【24】女王への謁見


ヴァラハ領から馬車の旅路で1週間。

ディオンとエミリアの乗った馬車は王都に入り、まもなく王城に到着する。

後続の馬車には侍従や侍女が乗り、馬車の周囲には護衛の騎士が同伴している――ダフネと、『父親役』のグレイヴ・ザハットもそれらの騎士に含まれていた。


「もうすぐ着くぞ、メアリ。長旅で疲れたろう?」

「いいえ、大丈夫です。それよりディオン様……今日はいつもより装いが優雅ですね。いかにも『王族』って感じがします」

「実際、王族だしな。女王に謁見するなら、この程度の身なりは必要だよ」


そわそわしているエミリアの隣には、登城用の礼装を纏ったディオンがゆったり座っている。

絹製のジャケットは落ち着いたベージュの色合いで、馬車の窓からときおり吹き込む陽光に、淡く溶け込むような上品な逸品だった。白いシャツの袖や襟口には繊細なレースが揺れていて、革手袋やブーツからも職人の巧みな仕事がうかがえる。

胸元のブローチには王家の紋章が輝き、襟元で揺れる羽飾りとともにきらびやかな美しさを放っていた。


「それになんだか、身にまとうオーラが違うような……物静かな感じがします。普段のディオン様とは別人みたいで」

「ああ、まあ今日の俺は『マナーモード』だ」


マナーモード?? とエミリアは首をかしげる。


「こう見えて、俺でも最低限のTPOは弁えているんだ。だが君も今日は雰囲気が違うじゃないか。どこからどう見ても『王弟妃』だ――とても綺麗だよ」


柔らかな笑みを向けられて、エミリアは落ち着かなくなり目線を逸らした。

今の彼女は、しなやかなシルク生地で仕立てられた青色のドレスを纏っている。快晴の空に溶け込む大海原のような、緑を帯びた優しい青色――それはディオンの瞳を思わせる海の色だ。ドレスやネックレスにあしらわれている宝石は、陽光を受けて波間の泡沫のようにきらめいている。


「姉上に君を見せるのが楽しみだ。……なんだかんだ言って、俺がどんな女性を娶ったか気にかけていたらしい。君が妃なら、俺も鼻が高いよ」

「…………」


どう返事をすべきか分からず、エミリアは顔を赤くして黙り込んでいた。

だが、ふと思い立ってディオンに小声で話しかける。


「ディオン様。私、お嫁さんとして『親族顔合わせ』に来たわけじゃありませんよ? 回復魔法士として、女王陛下の病状を拝見するために同伴するんです」

「分かっているよ。ありがとう、頼りにしている」


優しく笑うディオンの横で、エミリアは気を引き締めていた。


(……よし! 力を出し過ぎないように調節しながら、がんばろうっと)


