【22】一方、レギト聖皇国では④
――レギト聖皇国、皇城にて。
(どうして何もかも上手く行かないのかしら!? わたくし、もうこんな暮らしには耐えられない……聖女になんて生まれなければ良かった!)
カサンドラは激務の末に体調を崩して、寝込んでいる。……というのは真っ赤な嘘だ。実際はただの仮病である。
自室に引きこもって頭から布団をかぶり、イライラしている真っ最中だ。
聖女の仕事は、先週からずっとサボっている。
巡礼者たちへの「癒し」は神官たちに代行させ、「竜鎮め」は完全にストップさせていた。
(もう嫌、もう嫌!! 竜鎮めなんて怖いし疲れるし、もう絶対にやりませんわ!)
国内の竜化病患者が5人ほど皇都の主神殿に送り届けられていたが、それらの患者は全員神殿内で待機させられている。ちなみに、隣国ログルムントからの患者の受け入れ要請も、なんだかんだと理由をつけて先延ばしにしていた。
(やはりわたくしのような高貴な者には、聖女の現場仕事なんて向いていなかったのね……。悔しいけれど、父上たちの言うとおりでしたわ。まぁ、このまま仮病を貫いていれば、いずれ他国派遣中のほかの聖女たちが呼び戻されてくるでしょう)
大陸西部には現在9人の聖女がおり、全員がレギト聖皇国出身である。
カサンドラ以外の聖女は他国に派遣されていて、派遣先で聖女業務を行っている。
身も蓋もない言い方だが、レギト聖皇国は聖女のレンタル
国土が狭くて資源が乏しく、軍事力も低い……そんなレギト聖皇国がこの西側諸国のなかで圧倒的な発言力を持っているのは、西で唯一の『聖女産出国』であるからだ。
創世神話にある通り、聖女は聖皇国からしか生まれない。
聖女は国と国とのパワーバランスを左右する重大な人的資源なのである。
(あぁ、早くほかの聖女が呼び戻されてこないかしら! 父上は「レンタル中の聖女を無理に引き上げると相手国との関係が悪化するから、すぐには難しい」とおっしゃっていたけれど……。わたくし、いつまでも仮病で寝込んでいるのは嫌ですわ!)
カサンドラは、どこまでも自分本位であった。
(こんな事になるなら、エミリアを殺さなければ良かった……。一生働かせるのが正解でしたのね。わたくしったら、どうして判断を誤ったのかしら)
布団をかぶって一人悶々と考え続けているカサンドラに向かって、柔らかな男声が投じられた。
「辛そうですね、カサンドラ様。大丈夫、必ず元気になりますよ。僕はいつでもあなたを支えます」
カサンドラは、舌打ちしたい気分になった。
朝からずっと、婚約者が部屋に見舞いに来ていたからである。
レイス・ドルード――公爵家の次男で、甘いマスクの好青年だ。
以前のカサンドラは「レイスが夫なら、悪くない」と思っていた。だが今は不快でたまらない。
エミリアを排除するきっかけとなったのが、レイスの言動だったからだ。
カサンドラの胸の内も知らず、レイスはねぎらいの声をかけ続ける。
「僕も国民も、聖女カサンドラ様の回復を心から祈っています。聖女姿のあなたを思い浮かべるだけで、僕は胸の高鳴りが止まりません。あの美しく、神々しい聖女カサンドラ様の活躍を――」
レイスはうっとりした顔で、聖女カサンドラを誉め続けた。カサンドラを励まそうという気持ちからだが、彼女にとってはむしろ『傷口に塩』である。
「……お黙りなさい」
「え?」
「その口を閉じろと言っているの!!」
布団を跳ね上げ、カサンドラは真っ赤になって怒鳴った。
レイスはぽかんとしている。
「聖女聖女とうるさくてよ!? あなたのせいで、私は取り返しのつかない大失敗をしてしまったの! 責任をとりなさい!」
「せ、責任? いったい何の……」
「あなたなんて嫌いです!! 真実のわたくしを見ようとしないあなたは、夫に相応しくありませんわ」
「落ち着いてください、カサンドラ様……」
「出て行きなさい!! あなたとの婚約は破談です!!」
彼女がヒステリックに呼び鈴を振ると、部屋の外に控えていた護衛の騎士が入室してきた。
「レイスをつまみ出しなさい! それから父上を呼んで頂戴!!」
「かしこまりました」
護衛騎士は、呆然とするレイス連れ出していった。
