【20】明かされてゆく事実

真夜中の地下牢に忍び込んだ翌朝のこと――。

エミリアは、屋敷から出発するディオンを見送ってから、自室に戻った。

ソファにもたれてぐったりとする。


「……はぁ。予想外なことばかりで、頭がぐちゃぐちゃになっちゃった。でもマルクを治せたのは、本当に良かったわ」


『竜鎮め』の後に魔力が尽きて睡魔におそわれ、目覚めたときには夜が明けていた。


ディオンはついさっき、屋敷から出ていった。領内の神殿に、マルクの件で相談しに行くそうだ。


(これからマルクはどうなるのかしら。発病を目撃していた人は大勢いたから「ただの間違いで、実際には竜化病ではなかった」と言い張るのは不可能だわ)


聖女不在のこの国では、竜化病患者を治すには隣国レギトに患者を移送するしかない。だから、たった一晩でマルクの竜化病が治るなんて絶対にありえないことなのだ。


(……でも、ディオン様は「後のことはすべて任せろ」と言ってくれた。今はディオン様にお任せするしかないわ)

彼の笑顔を思い出すと、ふしぎと安心感が湧く。低くて伸びやかな彼の声は、思い出すだけで心地よい。

安心感に包まれるうち、瞼が重たくなってきた。


(……また眠くなってきちゃった。そういえば、竜鎮めのあとはいつも眠くなるんだっけ。たまに、疲れて居眠りしてた。ルカのときもそうだったなぁ)


――ルカ。


エミリアは眠い目をこすりながら立ち上がり、机の引き出しをあけた。海色の石がはまったルカのイヤリングを、大切そうに取り出す。


「もう、ルカったら。……内緒にするって約束してたのに、私のことをディオン様に言うなんて。ずるいよ」


たしなめるように指先でチョン、とイヤリングをつついた。


(……でも、ルカがディオン様にバラしてくれて良かったのかもしれない。おかげで、マルクをこんなに早く助けてあげられた)


ルカに怒りたいような、感謝したいような、自分でもよくわからない気持ちだ。


(ルカとディオン様が知り合いだったなんて、すごい偶然。……二人はどういう関係なのかしら?)

瞳の色が同じだし、面立ちもどこか似ている。親戚同士なのかもしれない。


8年前に出会ったルカは、誰彼かまわず秘密を言いふらすような軽薄な子には見えなかった。

真面目で責任感があって、ちょっと気が弱そうな少年だ。エミリアと同じくらいの背丈の小柄な子で、女の子のように透き通った声をしていた。



うとうとと眠くなってきたので、イヤリングを持ったままソファに身を沈めた。

ルカとディオンの関係性について思いを巡らせているうちに、そのまま眠ってしまった。


 


1時間ほど経ったのち、部屋の外からノックが響いた。エミリアは熟睡していて、ノックの音には気づいていない。

しばしの沈黙を挟み、静かに扉が開いた。入室してきたのは侍女のサラだ。

「奥様。失礼します、お茶の用意ができておりますが?」


許可を得ずに入室するなど、本来ならばマナー違反だ。

だが、サラは勝手に部屋へと入っていった。女主人であるエミリアを完全に舐めきっているからである。


ソファですやすやと寝息をたてているエミリアを見て、サラは不機嫌そうに眉をしかめた。


(……やっぱり部屋にいるじゃない。昼前から居眠りなんて、本当にたるんだ女。なんでこんな平民女に仕えなきゃいけないのかしら?)


何の取り柄もない平民のくせに、ディオン殿下の妻の座を射止めるなんて許せない――と、サラはいつも思っていた。


サラはフィールズ子爵家という貴族の四女である。

フィールズ家はグスマン侯爵家の流れを汲む貴族であり、子爵家ながらも歴史が古い。だから、自分の方がエミリアよりも優れているとサラは信じて疑わない。


近年フィールズ家の経済状況が芳しくないため、サラは適齢期を過ぎても嫁ぐことができずにヴァラハ領主邸の侍女として働き続けていた。


(私は、ディオン殿下がヴァラハ領にいらしてから3年間、ずっとおそばで仕えてきたわ。だからメアリより私の方がディオン殿下のことをよく知っているし、殿下を強くお慕いしているのに……憎らしい!)


私の方がディオン殿下にふさわしい――そんな思いを抱きかけ、しかしサラは首を振った。


(いいえ、私は愚かなメアリと違って、身の程をきちんと弁えているわ。だから身分不相応な結婚なんて望まない。でもせめて侍女として、殿下にふさわしい奥様にお仕えしたいわ……!)


