【26】暗殺者ダフネの覚悟
ダフネは給仕服の男――暗殺者ドナトールを追いかけた。
ドナトールは【皇家の影】と呼ばれる暗殺者集団の一員だ。そしてダフネ自身も、【皇家の影】のひとりであった。
ドナトールは、使用人用の細い通路に滑り込んだ。
ダフネもそれを追いながら、冷静に思考を巡らせ続ける。
(――ドナトールは使用人に扮して、何をするつもりなんだ?)
ふと、ダフネの脳裏に皇帝やカサンドラたちの顔がよぎった。
レギト聖皇国の皇家直属の暗殺者が、他国の王城に潜入しているのだ――悪しき企みをしているのは間違いない。
ドナトールは音もなく疾駆して、裏口から中庭へと滑り出した、そのまま闇にまぎれようとするが、ダフネはドナトールを逃す気はない。
(――逃がすものか!)
ダフネは、懐に忍ばせていたナイフをドナトールめがけて投擲した。
しかし、ドナトールもまた手練れの暗殺者である。彼はダフネのナイフを躱すと、お返しとばかりに自身のナイフを投げ返してきた。
ダフネもまた、それを躱す。
両者とも夜闇に身を投じ、追走劇を繰り広げた。暗闇の中で刃と刃が交わって、金属音と火花が散らされる。
戦闘のさなかにあっても、ダフネの思考は冷静だった。
(――私は顔を見られてしまった。だからこの場で確実に、ドナトールを殺さなければならない)
ダフネは死んだことになっているのだ。にもかかわらず、ログルムント王国で騎士服を着て働いている――そんなことが明るみに出れば、おのずとエミリアの生存も知られてしまう。
(私がドナトールを殺さなければ、エミリア様が脅かされることになる!)
ダフネは憎悪をたぎらせて、ドナトールに飛び掛かった。
逆手に握った短剣を、相手めがけて振り下ろす。だが、ガキン、という硬い音を響かせて相手も武器で受け止めてきた。
ダフネの頭の中は、エミリアのことでいっぱいだ。
(血塗られた私には、人並みの幸せなど望む権利などない。だがそれでも、エミリア様だけは幸せにして差し上げたかった……!)
ダフネがエミリアの監視役としてあてがわれたのは、10年前のことだった。
もともとはカサンドラの配下だったが、ある日カサンドラから「エミリアを監視なさい」と命じられたのだ。
――『エミリアが不審な行動を取ったら、すぐに密告なさい』
――『信頼させて心を開かせ、エミリアの本性を暴くのです』
以来、ダフネはエミリアの侍女兼護衛騎士という役職に就くことになった。
監視されているとも知らず、エミリアは大喜びだった――。
『カサンドラ様って、本当は優しい人だったのね。私に侍女をくださるなんて! よろしくね、ダフネ!』
……なんて無防備な少女なのだろう、とダフネは最初エミリアを軽蔑していた。
そんなエミリアへの軽蔑が、敬愛へと変わっていったのはいつからだろう?
エミリアは、困っている人を放っておけない。
だから自分の危険をいとわずに、人助けをしてしまうのだ。
偽聖女という不遇な立場に置かれているのに、それを不遇とも思わない。
なぜ、彼女はこんな理不尽な扱いを受けながら、日々幸せそうに笑っていられるのだろう?
エミリアこそが真の聖女ではないかと、ダフネは思った。
エミリアがニセモノだというのなら、真偽の基準が間違えている。
この世の中は間違いだらけだ――と、ダフネは静かに憤っていた。
だからダフネは、エミリアを逃亡させたのだ。
実際には、カサンドラから「逃がしたフリのあとに殺せ」と命じられていた。
だが、そんな命令を聞く気はなかった。
エミリアを逃がし、本当の自由と幸福を彼女に贈ろう。
そのためならば、自分はどんな汚れ仕事でもこなしてみせる。
――だから。
(エミリア様を脅かす者は、ひとり残らず私が殺す)
王城内の厩舎棟の屋根を走りながら、ダフネとドナトールは剣戟を繰り広げていた。
戦闘力は、ダフネのほうがやや上だ。ドナトールは圧され気味になりながらも、屋根から屋根へと飛び移り、木々の生い茂る場所に飛び込んだ。
(追い詰めた。ここで殺してやる――!)
月光の差し込まない暗がりに、ダフネも飛び込む――ドナトールを追い詰めたつもりが、追い詰められていたことにダフネはようやく気が付いた。
ドナトールを含めた8人の男たちが、ダフネを待ち構えていたのである。
息を切らしておびただしい汗を流すドナトールに、リーダー格の男が言った。
「ずいぶんと手間取っじゃないか、ドナトール」
ドナトールが、忌々しそう顔をしながら汗を拭っている。
「ちっ……、そう言うなって。ここまで誘導するのも、ずいぶん骨が折れたんだぜ? まさか隣国の宮廷で、見知った顔に会うとはな。完全に想定外だった」
男たちが、底冷えのする瞳でダフネを見据えていた。
「ダフネ。なぜ貴様がここにいる? 貴様は死んだはずではないか」
ダフネは、冷たい汗を流した。
「貴様はカサンドラ皇女殿下より、偽聖女暗殺の命を受けていたはずだ。それがなぜ、ログルムント王国にいるのだ」
「騎士に扮しているのはなぜだ?」
「偽聖女もまだ生きているのか?」
(私ひとりで、この8人を倒せるだろうか? ……いや、考えるまでもない)
そんなことは不可能だ。
暗殺者一人ひとりが、ダフネと同等程度の戦闘力を持っているのだから。
(私は敗れて、殺される。――いや。殺される手前の状態で尋問を受けて、偽聖女エミリアの所在を吐かされることになる。そんなことはさせるものか!)
