【5】一方、レギト聖皇国では
――場所は変わって、レギト聖皇国。
エミリアが脱獄した翌朝のことである。
「あぁ、気持ちの良い朝ですこと」
宮殿内の自室で目覚めたカサンドラは、朝からウキウキした気分だった。
そろそろ報告が来る頃かしら――と思っていたちょうどそのとき、侍女たちが緊張の面持ちで入室してきた。
「カサンドラ皇女殿下、皇帝陛下がお呼びでございます! 大至急で、とのことでした」
「あら。そう」
顔を強張らせた侍女とは対照的に、カサンドラは余裕たっぷりの笑顔を見せた。
「分かりましたわ。それでは、すぐに支度をして頂戴」
身支度を整えさせながら、カサンドラは悠々と窓の外を眺めている。早朝だというのに、皇城内はいつもより騒がしい。大勢の兵士たちが、何かを探しているように動き回っていた。
「あらあら、今朝は随分と慌ただしいですわね。何があったのかしら?」
「私どもには分かりかねますが――」
「まるで、罪人が逃げ出したような慌てぶりですわね……うふふ」
兵士たちがなぜ慌てているのか、カサンドラはよく知っている。
(投獄されていたエミリア・ファーテが逃げ出したから、父上が捜させているのでしょう? わたくしは全部知っているのよ?)
くすくすと、忍び笑いが止まらない。
(だってダフネに命じてエミリアを脱獄させたのは、わたくしなんですもの。あの忌々しいニセモノを退場させない限り、わたくしの出番はないのだから!)
愉悦に浸りながら、カサンドラが幼いころからの日々に思いを巡らせ始めた。
――幼少時のカサンドラは、エミリア・ファーテを『便利な替え玉』だと思っていた。
しかし年月を経るごとに、彼女を『目障りなニセモノ』と感じるようになったのである。
***
6歳で『聖女の力』を見出されたカサンドラは、皇帝らとともに速やかに法王のもとへ赴き、公認の聖女となった。
聖女を輩出する国として知られるレギト聖皇国だが、皇族から聖女が生まれたのは建国以来、初めてのことだ。だからカサンドラは、『聖皇女』として注目を集めた。
――しかし、幼いカサンドラにとって聖女の仕事は苦痛であった。だだをこねるカサンドラに手を焼いていた皇帝にとって、エミリアの出現は幸運以外のなにものでもなかった。エミリアの髪をカサンドラと同じ赤色に染めさせ、顔に化粧を施して『聖女カサンドラの替え玉』として働かせることしたのである。
便利な替え玉ができて、当時のカサンドラは大満足だった。
エミリアは、皇城のはずれに佇む古い塔に居室を与えられた。聖女カサンドラの身代わりをするとき以外は外出禁止。毎朝カサンドラが塔に出向き、聖女の着替えを済ませたことにして、代わりに法衣を纏ったエミリアが塔から神殿へと向かう。一方のカサンドラは隠し通路で宮殿に戻り、ゆったりと1日を過ごす。
エミリアが聖女として働く間は、カサンドラは裏でゆるゆると休む。
カサンドラが社交場などで活動する間は、エミリアを塔に閉じ込めておく。
完璧な作戦だった。
カサンドラはエミリアを信用していなかった。だからエミリアには、監視役を付けた――それがダフネだ。
ダフネはカサンドラより7歳ほど年上で、もともとはカサンドラの配下であった。
だがエミリアに譲るという体裁で、『エミリアの侍女兼護衛役』という肩書を与えた。実際には、ダフネは『皇家の影』と呼ばれる皇家直属の暗殺者集団に属する女である。
「エミリアが不審なことをしたら、すべて報告なさい」
と、カサンドラはダフネに命じた。
「カサンドラ様。エミリア嬢は心から聖女の仕事を楽しんでおられる様子です。反逆の意志は見られません」
「そんな訳ないでしょう!? 油断せずきちんと見張りなさい!」
「……はい」
エミリアに揺さぶりをかけるために、カサンドラは事あるごとにエミリアをなじった。
「あなたが逃げ出しても、誰もあなたを匿ってはくれない。だからどこにも逃げ場はないのよ?」
「はぁ」
間抜けな顔で生返事をするエミリアを見ると、なぜか余計に腹が立つ。
エミリアにきっちりと釘を刺して、睨みを利かせる――それがカサンドラの日常茶飯事だった。
エミリアの貢献により、『聖女カサンドラ』は誰からも愛される人気者になっていった。
本物のカサンドラが社交場や行事に出れば、誰もが尊敬のまなざしをカサンドラに向ける。替え玉の存在には、誰ひとり気づいていない。カサンドラもレギト皇家も順風満帆だ。
にもかかわらず、カサンドラは日々、不満を募らせていった。
人々の賞賛が向けられているのは、本物の自分ではない――その事実がどうしようもなく不愉快なのである。
(本来ならばわたくし自身が活躍して、わたくし自身が尊敬されるべきだったのに。ニセモノがチヤホヤされるなんて……こんなのはおかしいのではなくて!?)
カサンドラは、このときすでに15歳になっていた。
幼少時にはつらかった聖女の仕事も、15歳の今なら難なくこなせるに違いない。
だが、両親は首を縦には振ろうとしない。
「せっかくエミリアに働かせて上手く行っているのだから、わざわざお前が聖女をする必要はないのだよ?」
「そうですよ、カサンドラ。聖女の重労働など、土にまみれた平民に適した仕事です。あなたには難しいのではなくて?」
馬鹿にされた気分になった。
卑しいエミリアよりも、自分は劣っているというのだろうか?
