【14】始まりの竜と聖女

広場には小さな舞台ができていて、人形遣いがマリオネットの人形劇を始めるところだった。

エミリアはディオンと一緒に、休憩を兼ねて客席の一角に腰かける。

舞台の脇に立てかけられた看板に、『始まりの竜と聖女』という演目名が掲げられていた。


聖女という言葉を見た瞬間、エミリアは自分の心臓がとくりと跳ねる音を聞いた――だが、動揺を顔や態度には出さないように気を付ける。

にもかかわらず、なぜかディオンは気遣いの色を浮かべてエミリアを見つめた。


「人形劇、別に無理に見なくていいんだぞ? 場所を変えようか」

「……いいえ、せっかくですから見ていきます」


人形劇は大衆娯楽の定番だ。そして『始まりの竜と聖女』というのはこの大陸に広く伝わる創世神話で、劇や詩で誰もが良く知るテーマである。妙なところで嫌がったりしたら、怪しまれてしまうかもしれない――そう考えたエミリアは、人形劇を観ることにした。



朗々と、人形遣いが語り始めた。


「かつてこの世に陸はなく、無限の空と海だけだった! 雲の上には数多の神と竜が住み、人はまだ、この世に存在しなかった!」


人形遣いは、歌うように語り続ける。

神族と竜族は仲良しだったが、あるとき一頭の竜が神族に反旗を翻した――神々を喰らい、自分の魔力を高めようとしたという。


次々に神を喰らって、竜は魔力を蓄えた。このまますべての神が喰い尽くされるかに思われたそのとき――1人の女神が、竜を討ち取った。その女神は、かつてその竜の親友だった。


「女神は、泣きながら言った! 『罪深き竜よ。そなたの亡骸を苗床に、私は命を育みましょう。そなたの罪が、新たな命で洗い清められますように』――」


そして女神は、竜の亡骸を空から大海へ落とした。竜の亡骸は海水を吸って巨大に巨大に膨れ上がり――この竜骸大陸そのものとなったという。


「我々の住むこの陸地、遥か空から見てみれば、竜が翼を開いて海に浮かんでいるような形をしているそうだ。我々の住む西側諸国は『左側の翼』。――そして翼の付け根が隣国レギトで、その先の『体』の部分は危険な砂漠になってるらしい」


人形遣いは糸を繰って、巨大な竜の人形を、大海を模した青い布へと沈めていった。代わりに緑の陸地が現れる。


「女神は亡骸の上に、人間たちを産み落とした! 気の遠くなるような長い長い歳月を経て、大陸中に命が増えていったのさ――だが!」


青い布に沈んだ巨竜の人形が、半身を布から出して、身もだえするような動きを始めた。陸地を模した緑の舞台の上で、老若男女の人形たちが慌てふためく。


「残忍な竜の怨念は、人間の心を蝕んだ……! それが、かの恐ろしきだ!」


人形使いが不吉な声でそう告げて、マリオネットの老若男女に、暴れるような動作をさせた。


「竜化病は人間を、人間じゃないモノにしてしまう怖い病気だ! 人間たちを助けるために、女神は自分の血を大陸の東西南北に一滴ずつ垂らした! しずくを受けた四つの国は『聖皇国』となり、その四つの国にだけ竜化病を治せる特別な女が生まれるようになったのさ! ――それが、『聖女』だ!!」


舞台の奥から、人形遣いは純白の法衣を纏った聖女姿のマリオネットを登場させた。

陽光を受けてきらめく美しい聖女の人形に、劇を見ていた子供たちが歓声をあげる。


「ねぇ、おじさん! 聖女ってほんとにいるの?」

「いるの?」


人形遣いが大きくうなずく。

「もちろん、いるとも! 隣国レギトが、西の聖皇国なんだ。レギトでは、ごくごく稀に聖女が生まれるんだとよ」

「でもおれ、聖女なんて会ったことないよ」

「わたしもー」


「そりゃそうさ! この広い大陸中に聖女は全部で数十人しかいないんだから、滅多に会えるもんじゃない。俺たちの住むこの『西側諸国』には、現役聖女はたったの9人-―いずれもレギト聖皇国生まれだが、その9人は各国に派遣されているらしい」


