【25】偽聖女、踊る。

「え!? 私もディオン様と一緒にダンスパーティに出なきゃいけないんですか!?」


幼い王子たちとの一時を過ごし終え、賓客室に戻って来ていたエミリアは素っ頓狂な声を上げた。そんなエミリアを見て、ディオンは不思議そうに首をかしげている。


「そうだよ。春華祭は国中の貴族が集まる春の行事で、当然ダンスだってする。……というか俺についていくと言った時点で、春華祭への同伴も確定だろう? てっきり参加する覚悟があるものだと」


「覚悟なんてありませんよ! 季節の行事だっていうから、てっきり宗教行事みたいのだと思っていました。まさか社交パーティだったなんて」


偽聖女歴11年のエミリアの頭の中は、基本的には『宗教関係者』だ。

華やかな貴族社会にはほとんど馴染みがない。


「無理ですよ、ディオン様。私、踊ったことなんてありませんもの」

「だが妻を伴わず俺だけ出席というのは体裁が悪いし、今さらキャンセルするのもなぁ。俺も最初は気が重かったが、君が来ると思ったから乗り気になってきたのに」

「うぅ、すみません……」


おろおろしているエミリアの手を取って、ディオンはいたずらっぽく笑った。


「いいじゃないか、夫婦仲良く参加すれば。愛妃として社交場に同伴してくれる契約やくそくだろ?」

「うぅぅ」


「ダンスは俺がリードするし、今からでも覚えられるようなステップを教えるよ。ファーストダンスだけにして、あとは風に当たるとでも言って一緒に休もう。面倒な貴族連中が君に絡もうとしたら、俺が受け流すから心配ない。君はただ俺の隣で、妃っぽくしとやかに笑っていれば十分だ」


「本当ですか……?」


もちろん。とディオンは白い歯を見せて笑っていた。


「俺は君の『用心棒』だろ? 厄介ごとは全部跳ね除けてやるから、任せろ」

(……『パーティに出る』という厄介ごとだけは、跳ね除けてくれない訳ですね)


エミリアは、溜息をついた。


(確かに、彼の妻を演じるという契約だものね。ここで私がうまく立ち回っておけば、ディオン様も助かるはず。いつもお世話になってばかりだし、たまには私も役に立たなきゃ)


「分かりました、私もパーティに同伴します。なので、ダンスのステップを教えてください。私、本当に未経験なので……お手柔らかにお願いします」

「任せろ」


子供みたいに屈託なく笑っているディオンを、エミリアは不安そうに見つめていた――。






ディオンのダンスレッスンが始まった。


「上達のコツは、見本を見ながら実際に体を動かしてみることだ。……ということでペアダンスの見本役を、この二人に頼んでみようと思う」


やたらと楽しそうな顔をして、ディオンは『見本役』の2名をエミリアに紹介した。


「この2人に今からダンスを頼むから、メアリはよく見ていてくれ」

「見本役って……」

エミリアは、愕然としながら見本役の二名を眺めた――今回の登城に護衛騎士として同伴している、ザハットとダフネを。


「ダフネとお父様が躍るの? ふたりともダンスなんて出来るんですか!?」

騎士服を纏ったダフネは、不本意そうに眉を引きつらせながら答えた。

「……私は、一応は可能ですが」


一方のザハットは、生真面目な表情でうなずいている。

「わしも舞踏は心得ておる。舞踏と武闘は紙一重と言っても過言ではない」

「そ、そんなものですか……?」


「じゃあ二人とも、さっそく頼む。定番のメヌエットにしよう」

「「かしこまりました」」

ディオンが手拍子を打ち始める、両名は真顔で向き合い、優雅な礼をして舞踏を始めた。

……ふたりとも、やたらと上手い。

手拍子に合わせて踊る2人を、エミリアは目を白黒させながら見つめていた。

(このふたり、息がぴったりだわ。滑らかで、なんてキレイなダンスなの!? ……でも真顔なのがすごく不自然だけど)


やがて、ディオンは手拍子を終えた。

ゆったりと礼をしたダフネとザハットに向かって、エミリアは惜しみない拍手を送る。

「すごいわ、ふたりともすごく上手!!  本当に何でもできるのね!」


ディオンが尋ねる。

「どうだメアリ? 君には、ダフネの動きを真似してほしい。次は実際に俺と踊ってみよう」

「は、はい……」

今度はザハットの手拍子で、ディオンとエミリアが練習を始める。

ザハットとダフネは、生真面目な顔でエミリアの一挙手一投足を見守っていた。


「娘よ、踵を床につけてはならぬ!」

「メアリ様、二拍目と六拍目の膝の屈伸が少々浅いかと」

(ひぃぃ……! 2人とも厳しい……)


最初は苦労していたものの、エミリアは徐々に楽しくなってきた。

ディオンが微笑みかけてくれるのも、ダフネとザハットがあれこれと指導してくるのも、なんだか嬉しい。

いつの間にか、エミリアの顔には大きな笑みが浮かんでいた。


   *



ダンス練習を無事に終え、翌日の夏華祭を迎えた。

王城内に設けられたパーティ会場の華やかな空気に、エミリアは圧倒されてしまう。

そんなエミリアを、ディオンはしっかりとエスコートしてくれていた。


「大丈夫だ、メアリ。俺の横にいれば心配いらない」


洗練された大人の男性の所作というのは、今の彼のような振る舞いのことを言うのだろう。

(ディオン様ったら完璧な紳士っぷり……『マナーモード』は伊達じゃないわね)