そしてカサンドラはこれまで以上に、エミリアに八つ当たりをするようになった。
*
さらなる大問題が発生したのは、18才のときだった。――カサンドラの婚約者が、『聖女のときと皇女のときの彼女』に違和感を訴えてきたのである。
カサンドラには婚約者がいる。
ドルード公爵家の次男レイス、甘いマスクの好青年だ。
本当は、カサンドラは別の男に片思いをしていた。
しかし叶わぬ恋だと理解したため、現実路線に変更して数年前にレイスとの婚約を受け入れていた。
レイスは聖女カサンドラの信奉者で、カサンドラとの縁談を心から喜んでいた。
だが「宮廷で会うカサンドラと、神殿で会うカサンドラの雰囲気がかなり違う」と、ことあるごとに彼は言っていた。
「おほほほほ……。宮廷と神殿とでは、振る舞いをきりかえておりますのよ」
などと誤魔化しておいたが、言われるたびにカサンドラは戦々恐々としていた。
極めつけが、先日だ。
悲しげな顔をして、とうとうレイスはカサンドラに訴えたのである。
「カサンドラ様。僕の前では、あなたの素顔を見せてくださいませんか?」
「……何を言っているのですか、レイス?」
戸惑うカサンドラの手を取り、愛を囁くようにしてレイスは言った。
「聖女の時のあなたはいつも、ヴェール越しに輝くような笑顔を僕に見せてくれるではありませんか。なのに、今のあなたはまるで別人だ。聖女のときの、ありのままのあなたを僕に見せてください……真実のあなたを、僕は心から愛しているのです!」
切々と訴えられた次の瞬間、カサンドラは全身の血が逆流するような錯覚を覚えた。
(こっちのわたくしが本物ですけれど――!?)
もはや我慢の限界だった。
――その結果が、神殿前広場での騒ぎである。
エミリアはいつものように『聖女カサンドラ』として、国民の前で宗教行事を執り行っていた。そのさなかに、カサンドラが兵を引き連れて突入。
「皆、だまされてはいけません! この女はわたくしの偽物です。私の名を騙り、私の名声をかすめ取ろうとする卑しい女なのです」
カサンドラはエミリアを牢屋にぶち込んだ。
偽聖女事件のウワサは、あっというまに皇都内に広がっていった。
皇帝は事態の対処に大慌てである。
「カサンドラ! なぜエミリアのことを国民の前でばらしたんだ!?」
責め立てる皇帝に、カサンドラも息を荒くして反論する。
「わたくし、我慢の限界でしたの! わたくしだって、聖女の務めくらい果たせますわ! もう偽物なんて要りません! エミリアを処刑してくださいまし!」
しかし皇帝は、エミリアを処刑しようとはしなかった。
「生かしておけば、利用価値がある。ほとぼりが冷めた頃にまた身代わりに使えるだろう」
そんなことを言っていた。
皇帝は、カサンドラの能力を信じていないのだ。
それがカサンドラには不快だった。
――だから。
「ダフネ。エミリアを脱獄させなさい」
カサンドラはダフネを呼び出し、そう命じたのだ。耳を疑うダフネに、重ねて命じる。
「父上はエミリアを処刑する気はないそうよ。エミリアにまだ利用価値があると思い込んでいるの。……そんなの、許せませんわ」
「だからエミリア様を逃がすのですか?」
「ええ。逃がして、外で殺しなさい。ダフネ、あなたならできるでしょう? ――あなたは『皇家の影』なのだから」
ダフネの顔から表情が失せた。
「――かしこまりました、カサンドラ様」
「脱獄したエミリアに、自由になれたと思い込ませて喜ばせてから殺しなさい。希望から絶望に転落するのが、あの子にはお似合いですもの。……ふふふ、わたくしに不当な扱いを強いてきたエミリアには、当然の報いですわ。それじゃあ、さっさとお願いね」
「承知しました。準備を整え、明日の晩に決行いたします」
ダフネは優秀な暗殺者だ。失敗などするはずがない。
カサンドラは愉悦に笑った。
*
そして、翌朝。
ダフネは上手くやったらしい。
騒然とする城内を見て、カサンドラは喜んでいた。
執務室へと入室すると、青ざめた両親としらけ切った顔の兄が待っていた。
「……エミリアが、逃げた」
監獄を見張る兵士は、全員毒を盛られて倒れていたらしい。
(さすがダフネ、鮮やかな手並みですわね。あとは、いつエミリアを殺すか――うふふ、楽しみでたまりません。ダフネに任せておけば、すべてうまく行きますわ)
「なんということだ。偽物を使っていたことが大々的に知られたら、大変なことになる」
「こんなことが万が一、法王猊下の耳に入ったら――」
青ざめる両親をなだめるように、カサンドラは微笑した。
「ニセモノがいなくなったくらいで慌てることはありませんわ。ここに、本物の聖女がいるではありませんか。わたくしが役目を果たせば、何ら問題はないはずです」
「……お前に、本当に聖女の役目が務まるのか?」
「もちろんですわ。お任せくださいな」
カサンドラは、優雅に一礼して見せた。
「これからは本物の聖女が、本物の仕事をいたしますわ」
意気揚々としているカサンドラは、自分の才能を信じて疑わなかった。
父と母、兄が胡乱げな顔をしていることに、彼女はまったく気づいていない……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます