【17】偽聖女の竜鎮め

「メアリ。こんなところに何をしにきたんだ?」

ダフネを押し付けて腕をひねり上げながら、険しい表情のディオンがエミリアを見つめていた。


「ディオン、さま……。どうして、地下牢に? 今夜は視察でお戻りにならないんじゃあ……」

「ごめんな、それは真っ赤な嘘だ。本当は、俺はずっとここに居た。ここで待ってたら、メアリが来るんじゃないかなぁー……っていう、がしたんだ」


こっそり忍び込んだ地下牢で、不在のはずのディオンが待ち構えていた――理解不能な状況に、エミリアはすっかり混乱してしまった。


「どういう……ことでしょうか……」

「別に? 俺は理屈より直感を信じる主義なんだ。なんとなく、そう思っただけだよ」


ディオンの声音は少し硬く、いつものような陽気な調子ではない。ディオンに拘束されたダフネが、わなわなと声を震わせる。

「貴様っ」

「動くなダフネ」

「ぅッ…………!」

ディオンは、ダフネを床に押し付けた。


「ダフネがいろいろと嗅ぎまわっているのは、俺も気づいていた。気づいた上で泳がせていたんだ。……部下にいつの間にか毒を盛られていたのは、見抜けなかったがな。完全に俺の落ち度だよ、情けねぇ」


悔いるような表情で、ディオンは首を振っていた。彼は軽い力でダフネを押さえつけているように見えるが、ダフネは一向に抗えない。両者の力の差は歴然だった。


「おい、ダフネ。俺の部下たちの命に別状はないんだろうな?」


ダフネは呻きながらも、毒の効力が明け方には切れることを告げた。ディオンがわずかに表情を緩め、ダフネを解放する。


「それなら良かった。返答次第ではお前の処罰を避けられなかったところだ。……だが、そんなことをしたらメアリが悲しむ」


ダフネはよろけながら起き上がり、エミリアを庇うようにして立った。エミリアは絶句して立ちすくんでいる。

そんな二人を見つめながら、ディオンは溜息をついた。


「……さて困った。俺はどうするべきだ? メアリ?」


エミリアは固唾をのんだ。


(忍び込んだ現場を押さえられてしまったのだから、言い逃れはできないわ。なぜディオン様が、私がここに来ると思ったのかは知らないけれど、私にはそれを尋ねる権利がない……)


もう誤魔化せない、正直にすべて打ち明けるしかない。それがどんな結末になるとしても――覚悟を決めたエミリアは、ディオンに深く首を垂れた。


「申し訳ありませんでした。すべて私の我が儘なんです。だから、どうかダフネだけは見逃してあげてください。すべてを、正直にお話しますから」


ディオンが微かに眉を顰める。

ダフネが「メアリ様!」と声を荒げるのも聞き入れず、エミリアは大きく息を吸い込んだ。


「私のすべてを、あなたにお話しします。私は、実は――」

「聞きたくない」


とっさにディオンに遮られ、エミリアは戸惑った。

ディオンが悲しそうな顔をして、こちらを見つめている。


「言わないでくれ。君からそれを聞き出したら、俺は契約違反になってしまう」

「……え?」


困惑しているエミリアに、ディオンは言った。


「俺との契約結婚に応じてもらう条件として、俺は『メアリの過去と素性について、一切の詮索をしない』と約束した。君に自白させたら、契約違反になるだろ? ……君との婚姻関係を失いたくない。君は律儀だから、俺もそういうところはきちんとしなきゃな」


静かな靴音を響かせて、ディオンはエミリアに歩み寄る。


「だから俺は、今後も君の素性や過去を問い正すつもりはない。……だがその代わりに、ひとつだけ質問に答えてくれないか」


ディオンの両手が、エミリアの肩をしっかりと捉えた。


「メアリ。君はマルクを救えるか? 救えるからこそ地下牢に来たのだと、俺はそう期待している。Yesなら、今すぐ助けてやってくれ。あとのことは全部俺が上手くやるから」


エミリアはハッとした。


(ディオン様は、私が竜鎮めをできるって……『聖女の能力』を持っているって知ってるの!?)


