【第2章】バレてはいけない新婚生活
【12】有閑マダムを目指します?
結婚式の日から1週間が過ぎていた。
窓から差した朝日を浴びて、エミリアは目を覚ます――ここは夫人専用の寝室だ。隣にディオンはいない。
エミリアはリラックスした様子で、伸びをしながら独り言を呟いた。
「んー。やっぱりひとり寝は気楽でいいわ! 思い切り寝返りを打てるし」
3日前から、ディオン様は領内視察のために領主邸を不在にしている。だからこの3日は、エミリアはのんびりとひとり寝を満喫することができた。
ディオンは今日の晩には帰ってくるそうだが、エミリアは正直言うと一緒に寝るのは気が進まない。
「ディオン様と同じ寝室だと緊張しちゃうし……こまめに不在にしてもらっていいんだけどな」
そんなことを呟きながら、エミリアは机の引き出しから一粒の宝飾品を取り出した。海色の石が嵌まった、銀製のイヤリングだ。
「おはよ。ルカ」
片耳の分しかないイヤリングを指でつまんで、エミリアは明るい声でイヤリングに語り掛ける――彼女の毎朝の日課だ。
レギト聖皇国で偽聖女として働いていた日々、エミリアは毎朝こうして「今日も頑張るぞ!」と気合を入れていた。
投獄されたときに押収されてしまったが、ダフネが取り戻してきてくれた。エミリアにとってはたった一つの宝物である。
深い青に淡緑色のきらめきが混じった海色の石は、『海青石』と言ってログルムントの特産品だそうだ。
その海色の色調は、ルカの瞳とよく似ている。
「目の色がきれいね」とルカを褒めたら、「……べつに。こんな目、ログルムントではありふれた色だよ」と気恥ずかしそうに言っていたのも懐かしい思い出だ。
「……そういえば、ディオン殿下もルカと同じ目の色だったわ」
珍しい色の目だと思っていたけれど、ログルムントでは多いのかしら? などと思っていたそのとき。コン、コンというノックの音がした。
あわててイヤリングを引き出しにしまい、「はい」と返事を返すと3人の侍女が入室してきた。
「奥様、お召し替えのお時間でございます」
と、真ん中に立っていたサラという侍女が恭しく言った。
「あ、ありがとうございます」
(着替えもお化粧も偽聖女時代には全部自分でやっていたし、なんか馴れないなぁ……)
気後れしている間にも、侍女たちはエミリアの身支度を整え始めた。
(使用人の皆さんは、とても親切だわ。私みたいな素性の知れない女が夫人になったら、絶対いじわるしてくると思ってたんだけれど……皆さん、すごくマナーがいい)
カサンドラの意地悪に馴れきっていたエミリアは、領主邸の使用人たちの丁寧な接遇に目を瞠るばかりだ。
使用人たちにディオンが『彼女を領主夫人として扱うように』と命じたのが効いているのかもしれない。加えて彼女の設定上の父親が、駐屯騎士団参謀長グレイヴ・ザハットだということも影響しているはずだ。いろいろと虎の威を借りながら、エミリアのセカンドライフは順調なスタートを切っていた。
侍女のサラが、髪を梳いて香油を塗りこんでくれた。サラの手際の良さに、エミリアの口から感謝の言葉がこぼれる。
「とても綺麗にしてくださって、ありがとうございます!」
しかし、サラは不満そうに眉を顰める。
「……奥様。侍女に対して敬語を使う必要はありません。むしろ不適切でございます」
「あぁ、そうですねスミマセ――」
ジトッとした目を向けられて、エミリアは苦笑しながら言い直した。
「そうね。分かったわサラ」
「……」
サラはまだ少し不満そうな目をしているが、そんなサラをたしなめるように他の侍女が目配せで注意をしていた。
ちょっと気まずい空気になってしまったから、エミリアは敢えて明るい声で話題を切り替える。
「そういえばディオン様は領内視察だそうだけれど、どちらにいらしているの?」
