【13】偽聖女と王弟の……
――翌日。
「ディオン様。本当に行くんですか? デート」
「勿論」
外出の支度が済み、玄関ホールに立っていてもエミリアはいまだに現実味が湧かなかった。エミリアは薄桃色のふんわりとした外出用ドレス。ディオンはグレーの上下に艶のある黒のウェストコート。ふたりそろって完全にデート着である。
「似合うよ、メアリ。とてもかわいい」
「……」
エミリアは少し恥ずかしくなりながら、ディオンのそばまで歩み寄って背伸びをした。頭一つ分以上高い位置にあるディオンの耳に、そっと耳打ちする。
「ディオン様。このデートというのは、『対外的な仲良し夫婦を演じる』という契約内容の一環ですか?」
「違うぞ? 正真正銘、ただのデートだ。君は遊び方が分からないんだろ? だから俺が遊び方を伝授しようかと」
「そんなお気遣いは無用ですが」
「良いじゃないか、行こう」
ディオンはエミリアを屋敷の外に導いた。
馬車停め場では、すでに馬車の準備が済んでいる。
(困ったわ、私デートなんてしたことないし。ディオン様は素性も過去も一切問わないって言ってくれたけれど、挙動不審すぎて怪しまれたらどうしよう。うまい理由をつけて断れないかな……)
「でも、ディオン様。お出かけはまたの機会にしませんか? 視察明けでお疲れでしょう?」
「いや、視察明けはむしろ遊ぶのが俺の流儀だ。付き合ってくれ」
「えー……」
エミリアを馬車に乗せ、ディオンは後ろを振り返った。そこには、騎士服姿のダフネがすでに待機している。
「ダフネ。今日の護衛を頼む」
ディオンは、ダフネに歩み寄ってコソッと耳打ちをした。
「実際は護衛というより『保護者』の距離感で構わない。メアリがなにかと不安そうだから、そばにいてやってくれ」
「……御意」
眼光鋭く敬礼をしたダフネに、ディオンが涼やかな笑みを向ける。
「じゃあ、行こう」
ディオンが乗り込んだ馬車は、領主邸を出発した。
*
十数分ほど走った後、馬車は大きな広場で停まった。
ディオンにエスコートされて、エミリアは馬車から石畳に降り立つ。
「わぁ……」
道幅の広い通りには大勢の人が行き交い、大小さまざまな商店が並んでいる。
店の外観や街並みにはどこか異国情緒があって、エミリアの暮らしていたレギト聖皇国とは趣が違う。
自分は別世界に飛び込んだのだという実感が、改めてエミリアの胸に込み上げてくる。
ディオンはそっとエミリアの肩を抱き、ゆっくりと歩き出した。馬から下りていたダフネも、さりげなく離れて二人のあとから付いてくる。
「ディオン様……肩。私、エスコートとか要りません」
「なんで。夫婦だろ?」
「(こそっ)契約上のです」
「(こそっ)表向きは熱愛夫婦だ」
頬を赤く染めて気まずそうにしているエミリアを、ディオンは楽し気に見つめた。
「食いものと身を飾るもの、どっちが先に欲しい?」
「強いて言うなら食べもの一択です」
「ならこっちだ。行こう」
デートは始まったばかりだが、エミリアはすでに帰りたくて仕方がない。
(帰りたい。ボロが出て怪しまれる前に、早く帰りたい……)
彼女が冷や汗を流して深刻そうにうつむいていたので、さすがのディオンも少し気まずそうな表情になった。
「顔色が悪いな、そんなに嫌だったのか? それじゃあ、市場通りを少し案内するだけにするよ。どこにどんな店があるかだけでも知っておけば、君もダフネと気晴らしに外出できるようになるだろう?」
ディオンの目的はただのデートという訳ではなく、エミリアに土地勘を付けさせてくれるつもりだったらしい。
エミリアは、彼の気配りを知って申し訳なく思った。
「……お気遣いすみません」
「市場通りで軽く食事をして、君の腹がいっぱいになったらすぐに帰ろう」
「はい、ありがとうございます」
中央通りから小路に入ると、香ばしい香りが鼻腔に飛び込んできた。
通り沿いの屋台で売られている肉料理やパンのにおいだ。
あまりに美味しそうなので、思わず緊張感が緩む。
小路を抜けると、色取り取りの食品店街に到着した。
鮮やかにきらめく果実や野菜を山積みにした果物屋。見慣れない肉料理が店先を彩る軽食屋。甘い香りは焼き菓子の店だ。
(わぁ……何ここ!? おいしそうなものがたくさん……!)