もちろん、魔力全開で回復魔法を掛けるようなマネはしない――そんなことをしたら結晶光が漏れ出して、聖女の力を持っていることがバレてしまうからだ。


「ディオン様。宮廷医師の診察では、女王陛下が倒れた原因は不明……とのことだったんですよね?」


「ああ。『恐らく過労のせいだが、幼少期に病弱だったことを考慮して経過観察』――と言われたらしい」


「分かりました。それでは私も女王陛下に回復魔法を掛けつつ、不調の原因を探ってみたいと思います」

「そんなこともできるのか?」

「お任せ下さい! 回復魔法って、意外と奥が深いんですよ? ただなんとなく魔力を浴びせるだけだと、仕上がりが悪くなってしまうんです」


傷の治癒には、傷口の奥の炎症部位をつきとめること。

熱を下げるには、なぜ熱が出たのか見極めて原因を消去すること。

ただ闇雲に魔力を注げば良いわけではなく、プロにはプロの仕事がある。

エミリアは伊達に11年も回復魔法を使い続けてきたわけではなかった。


「……頼もしいが、あくまで『普通の回復魔法士』の範囲で頼むぞ」

「気を付けます」



   *



王城に着いた二人は、謁見の間へと通された。

壇上に二つ並んだ玉座には、女王ヴィオラーテと王配ミカエルの姿がある。

ヴィオラーテはディオンと似た美貌の持ち主で、年齢は二十代の後半。海色の瞳には聡明な輝きが灯っている。

女王の夫である王配ミカエルもまた、二十代後半である。穏やかさと知性を感じさせる、端正な顔立ちの男性だ。


「久しいですね、ディオン。元気そうで何よりです」

切れ長の目を柔らかく細めて、女王はディオンに声を掛けた。その声音には若干張りがなく、疲労の色が感じられる。


「姉上のお言葉、誠に光栄です。姉上の寛大なるご治世により、私を含め民一同が心穏やかに暮らせております」

深い礼をして、ディオンが答えた。

ディオンに倣って、半歩下がった場所で控えているエミリアも深々と礼をしている。

女王は、エミリアにも視線を向けた。


「それで、あなたの隣に居るそちらが……」

「妻のメアリです」

「――お初にお目にかかります、ヴィオラーテ陛下。メアリと申します」

ディオンに紹介されて、エミリアも自らの名を名乗った。


「面を上げなさい、メアリ」

涼やかな声で命じられ、エミリアはゆっくりと顔を上げた。女王ヴィオラーテが、慈しむような瞳で見つめている。

「私に義妹いもうとができるなんて、本当に嬉しいわ。どうかディオンをよろしく頼みます」


「光栄でございます、陛下」

と答えながらも、エミリアは少しドキドキしていた。


(実は私、数年前にカサンドラ様の変装をして女王陛下に謁見したことがあるのよね。お化粧もヴェールもしてたから、まさか同一人物だとは思わないだろうけど。……良かった、やっぱりバレてないみたい)


エミリアがホッとしている間にも、女王とディオンの会話は続いていた。

「ディオン、メアリ。あなたたちの結婚式を祝うこともできず、申し訳なく思っていました」

「いいえ姉上。式をごく小規模なものにしたのは、私自身の希望です。ご迷惑ばかりの愚かな弟ですみません」

「そんなことはありませんよ。あなたは私にとって、大切な弟ですもの」


和やかな雰囲気の中、ディオンは話題を切り出した。

「それはそうと、今日は姉上に土産をお受け取りいただきたいのですが」

あら、なにかしら? ――と首をかしげてみせた女王に、ディオンが言う。

「こちらでは少々難しいので、場を変えていただいてもよろしいでしょうか」


   *


彼らは謁見の間を出て、王城の最上階中央に位置する王族居住区へと移動した。

ここは、女王の私室である。侍女や護衛は部屋にはおらず、今いるのは女王と王配、そしてディオンとエミリアだけだ。


ディオンはエミリアの肩に手を添えて、女王ヴィオラーテに言った。

「土産というのは、メアリの回復魔法です」


ヴィオラーテは少し目を見開いて、驚いている様子だ。

「回復魔法を……? どういうことかしら。それに、メアリは回復魔法を使えるのですか?」

「ええ、彼女は回復魔法士です。実は義兄上から、姉上がお倒れになったとご連絡をいただきまして。メアリが姉上の役に立ちたいというので、こうして連れて参りました」

「まぁ、ミカエルったら! ディオンには内緒にしてと言っていたのに」

不本意そうに眉をひそめるヴィオラーテに、ミカエルは微笑しながら謝っていた。

「済まなかったね。だが、君も弟の顔を見たら安心するだろう?」

「それはそうですけれど……」


ディオンに促され、ヴィオラーテはソファにゆったりと腰を下ろした。

そんなヴィオラーテの傍らに、エミリアがそっとひざまずく。


「わざわざごめんなさいね、メアリ。それじゃあ、お願いするわ」

「失礼します、陛下」


エミリアは、ヴィオラーテの右腕をそっと取った。目を閉じて心を研ぎ澄まし、ヴィオラーテに回復魔法を施していく。


数分ほどの沈黙が続き、「終わりました」とエミリアは囁いた。


「ありがとう、メアリ。なんだか体の中がとても温かいわ。疲れが取れたみたい」

力の抜けた笑顔を浮かべるヴィオラーテに、エミリアも安堵の笑みで答えた。


「ご安心ください、ヴィオラーテ陛下。陛下には病の影は、見られませんでした。先日お倒れになったのは、疲労が原因と断言できます。体内の血液循環をよくして疲労物質を取り除くため、末梢に重点的に魔力を注いで体を温めるようにしました」