「
「そんな危険なお仕事だったなんて……。ディオン様は大丈夫かしら」
とエミリアが口にした途端、サラは顔をしかめた。
「まぁ! 奥様は殿下のお強さをご存じないのですか!? 『大丈夫か』なんて……そんなお言葉、殿下に失礼だと思います」
つんとした様子でそっぽを向くサラを、エミリアはぽかーんとした顔で眺めていた。どうやら、このサラという侍女はディオンをかなり尊敬しているらしい。
他の侍女たちは顔色を変えて、エミリアに謝罪をしていた。
「ちょっと、サラ……!」
「奥様、申し訳ございません……サラが大変な失礼を!」
「いえ」
サラ以外の侍女はとても丁寧だった。サラに頭を下げさせてから、エミリアに対して説明を加える。
「奥様。ディオン殿下にとって魔獣討伐も寮内視察も日常茶飯事ですので、あまり心配はいらないかと存じます。気遣われることを、殿下はあまり好みませんので」
「そうなのね。分かったわ」
三人の侍女に導かれ、食堂へと案内される。
食堂の入り口で、黒の騎士服を纏った女性がエミリアに向かって首を垂れた――ダフネだ。
「おはようございます。メアリ様」
「おはよう、ダフネ。昨日も言ったけど、食事のときまで護衛してくれなくても大丈夫だと思うわ」
「いいえ。私はメアリ様の専属護衛という役職をディオン殿下より賜りましたので。本日も、おそば近くであなたにお仕えします」
偽聖女時代には、ダフネは普段は侍女服だった。しかし、ここでは騎士役に徹することにしたらしい。ヴァラハ駐屯騎士団の隊服をもらって、
(領主邸内で護衛はいらないと思うんだけどなぁ……でも、ダフネは言っても聞かないし)
ダフネは下げていた頭をゆっくりと上げ、エミリアのそばに控えていたサラを睨みつけた。
――ぎん。という音がしそうなほど鋭く、侍女サラに射殺すような眼光を向けている。
「ひっ……」
小さく悲鳴を上げたサラが後ずさる。サラ以外の二人の侍女も、ダフネの迫力に怖気づいているようだ。
「そ、それでは奥様。お食事がお済みの頃にお迎えに上がります」
と言って逃げるように去っていった。
……どうやら、ダフネはサラが嫌いらしい。
「ちょっとダフネ。なにその目つき、こわいよ」
「しかし、あのサラとかいう侍女、明らかにあなた様を軽んじている様子でした。少々牽制しただけです」
「牽制って……なんでそんな臨戦態勢なの? 普通にすごそうよ、ダフネ。私、ダフネにも新しい人生を生きてほしいわ」
ダフネはエミリアより7歳年上、今年で25歳のはずだ。実直で心優しいダフネには、幸せになってほしいとエミリアは思っている。
「メアリ様。私のことなどどうでも良いのです。あなた自身の幸せをお考えください」
「それなら、いっしょに幸せになろう? 私たちはここで、明るく楽しく自由に生きるの。ね?」
「……そうですね」
自分とダフネはこの国で、セカンドライフを始めるのだ。
心機一転、これからはゆったり自由に生きていこう! エミリアは、そう思っていた。
――だが。すぐに問題が生じた。
ダフネと同様に、エミリアもまた「ゆったり自由な生き方」が全然わからなかったのだ。
*
朝食を済ませたエミリアは、中庭のガーデンチェアに座って退屈そうな顔をしていた。
うららかな春の日差しの下、今はモーニングティーの時間である。世間一般の貴婦人はこうやって、午前中に軽いお菓子と一緒にお茶を嗜むものらしい。
(そういえばカサンドラ様も、毎日ティータイムを優雅に楽しんでいるって自慢してたわ。まさか私がそういう生活をするようになるとは……)
生あくびを嚙み殺し、エミリアは眉をしかめた。後ろを振り返り、護衛を務めるダフネに向かって呼びかける。
「ねぇ、ダフネ……」
「お呼びでしょうか、メアリ様」
ダフネが近寄ると、エミリアはガーデンテーブルの上の茶と菓子に視線を送った。
