【11】一方、レギト聖皇国では②

(……あぁ、もう嫌ですわ! こんな生活!!)


神殿にいた聖女カサンドラは、いらだちを隠せずにいた。来る日も来る日も聖女の「癒し」を求めて神殿を訪れる巡礼者が後を絶たず、まったく休めないからである。


エミリアが逃げ出した翌日から張り切って神殿で働き始めたカサンドラだったが、2週間足らずで早くも疲労困憊である。


聖女の「癒し」とは、人々に回復魔法をかけてあげることだ。

実際には、回復魔法は聖女でなくても使用可能であり、国内各地の神殿にいる神官たちも無料で「癒し」を行っている。


しかしレギト聖皇国の国民は、神官ではなく聖女カサンドラからの癒しを受けたがって皇都の中央神殿へと巡礼してくる。

ただの神官より聖女の方が御利益がありそうだし、実際に回復効果も高いし、しかも聖女カサンドラエミリアがこれまで年中無休で巡礼者たちを迎え入れてきたからだ。


本物のカサンドラが神殿で働くようになってからも、巡礼者たちはこれまで通りに神殿前に長蛇の列を作り続けた。


(わたくしが少し回復魔法を施してやるだけで、皆が感服してわたくしを誉め讃えながら去って行く――悪い気はしません。でも、いくら何でも数が多すぎませんこと!?)


午前の仕事を終えて束の間の休憩時間に入ると、カサンドラは周囲の神官たちに当たり散らした。


「お前たちも少しは働いたらどうなのですか!? どうしてわたくしばかりが、巡礼者の「癒し」をさせられているのです!? 皇女が平民巡礼者どもに奉仕するなんて、どう考えてもおかしいのではなくて!?」


神官たちは、ぎょっとした顔でカサンドラを見つめた。


「……どうなさったのですか、カサンドラ様?」

「私共は今まで通りに働いているつもりです」

「カサンドラ様が巡礼者たちの「癒し」をスムーズに続けられるよう、魔力回復薬をあなたさまにお渡ししたり、巡礼者たちの整列整理をしたりなど……」


「だから!! そんな雑用ばかりじゃなくて、お前たちが回復魔法で巡礼者たちを癒せと言っているの! 聖女わたくし一人に激務を押しつけるなんて……神官の癖に、お前たちはなんて怠惰なの?」


暴言を浴びせられ、神官たちは絶句していた。


現場で働く神官たちは、聖女カサンドラが替え玉だったことを知らない。

だから先日の「偽聖女投獄事件」以来、神官たちは困惑しっぱなしである。


「……これまでのカサンドラ様はむしろ、我々が「替わります」と言っても聞き入れず、嬉々として巡礼者たちを癒し続けていたではありませんか」


「お黙りなさい!! これまではこれまで、これからはこれからよ!」


これまでのカサンドラとは、あまりにも態度が違いすぎる。

暴言を遠巻きに聞いていた神官たちは、ヒソヒソ声で呟きあった。


「カサンドラ様は、どうしてこんなに性格が歪んでしまわれたのだ?」

「もしや、このカサンドラ様はニセモノなのでは……?」

「とすると、先日投獄された「偽聖女」がむしろ本物のカサンドラ様だったということか……!?」

「まさか……」


物陰で彼らがこそこそ話をしていると、壮年の神官長が咳払いをしながら現れた。


「これこれお前たち、聖女カサンドラ様に対する非礼な発言は許さんぞ」

「「「神官長!!」」」


白いあご髭を撫でつけながら、神官長は彼らをたしなめるような口調で言った。


「カサンドラ様のご機嫌が悪いのは、心労がかさんでおられるからに違いない。先日「ニセモノ」がカサンドラ様に成り代わって、祭事を執り行おうとしていたことはよく覚えておろう?」

「はい」

「ご自身の名を騙るニセモノが現れて、好き勝手していたのだぞ? カサンドラ様がショックを受けるのは当然ではないか。心身ともに疲弊すれば、誰しも周囲に当たり散らしたくなる」

「た、確かに……」


「さぁ、理解できたらさったと仕事に戻れ。カサンドラ様はお疲れだから、今日は代わりにお前たちが巡礼者の「癒し」を行うのだ」

「しかし、巡礼者たちは納得するでしょうか?」

「納得させるのもお前たちの仕事だ。さぁ、行け」

「「「はい……」」」


その場にいた神官たちが全員が部屋から出て行ったことを確認してから、神官長は声を落としてカサンドラに話しかけた。


「……皇女殿下、お気を確かに。働いていただかないと、民や神官たちが違和感を持ちますぞ」


神殿内では、神官長だけが事の真相を知っていた。


「……そんなこと分かっていますわよ!」

不機嫌そうに、カサンドラは神官長をにらみつけた。


「数年ぶりの聖女の仕事だから、少し疲れが出てきただけです。すぐに調子を取り戻しますわ。あの下賤な平民女にできて、皇族のわたくしに出来ないはずがないでしょう?」

「もちろんですとも、私はカサンドラ様を信じております。本日の「癒し」は神官たちにやらせますから、ひとまずお休みくださいませ」


「はぁ。やっと宮殿に戻れるのね……」


ため息をついて立ち上がろうとしたカサンドラを、神官長が引き留める。


「いえいえ。少し休憩してから、今日は重要なお仕事をしていただきます。「癒し」は神官たちにも可能ですが、は聖女にしかできませんので」


「もう一つの聖務?」

「竜鎮めでございます。久々に竜化病患者が発生し、主神殿へ届けられまして」


ああ、そういえばそんな仕事もありましたわね……と今さらながら思い出し、カサンドラは眉をひそめた。


竜鎮めは、竜化病を発病した者を直すための儀式だ。……患者は正気を失っており破壊衝動に駆られて周囲を攻撃してくるから、竜鎮めはとても危険な仕事である。


(……すっかり忘れていましたわ、竜鎮め。あの忌々しい儀式を、わたくしが行わなければならないのね)


カサンドラは、エミリアを逃がしたことを今更ながら後悔した。


(竜鎮めだけは、エミリアにやらせ続ければよかったですわ……)


しかしすべては後の祭りだ。


エミリアがダフネの手引きで脱走してから、すでに2週間以上経っている。

捜索隊はまだエミリアを捕縛できていないが、いずれ必ずダフネが彼女を殺すだろう――カサンドラが、「時期を見て殺せ」と命じていたからだ。


(はぁ。父上たちの言うとおり、生かしておく価値はあったかもしれませんわね。ダフネが帰ってこないということは、エミリアは恐らくまだ生きている……。今からでも「殺さずにエミリアを連れてくるように」と命じ直すことはできないかしら)


カサンドラが考え事をしていると、神官長が声をかけてきた。


「皇女殿下、休憩はそろそろお終いでよろしいでしょうか? 患者はすでに「鎮めの間」に運び込まれておりますので」

「…………分かっていますわよ」


忌々しそうに顔を歪めながら、カサンドラは立ち上がっていた。

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