野盗と見紛うような身なりで竜討伐をしていたのと、同一人物とは思えない。


「これはこれは、ディオン殿下。お久しぶりでございます」

「バルテトゥール卿、息災か」


何人もの貴族が興味津々な様子でメアリとの接触を図ろうとしたが、そんな彼らにもディオンが対応してくれた。

「おや。そちらの女性が例の――」

「これが我が妃メアリだ」


甘やかな声を響かせて、ディオンは『メアリ』を彼らに紹介する。さりげなく肩に触れるディオンの指に、エミリアはどきりとしてしまった。


「殿下とメアリ妃は、とても仲睦まじくいらっしゃるようですね」

「無論だ。私が我が儘を言って、とうとうメアリを手に入れることができたのさ。私にとっての彼女は、金貨百万枚より価値のある女性だよ。二度と手放すことはできない」

ディオンはエミリアの手を握りながら愛おしそうに見つめてくる。


(ひゃぁ……! ディオン様ってば演技に気合が入りすぎ……)

逃げだしたい欲求に駆られながらも、エミリアは愛妃を演じるためにディオンを見つめ返して微笑してみせた。


「……殿下とお妃様は大変仲睦まじくていらっしゃるのですね! いやはや、うらやましい……それでは、わたくしはこれにて……」


ほとんどの者は、ディオンに付け入る隙を見いだせずに会話を切り上げていった。

ディオンの行動には、まったく演技っぽさがなく、妻を見つめる瞳はどこまでも真摯だ。


(なんか、本当に愛されてるような錯覚を起こしそう……。まぁ、実際はお互いに演技なわけだけど)

冷静さを失わないよう努めつつ、エミリアはディオンの横顔を盗み見ていた。


(私、少しはディオン様の役に立てているかしら。役立ってるなら、嬉しいな……)


王位から遠ざかるために、契約結婚をしたいとディオンは言っていた。

敬愛する姉と、姉家族の生活を脅かしたくないのだ――と。

そんな心優しいディオンを、エミリアはいつしか深く尊敬していた。


(私がきちんと妃役を果たしたら、きっとディオン様も喜んでくれる。がんばらなきゃ!)



   *


歓談後のダンスの時間も、問題なく迎えることができた。

事前練習とディオンの巧みなリードのおかげで、エミリアは無事にファーストダンスを踊り切ることができた。


当初の予定通り、ファーストダンスが終わったところで休憩を取ることにする。

「メアリ。少し外の風に当たらないか」

「ええ、ディオン様」


会場の一角でのどを潤してから、寄り添い合ってテラスへ出る。


(……なんだか、夢を見てるみたい)


エミリアにとってはすべてが生まれて初めての、きらびやかな世界である。

社交場なんて自分には場違いな場所だと思っていたが、意外にも楽しんでいる自分に気づいた。


(すごく幸せな気分。全然怖くない。……ディオン様の手が、温かいからかな)


つないだ手をきゅっと強めに握り返し、エミリアは笑みを深めた。

「どうした? メアリ」

「ディオン様。私、なんだか楽しいです」

それは彼女の、心からの言葉だった。


少し驚いた顔をして、ディオンも彼女を見つめ返す。

「……それは良かった」


寄り添いあって、ふたりは笑っていた。



   *



パーティホールに隣接した従者用の控室から、ダフネはエミリアたちの様子をうかがっていた。

エミリアは無事にダンスを踊れていたようだ。

彼女は満ち足りた笑顔を浮かべて、ディオンと共にテラスへと向かって行った。


思わずダフネの唇にも、安堵の微かな笑みが浮かぶ。

(――エミリア様が、幸せそうだ)


ダフネにとって、エミリアの幸福は最優先事項である。


(様々な想定外はあったが……。エミリア様が穏やかに暮らせるのなら、私には異論はない。ディオン殿下に愛されて、エミリア様はきっと幸福な人生を歩めるはずだ。これまで不遇な生き方を強いられていたのだから、これからは幸せに生きてほしい)


心から、ダフネは願うのであった。


ダフネは、物心つく前からレギト聖皇国で【皇家の影暗殺者】として生きてきた。痛みも悲しみも感じない氷の心が、エミリアのそばにいるうちに温もりを覚えていった――だからダフネにとってエミリアの幸福は、自分の命よりも尊い。


(エミリア様が幸せなら、それでいい。ほかの物は、何もいらない)


――と。

そのとき、うなじの凍りつくような殺気をダフネは感じた。

さりげなく、用心深く周囲を伺う。


誰かが、ダフネを見つめていたはずだ。しかし一体、誰が?

そして気づいた。

給仕係の男が、こちらを観察していることに。


(あの男は、何者だ? 見覚えがある…………)


――あの男は、レギト聖皇国の【影】だ。


ダフネが気づいた瞬間に、給仕服の男は後方へと飛びのいた。瞬時の動きで、あっという間に室外へと消えていく。

ダフネは、男を追って走り出した。


(あの男、変装はしていたがドナトールに間違いない! なぜ【皇家の影】がログルムントの王城にいるんだ!? ――くそ、ドナトールに顔を見られた。私が生きて隣国に渡ったことを知られれば、エミリア様にも危害が及ぶ!)


焦燥感に駆られながら、ダフネは男を追いかけていた。




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