『翼の付け根』にレギト聖皇国がある。
・竜の『体』の部分は危険な砂漠(
・砂漠の中央にあるオアシス帯が法王領。
・
・唯一行き来できるのは、魔法障壁で守られた交易路を独占所有する、レギト聖皇国のみ
地図を作りたいところですね!!
ちょっと作図のセンスがないのが残念です。
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