「わたしたちの国にも、聖女は来てるの?」

「残念! 聖女の数が足らないから、ログルムントは聖女を派遣してもらえないんだ。だから救いがほしい奴は、直接レギト聖皇国に行って聖女に頼むことになってるんだとよ」


そう言うと、人形遣いは聖女のマリオネットをくるくると躍らせた。巨竜の人形は再び青い海へと沈み、老若男女のマリオネットが嬉しそうに万歳をする。


「そういうわけで、女神に遣わされた聖女だけが、忌まわしい竜化病を治せるってわけだ。竜化病だけじゃなく、いろんな病気やケガを治せるらしい。いつかはお目にかかりたいものだなぁ、皆の衆?」


終幕の音楽が鳴り、舞台にゆっくりと幕が下りる。わぁ、という子供たちの歓声と、観衆の拍手が響いた。



――エミリアは。

幕が下りた後もずっと、こわばった顔で人形劇の舞台を見つめていた。


(西方諸国には、聖女は9人しかいない。でも本当は、私も入れれば10人だったんだ……)


法王に承認された西の聖女は、カサンドラを含めて現在9人。非公認の替え玉だったエミリアは、聖女の数には含まれていない。


西側諸国は10か国。だから聖女ひとりが1か国ずつ担当するとして、一人足りない。ログルムントは聖女を派遣してもらえず、『聖女カサンドラ』がレギト聖皇国とログルムント王国の2国の仕事を兼務するという形になっていた。


(……でも実際には、聖女カサンドラわたしの仕事は、レギト聖皇国内だけでほとんど手いっぱいだった。ログルムント王国には、たまに表敬訪問に行くだけで……全然助けてあげれてなかった)


自分が正規の聖女として活躍できていたら、もっと沢山の人が笑顔になれていたのかもしれないのに。そんな思いに駆り立てられて、エミリアは苦しくなった。


(……それにもう、私は偽聖女ですらないんだ。素性を隠すためには、聖女の力はもう使えないから。でも――それって、すごく卑怯なんじゃない?)


自己保身のために能力を隠して、救う義務を放棄しようとするなんて――。

思いつめていたそのとき、ディオンに肩をぽん、と叩かれてエミリアは我に返った。


「……ディオン様?」

「やっぱり今日は、もう帰らないか?」

「え……? いえ。せっかくですから、もっと街をーー」

「俺の都合ですまないが、腰を落ち着けていたら疲れが出てきたみたいだ。案内はまた今度でいいか? 市場だけでなく、じっくりと領内全部を君に見せたい。だから、今日は帰ろう」


ディオンがエミリアを気遣っているのは明らかだった。


(私ったら、自然に振る舞おうと思っていたのに逆に心配されちゃった。疑われてないといいけれど……)

彼の気遣いに感謝しつつ、ディオンに導かれて馬車のほうへと戻ろうとしていた、ちょうどそのとき――。



「竜化病だ!」


市場のほうで、そんな叫びが聞こえた。

にわかに、市場の方角が騒がしくなった。先程までの陽気なにぎわいとはまるで異なる、悲鳴と怒号が聞こえてくる。

「竜化病だ、果実屋のガキが竜化病を発病したぞ!!」

「自警団を呼べ、早くとりおさえろ」

「いや、殺せ! そんな危険な奴は、今すぐ殺しちまえ!!」



――殺す?


物騒な声に呆然としていたエミリアは、ディオンの声で我に返った。

「ダフネ!! メアリを頼む!」


ディオンは護衛のダフネにエミリアを託して、騒ぎのほうへと走り出した。

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