「まぁ、すばらしいわ! 宮廷医師は原因不明だと言っていたのに……」


「失礼ですが王城内にお抱えの回復魔法士はいらっしゃらないのですか?」

「ええ。神殿から神官を呼び寄せることは可能ですが、民の癒しを優先させています。希少な人材ですもの」

「陛下がお倒れになっては、国が立ちゆきません。くれぐれもご無理をなさらないでください」

「ありがとう」


ヴィオラーテはとても嬉しそうにして、ディオンにも感謝を述べていた。


「ディオン、あなたにもお礼を言います。あなたの妻がこんなに素晴らしい女性だなんて……私はとても安心しました」

「ええ。私にとっても、自慢の妻ですので」

「とても仲がよいのね」

「勿論です。深く愛していますから」

さらりと言いながら真っ直ぐな視線を向けてくるディオンに、エミリアはやはり恥じらってしまう。


「メアリのお陰で、とても元気になったわ――それじゃあ、溜まっていた仕事を片付けてしまおうかしら」

力強くソファから立ち上がるヴィオラーテを、苦笑しながらミカエルが止めた。

「せっかく疲れが取れても、そんなことではまた倒れるよ? 私が代わるから、君はまだ休んでいるといい」

「ありがとう、ミカエル。それでは少し甘えさせてもらいます」


仲睦まじい姉夫婦の様子を見て、ディオンの顔にも笑みがこぼれる。

「それでは姉上、義兄上。我々の用は済みましたので、これで失礼します。――行こう、メアリ」

「はい」


エミリアとともに礼をして退出しようとしたディオンに、ヴィオラーテが物言いたげな視線を向けた。

「…………ディオン」

「? 何ですか、姉上」

「……………………………いえ、」


ヴィオラーテは何かを言いたそうにしているが、しかしいつまでも切り出さない。

引き留めてしまったことを後悔するかのように首を振り、やがて「なんでもないわ」とつぶやいた。


「……ディオン、あなたも明日の夏華祭には参加するのでしょう?」

「ええ。久しぶりに顔を出すことにしました」

「そう。……久しぶりに、あなたとゆっくり話せて嬉しかったわ。もし夏華祭でを言ってくる者がいたら、すぐに私に伝えて頂戴。私が対処しますから」


面倒なこと――? とディオンが尋ねようとしたとき、部屋の外からドタドタドタ~。という元気な足音が近づいてきた。

バンッ! と勢いよくドアを開けて、愛らしい男の子たちが駆け込んでくる。


「わぁ。おじうえだ!」

「ほんとに来てたんだ! あそぼうあそぼう!」


ヴィオラーテとミカエルによく似た、3,4歳くらいの幼児たちだ。幼児二人のあとを、乳母が慌てて追いかけてきた――元気いっぱいの子供の世話に手を焼いている様子だ。


ヴィオラーテが、呆れたような顔をした。

「まぁ! セリオ、ヴィオ。あなたたち、マナーはどうしたのですか?」


母親にたしなめられた幼児二人は、ぴっと背筋を伸ばしてから礼をする。

「ごきげんよう、おじうえさま」「ごきげんよー」


その可愛らしさに、全員が頬を緩ませていた。

「まったくもう……この子達ったら。ディオン、よかったら息子たちと遊んであげてくれないかしら。セリオもヴィオも、あなたのことが大好きなのよ」


「喜んで」

と爽やかに礼をしてから、ディオンは幼児二人を抱き上げる。

「それでは姉上のお言葉に甘えて、中庭で少々遊んで参ります」


きゃ、きゃと喜ぶ子供たちを抱いだまま、ディオンは部屋から出ていった。エミリアと乳母も後に続き、ヴィオラーテ夫婦は微笑ましく見送っていた。



   *




「おじうえ~! ぼく木登りやりたい」「おにごっこタグゲームがいいよー」

「木登りだって」「おにごっこだよぅ!」

「揉めるなよ。両方やればいいじゃないか」


言い合いを始める2人を仲裁しながら、ディオンはエミリアに囁きかけた。

「ありがとな。君のお陰で姉上も喜んでいた」

囁く吐息が耳に掛かって、不意にどきりとしてしまう。

「……お役に立てて嬉しいです」


「よし! じゃあ、ふたりとも遊ぶか?」

「「わぁい!」」

子供たちと楽しそうに鬼ごっこを始めたディオンを、エミリアはどきどきしながら見守っていた。


(なんか、家族っぽい……)