エミリアは思わず感嘆の声を漏らす。
「ここが市場通り。ヴァラハの台所と呼ばれていてな、腹が減ったらここに来れば間違いない」
「……おいしそうです」
「あぁ。旨いものばかりだ。案内するよ」
エミリアは偽聖女時代に、カサンドラの代理として様々な高級料理を堪能したことがあった。しかし芸術品のような美食よりも、目の前の屋台のほうが楽しげだ。
「メアリ。ほら、これ。食べてみるか?」
いつの間にかディオンの手には、料理の皿が乗っていた。香り立つタルト生地の上に、乾燥果実のジャムがたっぷり載っている。
「珍しい果実ですね!」
「このあたりの名産で、デーツっていうんだ。そのまま食べても美味いが、ジャムにして菓子に乗せるのもおすすめだ。ほら、口開けて」
「はい。……むぐっ?」
エミリアが口を開けると、ディオンが小さな一口分をフォークで切り分けて口のなかに運んできた。
幸せな甘みが口いっぱいに広がって、エミリアの顔に笑みが輝いた――だが次の瞬間、食べさせられた恥ずかしさでしかめ面になる。
「……もう、ディオン様。なにするんですか恥ずかしい」
「いいじゃないか、デートなんだから」
「自分で食べれますよ、ひな鳥じゃないんですから。……でもすごく美味しいです」
あっという間に皿を空にしたエミリアは、「ごちそうさまでした」と深々頭を下げた。
「次は何を食べたい?」
「いいえ、そろそろお屋敷に帰れればと。もうお腹いっぱいですので」
「うそつけ。そんなに物欲しそうな顔で屋台をきょろきょろ眺めてるじゃないか」
「はぅ……」
「よし、次は肉だ」
ディオンは鋭い。
ちょうどエミリアは、(あの屋台の串焼き、すごい行列できてる。おいしそう……)などと思っていたところだった。
「買ってくる。少し並ぶから、ダフネと一緒にここで待っててくれ」
ディオンは、後方で控えていたダフネに目配せすると屋台のほうに歩いていった。ディオンの代わりに、ダフネがエミリアの隣に立つ。
「……ダフネ。デートって緊張するわ。ボロが出ないか心配で心配で」
「おつかれさまです」
エミリアは、ふぅ。と溜息をついた。
改めて通り全体を見渡すと、行き交う人も商人も、誰も彼もが幸せそうだ。
活気があって、良い場所だな……と思っていたエミリアのすぐそばを、十歳に満たない幼い兄妹がふざけ合いながら走り過ぎていった。
次の瞬間。妹のほうが石畳につまずいて、ずでんと転んでしまう。
倒れたまま泣いてしまった妹を、兄が助け起こす。
「おい。だいじょぶかよミーリャ」
「ぅええ~ん……マルクお兄ちゃん……うぅ」
妹の年のころは4歳ほど。膝を抱えて大泣きしている。エミリアは、思わず少女に駆け寄っていた。
「大丈夫!?」
泣く妹に代わって、兄がエミリアに応える。
「大丈夫だよお姉さん。まったく、転んだくらいでミーリャは大げさだなぁ!」
「ぇえ~ん! いたい~!」
「どうせ血がでただけだろ? ツバつけとけばすぐ治るって!」
呆れた顔で、兄が妹の膝を見ている。
少女はズボンを履いているから傷の具合はよく見えない。だが、擦り剝けたズボンの膝がじんわりと赤く染まっていた。
(……回復魔法、かけてあげようかな)
エミリアは少女の背を撫で、微笑みながら話しかけた。
「ミーリャちゃん、って言うのよね? 傷の具合、お姉さんに見せてくれる?」
「うん……。いたいよぅ」
エミリアは傷を確認するふりをして、ミーリャのズボンの裾をゆっくり捲り上げていった。
それと同時に、回復魔法を発動する。
魔力の放出をごくごく弱く抑え、結晶光が漏れ出ないように調節しておく。
(――よし、こんなところね)
エミリアはミーリャの膝まで、しっかりとズボンを捲り上げた。
ミーリャの膝は、擦り傷ひとつ無い状態になっていた。
「あら? ミーリャちゃん良かったね、全然ケガしてないみたい」
「え!? ……あれれ!? いたいのなくなってる!」
ミーリャの兄があきれ顔をしている。
「ミーリャは大げさなんだよ、もう! ほら、婆ちゃんが待ってるから、早く行くぞ!」
「うん……。ありがと、お姉さん」
兄に手を引かれ、ミーリャはぺこりと頭をさげてから去っていった。
エミリアは笑顔で見送っていたが、不意に背後からプレッシャーを感じた。
「メアリ様? 今、余計なことをしましたね?」
「だ、ダフネ……怖い」
ダフネが、不機嫌そうに眉をひくつかせてエミリアを睨んでいた。
「どうして無駄なリスクを冒すのですか? バレたいんですか?」
「……バレたくないけど。でも、大丈夫よ。あの子たち、全然怪しんでなかったかったし」
「目立つことは避けた方がよろしいかと。一般人の圧倒的多数は、回復魔法など使えません」
回復魔法が使える者は、聖女のほかには『回復魔法士』だけだ。
