【10】初夜/王弟ディオンside
(――俺はエミリアを知っている。エミリアは俺のことをまったく覚えていないようだが、俺は絶対忘れない)
初夜の晩。
エミリアに背を向けて寝たふりをしながら、ディオンは思いを巡らせていた。
まぶたを閉じて寝息を立てているものの、実は少しも眠くない。
ベッドの片隅でもぞもぞしているエミリアの気配を感じながら、ディオンは考え事を続けていた。
(まさか砂漠で再会するとは思わなかった。確かに昔、『こんな理不尽な国は捨てろ。密入国でも何でもいいからログルムントに逃げて来い』みたいなことをエミリアに言ったが。まさか本当に密入国してくるとはな……)
相変わらず想定外な女だなぁ……と呆れていたら、ついつい顔がにやけてきた。寝たふりがバレないようにと、ディオンは笑みを噛み殺す。
(エミリアは、8年前と全然変わらないな。……まぁ、ガキっぽさが抜けてもっと美人になっているが)
砂漠で再会したとき、エミリアが自分を覚えていないのだと態度で察した。だからディオンは、初対面として振る舞うことに決めたのだ。
(……エミリアはこれまで、何百何千という人を救ってきたはずだ。俺のことを覚えてないのも無理はない)
『メアリ』という偽名を名乗ってきたときは、「いやお前エミリアだろ!」と突っ込みそうになったが我慢した。
(今後も、うっかり実名で呼ばないように気を付けないとな……)
気を引き締めながら、ディオンは寝たふりを続ける。
(俺はずっとエミリアに会いたかった。エミリアは、俺の恩人だから――)
*
13歳のとき、ディオンは『
竜化病はこの大陸の風土病で、脳の病気だと言われている。
発病すると意識を失い、身体が勝手に暴れ出す。体内に眠る魔力が暴走し、荒ぶる竜のごとく、周囲のすべてを攻撃しようとする。
発病した瞬間に、闇に引きずり込まれた気がした。
息が苦しい。
身体が熱い。
何もかも分からなくなり、頭の中がぐちゃぐちゃで。
四肢が引き千切れそうなほどに痛く、自分が壊れていく音が聞こえた。
どれほどの期間、闇に飲まれていたのかディオンは分からなかった――しかし不意に柔らかい光に包まれ、優しい声が耳に届いた。目を開けたディオンは、純白の法衣を纏った少女が自分の手を握っていることに気づいた。10歳前後の、幼い少女だ。
「苦しかったでしょう。でも、もう大丈夫。心配はいりません」
「………………ここは、どこだ」
口のなかがカサカサに乾いて、上手く声が出せない。自分の身に何が起きているのか分からず、混乱しながら周囲を見回す。磨き抜かれた大理石を切り出して作ったような小部屋に、自分と少女は二人きりだった。
ここはログルムントの隣国、レギト聖皇国の主神殿内にある『鎮めの間』という治療室なのだと少女は教えてくれた。
そしてディオンは数ヶ月前に竜化病を発病し、この国へ移送されて『聖女カサンドラ』を名乗るこの少女によって、竜化病から救い出されたのだと聞かされた。
「竜化病!? そんな……」
まさか自分が竜化病を発病するなんて――と、ディオンは絶望した。
竜化病患者は、しばしば蔑視の対象となる。
卑しい者や出来損ないの人間だけが罹る病気なのだといわれており、治癒後も「化け物崩れ」や「危険な害獣」などと恐れられてしまう。
父上も母上も、こんな自分を見放すに違いない。そう思うと、体の震えが止まらなくなった。
取り乱すディオンのことを、聖女カサンドラは優しくなだめてくれた。そっと寄り添い、包み込むようにして優しく背中を撫でてくれる。
「竜化病は、誰もが発病しうる病です。この大陸の人間には【竜の因子】が眠っていて、なにかの弾みでバランスが崩れてしまうことがあります。でも、一度治せばもう二度と発病しません。これからは、あなたはあなたの竜と仲良しになれるはずですよ?」
彼女の声は、温かい。耳を傾けていると、徐々に気持ちが落ち着いてきた。
ヴェール越しに、木漏れ日のような笑顔が輝いている。
心が少しずつ余裕を取り戻し、ふいにディオンは疑問に思った。
(この子は……本当にあのカサンドラなのか?)