エミリアは『父親』を知らない。


(でもディオン様みたいな人が父親だったら、子供はすごく幸せだろうな……)

そんなことを思いながら、ディオンの笑顔を見つめていた。





   *



侍女サラは、いらだちを隠せずにいた。


エミリアの世話をする侍女の一人として、サラは今回の登城に同伴している。

今は王城内の賓客棟で、エミリアとディオンが戻るのを待っているところだ。


なにげなく窓の外に目を馳せたら、中庭にいるディオン達の様子が見えてしまった。ディオンは幼い王子ふたりと遊んでいて、そのすぐそばにはエミリアがいる。


幸せそうな笑顔を浮かべて、エミリアはディオンを見つめていた――その様子を見て、サラは一層いらだった。


(どうしてなの!? どうしてディオン殿下は、メアリを可愛がっているのよ!? 浮気の証拠を見せて差し上げたのに……むしろ親密になるなんて、おかしいわ!)


先日、サラがあのイヤリングをディオンに見せたのは、すでに3週間前のことだ。

決定的な浮気の証拠であるはずなのに、なぜかディオンは『メアリ』を責めようとしなかった。そして逆に、『メアリのイヤリングを盗んだ侍女』としてサラを激しく非難したのだ。


窃盗の罪により、サラは領主邸から解雇されそうになった――優秀な侍女を自認するサラにとって、信じられない事態であった。

しかしメアリは、ディオンに『解雇なんてあんまりです!』と訴えたのだ。


――『サラが私の物を盗んだ? いいえ、それは落とした私の責任です。きちんと謝罪してから返してくれましたし、もう十分です! ディオン様、お願いだからサラを辞めさせないでください!』


メアリの温情により、サラは解雇を免れた。そしてメアリたっての希望によって、引き続き専属侍女であり続けている。


しかし、平民女メアリに情けを掛けられたという事実そのものが、サラにとっては不愉快でたまらなかった。


ディオンは未だにサラに対して冷たいし、屋敷のみんなもサラと距離を置くようになった。メアリだけがこれまで通りに接してくるが……その態度さえも、サラの神経を逆なでするのだ。


(どうして私が冷遇されなきゃならないの!? メアリよりも私のほうが高貴な生まれなのに。だって、私は貴族の出身よ? グスマン侯爵家の流れを汲む、由緒正しい貴族なのに。どうして私が、平民女よりも低く扱われるわけ……?)


苛立ちを募らせながら、サラが廊下を歩いていたそのとき――




「おやおや、サラ嬢。ずいぶんと不満そうな顔をしているではないか?」

ねっとりとした声が、曲がり角で呼び止めてきた。


サラは声のほうに振り向き、驚きに目を瞠った。

「グスマン侯爵閣下……!」



廊下に立っていたのは、ログルムント王国の古参貴族にして一大政治派閥の筆頭――グスタフ・グスマン侯爵だった。

白髪交じりの口髭に触れながら、グスタフ侯爵はもったいぶった口調で語りかけてくる。

「サラ・フィールズ子爵令嬢。息災かね?」


「ええ……閣下。ご無沙汰しております……」

「ふむ。その様子、ずいぶん疲れているようだが? ディオン殿下のもとでお仕えするのは、なにかと気苦労が絶えないのではないかね?」


「それは……」


にんまりと、グスタフ侯爵は笑みを深めた。

「実は折り入って、君に頼みたいことがあるんだが。聞いてもらえるかね? サラ嬢」


サラは、ごくりと唾を呑んだ。


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