【4】王弟ディオン
「ちょ、ちょっと待って、訳が分からない! あなたが王弟殿下ですって!? 冗談も大概にして……」
「ところが冗談じゃないんだ、これが」
ははは。と快活に笑う彼の名は、ディオン=ファルサス・ログルムント。この国の王弟殿下だという。
エミリアはすっかり平静を失っていた。
(この人がログルムント王国の王弟!? そんな――)
エミリアは、数年前に聖女カサンドラに扮してログルムント王国へ表敬訪問したときのことを思い出していた。そのとき謁見したのは、女王陛下ヴィオラーテ=ファルマ・ログルムント。女王陛下の美しい面立ちも目や髪の色も、確かにディオンとそっくりだった。
「本当に、王弟殿下……なの?」
「ああ」
「でも! それじゃあなんで、野盗の恰好なんてして、砂漠で竜狩りなんかしていたの!?」
「竜狩りは俺の趣味だ。ヴァラハ領は魔獣の多い土地柄だから、趣味と実益を兼ねてよく狩りに行っている。それに俺は、自分が野盗だなんて一度も言ってないぞ? 俺が『砂の民』の民族衣装を着ていたから、野盗と勘違いしたんだろう?」
うっ。と声を詰まらせるエミリアを、たしなめるようにディオンは言った。
「白いローブとターバンだったのは、あの恰好が砂漠では一番機能的だからだ。それと、曲刀は砂塵竜を殺すのに最も適した武器だから。一般的な長剣は刺突には良いが、斬撃性では曲刀に一歩劣るんだ。……というかそもそも、砂の民と『野盗』を同一視するのは気に入らないな。お前は実際に砂の民に襲われたことがあるのか?」
「…………ないわ」
「偏見で決めつけるのは、良くないぞ」
ディオンの指摘は正しい。噂だけで野盗だ蛮族だと決めつけるのは、良くないことだ。
「そうね……ごめんなさい」
エミリアはしょんぼりと肩を落とした。
「そこまで気にすることはない。竜に襲われて生きるか死ぬかの状況だったんだから、冷静な判断なんてできないだろうしな」
エミリアの頭をぽん、と撫でるとディオンは明るい口調に戻った。
「何はともあれ、狩りに出ていた俺が、偶然あの場に居合わせたのは幸運だった。お前は従者ともども命拾いしたし、俺はお前という結婚相手に出会えたんだから」
「結婚相手……?」
雇われる報酬として、契約上の妻になってほしいとディオンは言った。
要求そのものが無茶苦茶だし、まさか相手が王弟だなんて。
エミリアは居ずまいを正し、さきほどよりも改まった口調でディオンに問いかけた。
「王弟殿下が密入国者の私を選ぶなんて……冗談としか思えませんが?」
「いや。俺は本気だ」
「殿下は、私の名前も素性も存じ上げないのに?」
「名前も素性も身分も過去も必要ない。だがまぁ、名前が分からないと呼ぶのに不便だから、名前だけは教えてくれ」
エミリアは用意していた偽名を伝えた。
「メアリ・アンヘルです」
「あからさまに偽名だな」
即座に指摘され、エミリアはむっとした。
「なぜ偽名だと思うんです?」
「馬鹿正直に本名を教える密入国者がいるものか。『メアリ』も『アンヘル』もよく聞く名前だし、それにお前に馴染んでない気がする」
「……」
「図星だろ?」
ディオンは得意げに笑っている。
「まぁ、良いよ。それじゃあ今後はメアリと呼ばせてもらう。『お前』と言うのもやめにする。君は俺の妻になる女性だからな」
「……でも、なぜ仮初めの妻が必要なのですか?」
「王位から遠ざかるためだ」
と、ディオンははっきりと告げた。
「そのためには権力も後ろ盾も持たず、しかし教養と根性のある女性を娶りたい」
「……ちょっと意味が分かりません」
少々、長い話になるが――と、ディオンは溜息まじりに言った。
「俺は今年で21歳になったが、いまだに婚約者を定めていない。だから国内の貴族から縁談がひっきりなしに舞い込んで、煩わしくて堪らないんだ。自分の娘を俺にあてがって、俺を次期王位に押し上げようという連中が沢山いる――ふざけた話だ、俺は王位なんて望んでいないのに」
忌々しげに、ディオンが眉を寄せている。
「俺は姉上を心から敬っているし、次期王位には姉上の子供こそが相応しいと思っている。……だが子供たちはまだ幼くて、『王弟を次期王位に。王弟妃に我が娘を』と騒ぐ者があとを絶たないのさ」
エミリアは、静かに話を聞いていた。
「だから、そういう連中にあきらめさせるためにも、もし娶るなら何の後ろ盾もなくて、どの権力にもつながらない女性でなければならないと思っていたんだ」
「どの権力にも繋がらない……」
「ああ。だが王弟妃として最低限の国事行為には出て貰うかもしれないから、無教養では務まらない。好奇の目に晒されても凛と立っていられるような、根性も必要だ。……しかしそんな女性には出会ったことがなかった」
「普通に考えて、そんな女性いるわけないじゃありませんか」
「いや、君がいる」
ディオンは、エミリアの手を取ってひざまずいた。
「メアリ。俺の妻になってほしい」
「でもやっぱり、王弟殿下が素性の知れない女と結婚するなんて……そんな話、聞いたことがありません。王族が妻を娶るなら、最低でも伯爵家以上の家門からとするのが通例でしょう? 私なんかを娶ったら、殿下の醜聞になってしまいますよ?」
「醜聞でいいんだ。俺は非常識な出来損ないで、王位など到底預けられないと失望されるくらいがちょうど良い。むしろ、そうありたいんだ。姉上やその家族の平穏を脅かすような真似だけは、絶対にしたくないんだよ」
ディオンの瞳は真剣だった。
「姉上も、俺の考えに理解を示してくれている。だから、俺の選んだ女性であれば身分を問わず結婚を認めるとおっしゃっていた。貴賤結婚は、法的にも可能だしな」
(……ログルムント王家も、いろいろ大変そうね)
と、ディオンの話を聞いてエミリアは思っていた。
「俺は、結婚するなら君が良い。今のやりとりだけでも君の知性や胆力は十分に推しはかれたし、君ほどの適任者には二度と巡り合えないと思う。ちなみに顔もかなり好みだ」
「それは要らない情報ですね」
「ははは」
ディオンは軽やかに笑って流した。
「俺は君に雇われて、君の自由と安全を守る。そしてその報酬として、俺は君という妻を得る。君の過去や素性について俺は絶対に詮索しないし、対外的には都合のよい『設定』を捏造しておこう。無国籍の密入国者として貧民窟で生きるより、俺の愛妃を演じて暮らすほうが安全なのは間違いない。良い条件だとは思わないか?」
(……確かに、悪くないかもわ)
レギト皇国では偽聖女として働いていたが、今度は偽りの王弟妃として生きる。
相変わらず自分の人生はウソだらけだが、悪い話ではない。
そのとき。こん、こんとノックの音が響き、ひとりの侍女が入室してきた。
「お付きの騎士さまが、先ほどお目覚めになりました」
「……ダフネが!」
エミリアは安堵の息を漏らす。
「騎士さまは、お嬢様のご無事を確認したいとおっしゃっています。重傷なのに無理やり起き上がろうとして、お医者様に叱られていましたが」
元気を取り戻したダフネの姿が目に浮かび、エミリアは笑みをこぼしていた。
侍女が退室したのち、ディオンはエミリアを気遣う様子で声を掛けた。
「従者に顔を見せてくるか? 俺との話の続きは、後でも構わないぞ」
エミリアは、ダフネのことを考えた。隣国の王弟と契約結婚をするなどと聞いたら、ダフネは目の色を変えて反対するに決まっている。だから――
「いいえ。殿下とのお話をきちんと固めたあとで、ダフネに説明しに行きます。……私があなたの妻になれば、ダフネの安全も保障してくださいますよね?」
「当然だ」
エミリアは少し緊張しながらディオンに頭を下げた。
「でしたら、私は異論ありません。契約しましょう、ディオン殿下」
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