ダフネが察したようにうなずく。
「ああ、毒味ですね。もちろん喜んで承ります」
「違うってば。だからなんでそんなに臨戦態勢なの? ……そうじゃなくて、暇すぎて困ってるの、私。どうしたらいいんだろう」
「ティータイムを楽しめば良いではありませんか」
「だって全然楽しくないもの。ひとりでお茶を飲んで、何が楽しいの? しかも毎日なんて。……あ! じゃあダフネも一緒にお茶しようよ」
「ありえません。護衛が主人のティータイムに同席するなんて」
「むぅ」
エミリアの唇から、ため息がこぼれる。
今までの生活と違いすぎて、困惑を隠せない。
「これまでは毎日、神殿でケガや病気の人を癒していたのに。こんなにライフスタイルが変わっちゃったら、どうしたらいいか」
「メアリ様!」
「あっ。ごめん」
「まったく」
剃刀色の目をすがめ、ダフネは声を潜めた。
「不用意な言動は慎んでください。……何もしなくて良いじゃありませんか。これまで嫌と言うほど働かされてきたでしょう? これからは、自由にのんびり生きてください」
「……そうね」
日差しの中でゆったりとティータイム。そういう生活も悪くないか……。とエミリアは自身に言い聞かせる。
ところが。
やはり、暇すぎた。
特別な行事がない限り、基本的には領主夫人は一日を屋敷でゆったり過ごすものらしい。夫人の仕事はパーティやサロンを開いて他家との交流を深めることだが、エミリアはそういった役割は求められていないので、本当にやることがない。
刺繍。
音楽鑑賞。
お茶を飲む。
お菓子を食べる。
……………………終了。
(こんな生活、もう飽きちゃったよ! ニセ聖女をやってるときのほうが、楽しかったのに……)
エミリアは居たたまれなくなって、家令に尋ねた。
「あの! なにか仕事はないかしら?」
「はい!? ……奥様に、お仕事ですか?」
「ええ。お掃除とかお料理とか、人手の足りないことはない? こう見えて私、ひとしきりの家事はできるの。暇すぎて落ち着かなくて……」
「とんでもない! 雑用などを奥様に押しつけたら、私が旦那様に叱られてしまいます!」
「そこをなんとか……」
「無理でございます! 今晩には旦那様がお帰りになりますから、直接ご相談くださいませ!」
家令はそそくさと立ち去っていった。
「はあ。暇すぎる……」
こんな暮らしが、最低6年も続くのだろうか? と、エミリアはため息をつくばかりだった。
*
その日の夕方、ディオンは視察から戻ってきた。一緒に夕食を囲みながら、ディオンは愉快そうに笑いながらエミリアに問いかける。
「メアリ。暇すぎて死にそうだったんだって?」
「え?」
「家令が俺に相談してきたぞ? 『奥様が暇すぎて働きたいそうですが、どう断ったらいいかわかりません!』だそうだ。俺の妻は働き者だな。好きなように休んだり遊んだりすればいいじゃないか」
「……でも。いざ休もうと思ってもすぐに飽きちゃって。遊び方もよくわかりませんし」
「商人を呼んで宝石を買うとか、ドレスを作らせるとか、いろいろあるだろ?」
「それって楽しいんですか? そもそもそんな高い物を買う程の手持ちはありません」
「俺の資産を使えばいい」
「人様のお金を使うなんて、そんな恐れ多い」
「他人行儀だな。夫婦なのに」
神妙な顔をするエミリアを見て、ディオンは面白がっているようだ。
「遊び方がわからないなんて、君は本当におもしろいな。じゃあ、明日は俺と一緒に遊ぼう」
「はい?」
「遊び方を君に教えてやるよ。街に出て、夫婦でデートしよう」
夫婦でデート?
きょとんとしているエミリアを見て、ディオンは機嫌良さそうに笑っていた。
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