しばらくして、皇帝が困り顔で現れる。
「カサンドラよ、ドルード公爵令息との婚約を破棄とはいったい何事だ?」
「レイスが悪いのですわ!」
カサンドラは泣きじゃくりながら、自分に都合の良い説明をし始めた。
「レイスは『聖女としてのわたくし』……つまりエミリアに恋していたのです!」
「な、なんと。それは誠か!?」
「はい。レイスを婚約者に据えていたら、遠からず替え玉だったことがバレてしまいます。だからこそ、彼との婚約は破棄せざるを得ません」
「よし、分かった。ドルード家には、レイスの不敬を口実にして破談を宣告しよう。……まぁ、ドルード家は公爵家のなかでは末席だし、皇家にとって利益の薄い縁談だったから破談にしても問題なかろう」
この父親は、
聖女業務をサボり続ける
「しかしレイスとの婚約を解消するなら、代わりの婿を探さねばなんな。優秀で国益につながる婿が良いのだが……そんな男がおるだろうか?」
「! でしたら、わたくしに心当たりがありますわ!!」
カサンドラは目を輝かせた。
「ログルムント王国のディオン王子が良いです! 子どもの頃に何度か会ったきりですが、わたくし、彼を気に入っておりましたの。気品があって、美しくて! それに隣国の王家と縁付けば、国益に直結しますでしょう!?」
皇帝は眉をしかめて言いよどんだ。
「……ディオン王子だと? いや、しかし、彼はもう……」
「彼はもう王子ではなく、今は王弟だと言うのでしょう? もちろん存じていますわ!」
難色を示す皇帝に、前のめりの姿勢でカサンドラは言い募る。
「五、六年前に幾度も婿入りを打診していたものの、そのたびに『王位継承権二位の王子を婿入りさせることはできない』と辞退されたのでしたわね。でも、今は状況が違いますでしょう? ヴィオラーテ女王が即位して、女王は子どもも生んでいるから継承者候補は沢山いますもの!」
――そう。
カサンドラは幼い頃、ディオンに片思いをしていたのだ。
彼に婿入りするようレギト皇家からログルムント王家へしつこく打診していたが、王位継承候補であることを理由に断られ続けていた。
そして結局、カサンドラの適齢期を考慮して
「それで、ディオン殿下は今、どうしているのです!?」
怠惰で自分のことにしか関心のないカサンドラには、情報収集に疎かった。
しかもディオンとの結婚を諦めた時点で、彼への興味も一度は失せていた――だから、彼が最近結婚したことなど知る由もない。
皇帝は口ごもっていたが、やがて言い出しにくそうにして言葉を絞り出した。
「………………結婚したぞ」
「なんですって!?」
夢見る乙女のような表情をしていたカサンドラの顔が、醜く引きつった。
「結婚はつい最近のことだ。王弟ディオンは平民女に熱を上げて、妃にしてしまったらしい。……昔は理知的な王子だったが、いつのまにやら無能に成り下がっていたようだな。こんな結婚はログルムント王家のスキャンダルだから、公的な話題としても避けられているし婚姻祝典も催されていない」
「な、なな、な………………なんなんですの、そんなバカげたことがありますか!?」
カサンドラはワナワナと震えながら、声を裏返らせた。
「事実なのだから、仕方あるまい。わしとて、ディオンが未婚だったら是非とも婿に迎えたいところだ――ログルムントは温暖な気候と肥沃な大地に恵まれた大国だからな。あの国の鉱山資源も、喉から手が出るほど欲しい。婿入りを機に両国間の関係を密に、ひいてはログルムントを従属国に据えられたらどれほど良いだろうか……」
カサンドラも皇帝も、それぞれ不満そうに顔を歪ませていた。すると――
「父上。それならば、ディオンをカサンドラの婿にしてしまえばよいではありませんか」
唐突に、部屋の入り口で声が響いた。
カサンドラによく似た面立ちの美青年――皇太子ヘラルドである。
「兄上!?」
「ヘラルドよ。そなた、いつから入室していたのだ!?」
「一応ノックはしましたよ? 大声を張り上げて盛り上がっていた父上とカサンドラには聞こえなかったようですが。……まったく、国政に関わることを大声で話し合うのはやめていただきたい」
ふぅ――。と、嘆かわしそうに溜息をつきながら、ヘラルドは皇帝たちのすぐ近くまでやってきた。
「まったく。レイス・ドルード侯爵令息との婚約破棄といい、聖女職務の怠慢といい、カサンドラには困ったものだ。父上はカサンドラを甘やかしすぎですよ? しかし――」
涼やかな美貌にずる賢そうな笑みを浮かべ、声を落として彼は囁く。
「父上のお考え通り、ディオンを婿に引き入れればログルムントの属国化が将来的な視野に入り、我が国の利益となります。だからこそ、ぜひ実現させたいところ――そこで僕に妙案があります」
「しかし、ディオンは結婚しているではないか」
「離婚させれば済む話です」
ヘラルドは即答した。
「相手の女は平民なのでしょう? 何の後ろ盾もないのだから、排除するのは簡単です。あからさまに皇家が圧力を加えたら体裁が悪いですから、こっそりと裏で手を回しましょう。……【皇家の影】を数名、僕に貸してください」
「ああ。かまわぬが……」
「ログルムント貴族に、僕が懇意にしている者がいます――その者に【影】を預けて動かそうかと。平民女について探らせ、タイミングをみて排除させます。それと同時進行で、カサンドラとディオンが接触する機会を作りましょう」
皇帝とカサンドラは、要領を得ずに首をかしげている。
「……どういうことですか、兄上?」
「ディオンをこの国に招いて、カサンドラと親交を深めさせるのさ。そして結婚につなげるんだ」
「ディオン殿下に会えるんですの!? でも、どうやってお招きするのですか?」
喜ぶカサンドラに、ヘラルドは釘をさす。
「おいおい。お前は『病人』なんだから、そんなに元気に振る舞うんじゃない。いいか? ――カサンドラは聖女の激務に疲弊して、寝込んでしまったんだ。だから、ディオンに見舞いに来させる。ログルムントに使者を送って、見舞いに来るよう要求するのさ。そして、見舞いに来たディオンとお前は心を通わせる――カサンドラは気力を取り戻して元気になる。そして再び、聖女として元気に働けるようになる」
「……え?」
ヘラルドは出来の悪い生徒に教える教師のような目つきで、説明を加えた。
「カサンドラ。僕の采配によって、お前は好きな男と結婚できるようになるんだぞ? 僕に恩義を感じるのなら、今後はまじめに聖女の仕事をこなせ。偽聖女エミリアを失った以上、聖女をするのはお前の責任だ」
「……う、」
気まずそうに、カサンドラが口をつぐむ。
「お前が聖女の仕事をしないと、レギト皇家の評判が落ちるんだよ。些末な業務は神官にやらせても良いが、聖女にしか出来ない業務はお前がしろ。Yesと言わないのなら、僕はお前の結婚に協力しない」
「……ぅ、う……わかりましたわよ!」
観念した様子でカサンドラがうなずいた。
皇帝は目を見開いて、ヘラルドに拍手を送った。
「ふむ、見事な手腕だヘラルド! カサンドラに聖女の仕事をさせると同時に、ログルムントとの外交まで推し進めるとは……! お前はやはり頭が良いなぁ!」
「今後の方針が決まって、僕も安心しましたよ。それではひとまず、ログルムント王国のヴィオラーテ女王に書簡を送りましょう――『病床の身にある聖女カサンドラが、ディオン殿下との面会を望んでいる』と。『病状が重くて回復するまでは貴国からの【竜鎮め】を受け入れることができない』とも明記しておきましょう」
要するに、遠回しな脅しだ。
ディオンを寄越さないと、竜化病患者を治してやらないぞ、という脅迫である。
「よし、分かった。ヘラルドの提案通り、今すぐ女王に書簡を送るとしよう」
涼やかに微笑しながら、ヘラルドは心の中で悪態をついていた。
(……まったく、無能な家族を持つと苦労が絶えないな。この国は将来僕が治めるのだから、今から備えをしておかないと。せっかく影を送り込むなら、王弟妃の暗殺だけでなく国内情勢も探らせておくか)
ディオンを想って胸をときめかせている皇女カサンドラ。
ログルムントの属国化を狙って浮かれている皇帝。
悪知恵を働かせて地盤固めを図る皇太子ヘラルド。
三者三様の思惑で、彼らはほくそ笑んでいた。
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