回復魔法士は人口のわずか数パーセントにしか満たず、魔法使いのなかでもエリート中のエリートだといわれている。ちなみに回復魔法士の主な就職先は、神殿の神官と騎士団の回復職だ。
「メアリ様、目立たず生きてください」
「……だって、放っておけなかったんだもの。…………でも分かったわ、もうやらない。ごめんね、ダフネ」
ダフネとエミリアが気まずい空気になっていると、串焼きを持ったディオンが戻ってきた。
「ん? なんだ、取り込み中か?」
「……いいえ! 買ってきてくださってありがとうございます、ディオン様! わあ~、おいしそうですね~」
明るい空気を取り繕って、エミリアは串焼きを受け取った。ダフネは溜息をついて、エミリアの隣をディオンに譲ると後方に下がった。
「いただきます!!」
気まずさを払拭しようと、エミリアは大きな一口を頬張った。
美味しがっている演技をして、場を明るく変えよう――そんな狙いがあったのだが。
「……っ! 美味しい!!」
演技など必要なく、本気で美味しかった。
もぐもぐ頬張っているうちに、心の底から明るい気分になってくる。
「気に入ったか?」
「はい!」
「もう一本食べたいか?」
「はい!!」
エミリアは食べるのが大好きだ。
楽しそうにしているエミリアの姿に、ダフネも毒気を抜かれていた。
*
ディオンとエミリアの食べ歩きツアーは続いていた。
エミリアは、ふと気づく。
(あれ? なんか私、楽しんでる……)
活気あふれる市場を進むうちに、いつの間にやら緊張が抜け落ちていた。
食べること自体が、純粋に楽しい。
それに、行き交う人々の楽しげな様子を見ると心が落ち着くのだ。
通行人や店主たちは、しばしばディオンに明るく声をかけてくる。
「こんにちは、領主さま!」
「よぉ、コンラド。商売は順調かい」
「こんにちは、殿下! 今日はお休みですか?」
「まあな。今度お前の店に寄るよ」
領主であり王弟でもあるディオンに向かって、人々はまるで友人に接するような口ぶりで話し掛けていた。それって不敬なのでは……? とエミリアは不安に思ったが、ディオンはまったく気にする素振りもない。
「ディオン様、街の皆さんとずいぶん仲良しなんですね」
「かしこまった付き合いが嫌いなんだよ」
まったくもって、彼は王弟らしくない。
今度は、果実屋の老婆が話しかけてきた。
「こんにちは殿下」
「よぉ、ロッサ。お、今日はミーリャとマルクも店を手伝ってるのか?」
老婆の隣には、さっき転んだミーリャという少女と、その兄も一緒にいた。
「あー! さっきのおねえちゃん!」
「婆ちゃん。ミーリャが転んだとき、このお姉さんが優しくしてくれたんだ」
「おやおや、そうかい。孫が世話になりましたねぇ、お嬢さん」
老婆がにこやかに会釈をする。
「殿下のお連れさんですか? かわいいお嬢さんですねぇ」
「ロッサ。彼女は俺の妻のメアリだ」
「おやまぁ! このお嬢さんが!?」
奥様、はじめまして! と朗らかに笑う老婆に、エミリアはぎこちない笑顔を返した。
「奥様は良縁に恵まれましたねぇ。殿下を射止めるなんて大したもんです」
「は、はぁ……」
「殿下は本当にすごいお方ですよ。腕っぷしも強いし、頭も切れて。殿下がここいらを治めてくださるようになってから、野盗も魔獣もめっきり減ってねぇ。本当に、住みよい土地になりました」
「買い被り過ぎだ、ロッサ」
じゃあ、またな。と軽く手を振り、ディオンはエミリアとともに店から遠ざかった。
そうする間にも、花売りや買い物客たちが「殿下」「領主様」と気さくに声をかけてくる。
「ディオン様って、全然王弟らしくないですね」
「だろ? かしこまった生き方は、ガキの頃にやめたんだ」
ディオンは笑っていた。
「正直言って、王宮暮らしは嫌いだ。王位なんて俺には分不相応だし、そもそも姉上がお治めになるのが正しい。だから辺境の地に行きたかったんだ。ヴァラハ領には自由がある。治安の悪い場所だったが、任されたからには役目を果たしていい土地にしたいと思っているよ。……まぁ、俺の話はどうでもいいか。次は何を食いたい、メアリ?」
「さすがにお腹いっぱいです。もう食べられません」
「……そうか。じゃあ、帰るか?」
お腹がいっぱいになったら屋敷に帰る、という約束だった。でも今のエミリアは、もっとヴァラハ領のことを知りたい気持ちになっていた。
「もう食べられないので……なので、今度は色々な場所を見て回りたいです。ご案内をお願いできますか、ディオン様」
「勿論!」
ディオンはとても嬉しそうだ。
広場でいったん足を休めよう――というディオンの提案で、ふたりは広場に向かっていった。
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