【35】安心して、お休み。
――それから先は、あっという間だ。
法王とその手勢である騎士たちが皇城内を掌握し、レギト皇家は失脚。次期皇位には、継承権を有する公爵家当主が就くこととなった。
裁判の末、皇帝・皇后と皇太子ヘラルドは流刑地・テレウ島へと送られた。テレウ島は焼けつく砂地と苛烈な潮風で有名な孤島で、『死ぬよりつらい流刑地』として知られている。
カサンドラは流刑ではなく、聖女としてレギト聖皇国内での生涯奉仕を命じられた――彼女にとっては、流刑以上に過酷な処罰に違いない。
『替え玉を酷使していた悪辣な元皇女』として知られた彼女は、針のむしろの上で働き続けなければならないのだから。
一方、公認の聖女となったエミリアは、レギト聖皇国内で滞っていた竜鎮めをすべて行ってから、ディオンとともにログルムント王国へと戻った。以後はログルムント国内が聖女エミリアの管轄となるためである。
エミリアが西側諸国で10人目の聖女となったことで、各国にひとりずつの聖女を配置できるようになった。――カサンドラに一国の業務を任せるのは不安だが、定期的にエミリアが救援に行く体制をとる予定だ。
「――――報告は以上です。ヴィオラーテ陛下」
ログルムント王国に戻ったエミリアとディオンは、女王に事の次第を報告した。
女王から聞かされたのは、逆賊グスタフ・グスマンの処刑とサラの修道院送りの件だった。
「よく戻ってきてくれましたね、エミリア。ディオンが『レギトの頭越しに、法王猊下に直訴しに行きたい』と言ったときはどうなることかと思いましたが。すべてが最良の運びとなり、嬉しい限りです」
ヴィオラーテは、エミリアを見て嬉しそうに頬を緩める。
「我が国は長く聖女が不在でしたが、これからはあなたがいるから心強いですね」
「ありがとうございます」
「通常は、聖女は王都の主神殿周辺に住まうものだと聞いていますが……あなたはディオンの妻ですから、王都にとどまるのは難しいですね? ヴァラハ領への巡礼路を設けるよう、議会に提案しておきます」
そして全ての報告を済ませ、エミリアとディオンはようやくヴァラハ領へと戻ってこれたのだった。
「んー! やっと気が休まる……! 夏華祭で王都に行ったときから今日まで、ドタバタしすぎて全然くつろげませんでしたし。疾風怒濤の4か月でしたね!」
夫婦の共寝室で、ベッドに寝転んでエミリアは思いきり伸びをしていた。
リラックスしきっているエミリアとは対照的に、ディオンはベッドに腰かけたまま何かを考え込んでいる様子である。
「……ディオン様?」
深刻な顔して、どうしちゃったんだろう――と、エミリアは首をかしげた。
そろりそろりと背後から近づいていっても、ディオンは気づかないらしく身じろぎもしなかった。
エミリアの胸に、いたずら心が芽生える。
そろーり。そろりと彼に近づき、すぐ耳元で吐息まじりに「ルカ」と囁きかけてみた。
「うわっ!!」
ディオンが真っ赤な顔をして、びくりと飛び上がる。
「な、なな……何だよ!」
エミリアはお腹を抱えて笑い転げた。
「ディオン様、また真っ赤になってる! どうして『ルカ』って呼ぶと、いつも赤くなるんですか? おもしろい!」
最近、エミリアは新しい遊びを覚えた。
ディオンに『ルカ』と囁くと、なぜだか彼はうろたえるのだ。
そのうろたえぶりが可愛くて、「やめろ」と言われてもついつい遊んでしまう。
「あはははは」
「やめろっての」
「だって、ディオン様はルカだもん。知らないうちにルカの『奥さん』になってたなんて、本当にびっくりしちゃった」
エミリアは子供のように無邪気に笑って、彼の肩に頭を乗せた。ディオンがルカだと分かってから、安心して触れ合えるようになったのだ。
……夫婦というより、大親友の距離感ではあるが。
「……こら、エミリア、」
「ルカの肩、おっきい。前はあんなに華奢だったのに」
人懐こく甘えてくるエミリアを見ながら、ディオンは頬を染めて戸惑っているようだった。
「エミリア……」
「はい」
「俺たちが結婚式を挙げてから、今日でちょうど半年になるんだ」
「半年? もう、そんなに経ちましたっけ!?」
「ああ。それで……君さえ嫌でなければ、契約書の見直しをしたいんだが」
「見直し?」
真剣な顔でうなずくディオンにつられて、エミリアも少し真面目な態度になった。
「この半年で、いろいろな状況が変わっただろう? 君は素性を隠す必要もないし、本物の聖女になった。それに、そもそも名前が違う」
「そうですね……。それじゃあ内容を見直して、合わないところは変更しましょう」
(でも、どんなふうに変更するのかな。結婚自体がなくなっちゃったり、しないよね? できれば、ずっとこのままで居たいのに……)
「俺は、契約そのものを無しにしたいんだ」
「え……」
契約を失くす?
夫婦関係を解消したいという意味なのだろうか?
エミリアの顔に暗い影が落ちた――しかし。
「契約をやめたい。……そして、俺はエミリアと本当の夫婦になりたい」
――え。
「……それって、」
エミリアの瞳が揺れた。
言葉の意味が、じんわりと胸に広がっていく。
――無期限で。無条件に。彼と一緒にいていいのだろうか?
答え合わせをするように、エミリアはディオンの瞳を見た。
どこまでも真摯な海色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめ返している。
あたたかな花が、心の中で開いていった――エミリアはディオンに飛びついて、元気よく「はい!」と答えていた。
「……おい、エミリア」
「嬉しいです! 私、ずっとあなたと一緒にいます!!」
子犬のように喜びながら、エミリアはディオンの背中にぎゅっと腕を回していた。
そんな彼女を慈しむように、ディオンは優しく頭を撫でる。
「ありがとう、嬉しいよ。――せっかくだから、もう一度結婚式をやらないか?」
「結婚式ですか?」
「ああ。あのときは、形だけだったから。今度は聖女と王弟の、国を挙げての盛大な結婚式だ。国中に聖女エミリアの存在を伝える最高の機会になるし……どうかな」
「いいですね!」
それからふたりで、婚姻時に交わした二通の契約書を持って暖炉の前に立った。
秋の夜は意外に冷える――暖炉でちろちろ燃える火のなかに、そっと契約書を投じた。
火に舐められて、端からとろけるように消えていく二通の契約書を、ふたりは優しく見守っている。
暖炉の前のソファに座り、おだやかな気持ちで肩を寄せ合った。
髪を梳いてくるディオンの指が、くすぐったくて気持ちいい。
彼の肩に頭を預けて、彼女はそっと呟いた。
「ディオン様。私、幸せです」
「俺もだよ」
エミリアは、あどけない笑みをうかべた。
彼の温もりに身をゆだねているうちに、まぶたが重くなってきた――
ディオンの肩に寄りかかったまま、エミリアは寝息を立て始めた。
彼女の髪を梳いていたディオンが、やや驚いて目を見開く。
「寝たのかよ! 本当に子供みたいだな」
(本当の夫婦になったら、『白い結婚』の約束もなくなるんだぞ? 分かっているのか? エミリアのことだから、何も考えてなさそうだな……)
安心しきった子供のように、幸せそうな寝顔だった。
「……まぁ、いいか。もう一度、最初から夫婦になろう。安心してお休み」
ディオンもまた、満ち足りた笑みを浮かべていた。
「愛しているよ――エミリア」
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