身の程知らずなメアリではなく、王弟殿下に釣り合うような高貴な女性に仕えたい――そんな風にサラが願っていたちょうどそのとき。

眠っているエミリアの掌から、何かがこぼれ落ちた。絨毯の上に落っこちたそれを拾い上げ、サラは眉をひそめる。


(――このイヤリングは?)


海青石のイヤリングが、片方だけ。

デザインは、明らかに男性ものである。


(ディオン殿下からいただいたのかしら。ふん、忌々しい!)


メアリが居眠りしている隙に、こっそり盗んでしまおうか。きっと大慌てするに違いない。

そんなことを思っていたとき、エミリアがむにゃむにゃと寝言を呟いた。

「……んぅ、…………ルカ……」

サラの顔が憎悪にゆがむ。


(ルカ? ルカって誰よ!? まさかこの女、別の男と浮気をしてるの!? 許せない! ………………いえ、むしろこれはチャンスかもしれないわ)


サラは悪魔の笑みを浮かべた。


(このイヤリングを証拠にして、殿下に浮気を密告してやりましょう。殿下に愛想を尽かされて、屋敷から追い出されるメアリの姿が目に浮かぶわ……!)


殿下が屋敷に戻られたら、すぐに密告しなきゃ――愉悦に顔をゆがませながら、サラはイヤリングを握り締めて部屋から出ていった。



   *


その日の夕方、ディオンは神殿から屋敷に戻ってきた。

執務室で書類仕事を片づけながら、今日一日の出来事を思い返す。


(正気を取り戻したマルクを、無事に神殿に預けられて良かった。状況が落ち着くまでロッサ達も神殿で保護することになったから、とりあえずは一安心だな)


自分の発病を知ったマルクは混乱していたが、すぐに家族との再会できたため平静を取り戻してくれた。


竜化病患者は、治った後も差別的な目で見られることが少なくない。「化け物」として恐れられ、社会に拒絶されてしまう。

神官たちが「竜化病は治る病だ」と啓発しても、やはり人々は竜化病に罹かった者を侮蔑する。ディオン自身も、父母から冷たい目を向けられた。


自分の過去を思い出し、ディオンはため息をついた。


(マルクと家族は、ほとぼりが冷めるまで神殿に匿うことにしよう。マルクの竜化病に関しては一切の情報を伏せるが、目撃者が多数いたから元の場所で暮らすのは難しいだろうな……竜化病に偏見を持つ者が多すぎる。折を見て、領内の別の町で新しい暮らしを送れるように提案するか。今後も、手厚く保護しなければ)


今後のことに思いを巡らせていると、鋭いノックの音がした。


「入れ」

「はっ、失礼いたします」

ダフネが一人で入室してきた。

ヴァラハ駐屯騎士団の騎士服を纏った彼女は、ぴしりと最敬礼した。

「楽にしろ」

「畏まりました」

と言いつつ、ダフネは全く態度をゆるめようとしない。

その立ち居振る舞いは、軍人の鑑と言うにふさわしい。


(実際は軍人の暗殺者なんだろうけどな。毒を盛る手並みや昨晩の身のこなしは、暗殺者のそれだ。なぜ暗殺者がエミリアの従者をしてるんだ? ……いや、詮索するのはルール違反か)


「殿下。昨晩の非礼、何卒お許しくださいませ」

「はて、なんのことだか」


わざとらしく肩をすくめながら、ディオンは目をすがめた――昨晩のことは不問だと言っただろ? と言いたげな視線である。


しかし、ダフネは退かなかった。


「ディオン殿下に、私の知るすべてをお話しします。……我が主人の事実を」


ディオンは、険しい顔をする。


「聞かないと言っただろう? 過去や素性を問いたださないというのが、メアリとの約束なんだ」

「存じております。だからこそ、私は今から勝手に

「……?」

「私はこの場で、メアリ様の秘密を一人で勝手にしゃべります。それを殿下が耳にしても、詮索したことにはなりません」


ダフネの意図を理解して、ディオンは戸惑った。

「……なぜお前はをする気になったんだ?」


「ディオン殿下に守っていただくのが、彼女にとって一番安全で幸せな生き方だと確信した為です。殿下のご様子から察するに、ある程度はすでに、彼女の真相をご存じのようですが……私の情報も役立つはずです」


ダフネはその場にひざまずく。


「彼女は善良すぎて、人を疑うことができません。しかしそういうところも含めて、私は彼女を敬愛しております。彼女が平穏に生きるには、盾となる者が必要です。……ディオン殿下、どうか彼女をお守りください。そのために必要なことを、知っていただきたいのです」


彼女を脅かす者の正体を、私はすべてお話しします。――と、ダフネは真剣な目でディオンに告げた。

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