ディオンは、本物のカサンドラと面識があったのだ。
二年に一度、ログルムントの王族は宗教的忠誠を表明するためにレギト聖皇国を訪問するのが習わしになっている。その際のメンバーとして、ディオンも幾度かレギト聖皇国に赴き、皇女カサンドラに謁見していた。
(宮殿で会ったときのカサンドラとは、全然違う。彼女はもっと高慢で、粘着質な性格だったはずだ……)
宮殿でのカサンドラは自分が聖女であることを自慢して、上から目線で物を言う少女だった。しかも、どういう嫌がらせなのか「あなたをわたくしの婿にしてあげても良くってよ」としつこくディオンに迫り続けていた。
……たとえ将来だれかと政略結婚するとしても、カサンドラだけは結婚相手にしたくない。と、ディオンはそのとき強く思った。
(二重人格なのか? 雰囲気が違い過ぎる)
薄絹のヴェールの向こうにある顔は、確かにカサンドラのように見える。上等なワインのような赤髪も、まさにカサンドラの色だ。……だが、なにか違う気がする。
ディオンはその後、やや強引なやり方で目の前の少女がカサンドラではないということを暴いてしまった。
パニックに陥って泣きべそをかくエミリアを見ているうちに、ディオンは罪悪感を募らせていった。
「わ、悪かった。その……悪気はなかったんだ、ごめん。だから……」
「誰にも言わないで! お願いだから、私がニセモノなのは内緒にして!! バレたら私、殺されちゃう」
「……殺される?」
混乱しきっていたエミリアは、彼にいろいろと教えてくれた。
彼女は「聖女の力」を持っているが、法王の承認を受けていないため聖女を名乗れないそうだ。
そして、聖女カサンドラの替え玉として、変装をして働かされているらしい。
あまりに理不尽な仕打ちを聞いて、ディオンは顔色を変えた。
「エミリア。こんな理不尽な国は捨てて、今すぐ逃げたほうが良い!」
「逃げ出す……? 無理だよ、逃げるなんて。私みたいなニセモノには、どこにも逃げ場は無いってカサンドラ様が言って――」
「君は絶対に、ニセモノなんかじゃない!」
ディオンが声を荒げると、エミリアは驚いたように目を見開いた。
「誰が何を言ったとしても、君は絶対に聖女だよ」
「私が……聖女?」
青ざめていた彼女の頬に朱が差すのを見て、ディオンの鼓動は早まった。
「エミリア、君こそが本物だ」
「そ……そう、かな……。そんなこと言われるの、初めてで……」
エミリアは恥ずかしそうにもじもじしていた。
心を込めて、ディオンはもう一度言った。
「逃げるんだ、エミリア! レギト聖皇国が君を虐げるのなら、ログルムントに来ればいい。逃げ出して、聖女の力を隠して生きれば普通の子として生きられるだろう? 正規のルートで出国できないのなら、密入国でも何でもいい」
エミリアを逃がすためなら、あらゆる手を尽くしたいとディオンは思った。不可能ではないはずだ、自分はログルムント王国の第一王子なのだから――と。
しかし、エミリアは首を縦には振らなかった。
「気持ちは嬉しいけど、私は今の生き方でいいよ。偽聖女でも聖女でも、誰かを助けられるならどっちでもいいと思ってるんだ。だから、私の正体は絶対誰にも言わないで」
ディオンは耳を疑った。
「もし逃げたら、私は「聖女の力」を隠して生きなきゃならないでしょう? でも、それは嫌だな。せっかくステキな力を持って生まれたんだから、いろんな人を助けてあげたい」
「……本気で言っているのか?」
エミリアは、にっこり笑ってうなずいていた。
「うん、すごく本気。私、困ってる人を助けられるのが嬉しいんだ。だからニセモノ呼ばわりされてでも、聖女の仕事ができるのがすごく幸せなの!」
*
8年前のあの日、エミリアは確かにそう言っていた。ニセモノ呼ばわりされてでも、人助けのために聖女の力を使い続けたい――と。
(……なのに、どうして今更になって逃げ出してきたんだろうな)
ベッドに寝転びながら、ディオンは思いを巡らせていた。いくら考えてみても、さっぱり分からない。
(いや、詮索するのはやめよう。エミリアの過去も素性も、一切探らない約束だからな。細かいことはどうでもいい。エミリアが逃げてきて、生きるのに困っているなら俺が助けてやればいいんだ。……契約結婚に漕ぎつけたのは、悪くない判断だったんじゃないか?)
この契約結婚により、ディオンは王位継承に口を出そうとする厄介な貴族連中を一蹴できる。しかもエミリアを手元に置いて守ってやれる。エミリアの側にとっても自由と安全が保証されるのだから、お互いにwin-winなのではないだろうか。
ディオンにとってのエミリアはかけがえのない恩人で、そして初恋の少女だった。
(……俺はエミリアにもう一度会いたかった。だから、この再会は運命だ。俺は絶対に、エミリアを手放さない)
寝室のベッドに二人きり。
腕を伸ばせば触れられる距離にエミリアがいる。
だが、触れはしない――彼女はディオンを警戒しているし、触れられるのを望まないからだ。
(俺はエミリアを愛さない。愛さないことで君が安心できるなら、今後も君を怖がらせるようなことはしない。……だが、一緒に過ごすくらいはいいだろ? 俺はもっと君と居たい。ずっとずっと見ていたいんだ)
エミリアに背中を向けて目をつむっているディオンだが、エミリアの様子をなんとなく推測することができた。「むぅ……」と小さく呻いたり、溜息をついてモゾモゾしたりしている――どうやらエミリアは、かなり緊張しているらしい。
(エミリア。挙動が小動物みたいで可愛いな)
などとディオンが思っていると、なぜかエミリアはむくりと起き上がった。
エミリアは「よーし、がんばれ、私!」と小さく呟いてから、勢いよくベッドに突っ伏した。
(おいおい、なんだ? 何の気合いだよ、それ……)
ぷはっと吹き出しそうになるディオンだったが、がんばって寝たふりを貫く。
やがて、エミリアの小さな寝息が聞こえてきた。
(……やっと寝たか。本当に面白い奴だなぁ)
すぅ、すぅ、という小さな寝息が愛らしい。
(そろそろ、俺も寝るか)
ディオンはとても幸せな気持ちに満たされて、静かに息を吐いた。
初夜の晩は、こうして穏やかに過ぎていったのだった。
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