ダフネは喉から、くつくつと昏い笑みが漏れた。
(――エミリア様、私はここでお別れです。ディオン殿下と、どうか幸せに)
ダフネの身体が動き出す。
袖口に忍ばせていた毒針を投じて、右側の男を行動不能にした。
「……っ、ダフネ、貴様!」
今度は身を翻し、その隣に居る男めがけて切りかかる。
ダフネは覚悟を決めていた。一人でも多く手傷を負わせてから、最後に自分を殺そうと。
(エミリア様の幸せを脅かすものは、許さない。私が死んだあとのことは、ディオン殿下に託すとしよう――あの方ならば、きっと何とかしてくださる)
三日月のような笑みを刻んで、ダフネは戦いを繰り広げていた。
善戦していたが、やはり多勢に無勢だ。
これが潮時、そう確信した瞬間にダフネは大きく飛びのいた。
ゆらりと笑って、握りしめていた短刀を自分の心臓へと向けた。そのまま躊躇なくひと突きにする――
いや。一突きにすることは、できなかった。
「!?」
ダフネの手首は、いつのまにやら現れていた老人によってがっしりと抑え込まれていた。
その老人は、老いてなお衰えを知らぬ頑健な体躯を持っていた。
騎士服を纏い、頬に大きな刀傷を持つ老人――ヴァラハ駐屯騎士団参謀長、グレイヴ・ザハットその人である。
「ふんっ」
ザハットは腕力に任せてダフネの短刀を奪い取り、それを敵めがけて投げつけた。敵は瞬時の動きに対応できず、右の腕へと短刀が突き刺さる。
苦痛に身をよじる敵と、呆気に取られているダフネ。
ザハットは猛禽のように鋭い瞳で、ダフネを見据えている。
「ダフネよ、その騎士服を穢すつもりか!? 誇り高きヴァラハ駐屯騎士団の騎士服を纏う者に、自害など許さぬ! お前はこんなところで何をしておるのだ?」
言葉に詰まるダフネに、ザハットは尚も言い募る。
「お前には、殿下と我が娘の護衛役を任せていたはずではないか! それがなぜ、このように訝しげな者たちと戯れておる? わしのすべての問いかけに対し、仔細を答えよダフネ!!」
「……このジジイが!」
敵の一人が、ザハットめがけて飛び掛かる。
ザハットは「ふん」と息を吐き出し身を沈ませると、裏拳を相手の鼻柱に打ち込んだ――骨のひしゃげるような胸の悪い音とともに、相手は夜闇に沈む。
残った敵が目を瞠るうちにも、ザハットはすでに次の相手を掴んで投げ飛ばしていた。樹木に身を打ち付けられた相手は、泡を吹いて白目を剥いている。
「返事をせよ、ダフネ!」
息も乱さず淡々と戦い続けるザハットに、ダフネは絶句していた。
やがてザハットは、なにかに納得した様子で「ふむ」とうなずく。
「相分かった、この者たちを捕縛するのが先と言いたいのだな? それではダフネよ、全員殺さず生け捕りにするぞ。いろいろ聞きだす必要がありそうだからな」
「……はい」
ようやく声を絞り出したダフネに対し、ザハットは再びうなずいた。
「それでは、参る!!」
ザハットはダフネを伴い、暗殺者たちに猛攻を開始したのだった。
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(筆者の余談↓↓)
老騎士が暗殺者に裏拳かます異世界恋愛って、見たことないよ…。とか思いながら今回も物凄く楽しく書いていました。どうやら自分は、こういうノリが好きらしい。
1/25発売の『氷の侯爵令嬢は魔狼騎士に甘やかに溶かされる』でも、ちょいちょいバトルが挟まるのですが。
やっぱり。
良いですよね。
血湧き肉躍る戦闘って、漢の浪漫です。
自分、漢じゃありませんけどね?…というのは筆者の余談ですが。
意外と『男脳』で書くときのほうが、ノリノリで書けたりするのです。両方の脳を、切り替えながら書いてます。
ところで、
【ぼっち企画】最強テンプレヒロイン決定戦~サレ妻VSドアマットVS無自覚系
https://kakuyomu.jp/works/16818023212451979239
という溺愛ざまぁ短編読み比べをやってみました。
5分少々で読める越智屋の最新短編、テイストの異なるテンプレ3本を読み比べて反響を見るtheぼっち企画です。
よければ読み比べてみてください。速攻でざまぁ・スカっとします。
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