なぜ彼が知っているのだろう? という至極当然な疑問が頭をよぎる。だがしかし、エミリアにとって、今はそんな疑問などどうでも良かった。


「Yesです。私にマルクを救わせてください」



ディオンは「頼む」とだけ告げて、マルクの独房の鍵を開けた。彼自身が先に牢に入って、エミリアにも続くようにと視線で促す。

独房の隅っこで、マルクは凍えるように身を丸くして震えていた。


エミリアは、檻の外に立つダフネを振り返った。

「ダフネ。何があっても、あなたは手出しをしないでね」

「……かしこまりました」


エミリアはマルクに歩み寄る。

うずくまっていたマルクは、びくりと起き上がった。

手負いの獣のように低く唸り、身を低くして牙を剥く。黒色だったはずのマルクの瞳には、今は鮮烈なまでの虹色がうごめいていた。


威嚇するマルクに向かって、三歩ほど離れた距離からエミリアは右手をかざした。掌から、雪の結晶に似た魔力の光があふれ出す。


「怯える竜よ。人の仔に、あまねく宿る竜の血よ――」


淡い白光の粒が舞い広がり、薄暗い牢獄を清らかに照らした。マルクはその光を厭うように、獰猛な唸りを上げた。


「我が声を聞け、荒ぶる竜よ。我は女神の代行者、汝の怒りを鎮める者なり」


瞬間、マルクがエミリアに飛びかかる。

エミリアは舞うような動作で魔法の光を展開し、光でマルクを包み込んだ。


「汝、恐れることなかれ」

光の網を引き千切ろうとして暴れるマルクに、エミリアはそっと手を伸ばす。頬に触れ、慈しむように微笑みかける。


「汝、人の仔と共に在れ。人の仔を赦し守れ。さすれば、汝も赦されん」


マルクのなかで暴れ狂う竜へと直接語り掛けるように、エミリアは囁いていた。

マルクの動きが、徐々に緩慢になっていく。

瞳にうごめく虹色が、徐々に薄くなっていく。

苦悶に歪んでいたマルクの顔が、まどろみの表情へと変わっていった。


「我は聖女。我は汝と人の仔の、真なる友愛を祈る者――」


柔らかな光がマルクを包み込み、ゆっくりと消えていった。気を失って脱力したマルクを、エミリアが優しく抱きかかえる。



「……〝竜鎮め〟は無事に終わりました。マルクは二度と竜化病を発症しません」

その場にそっとマルクを横たえ、エミリアはディオンとダフネを振り返る。


ディオンもダフネも、それぞれ何かを言いたげで――しかし二人とも、なにも言わずにエミリアを見つめ返すばかりだ。


エミリアが、ディオンのもとへと歩み寄ろうとする。

しかしふらりとよろめいてしまった。

「おい、大丈夫か」

咄嗟に延ばされた彼の腕に、エミリアは抱き留められていた。


「平気です。竜鎮めって、意外と魔力の消費が激しくて……けっこう、眠くなるんです」

「そういうものなのか」

「それにしても、久々だから鈍っているのかも。……いつもは二、三人連続でもへっちゃらなのに」

「もう何も言わなくていい」


ふらふらしているエミリアを、ディオンが横抱きにした。

「ディオン、さま?」

「このまま寝ろ。寝室に運んでやる」

「すみません……」


逞しい腕の中で、エミリアは微睡んでいた。


(……ディオン様。あなたは一体、何者なの? 私が偽聖女だって、どうして知ってたの? 知っていたのに、知らないフリをしていたの? ……でも、いつから?)


聞きたいことが沢山あるのに、眠くて思考が働かない。でも、これだけは今、言っておかないとダメだと思った。


「ありがとうございます……ディオン様……」

「こちらこそ。マルクを救ってくれてありがとう」


ディオンは、彼女を慈しむように笑みを深めた。


「あとのことは全部任せてくれ。マルクを1日でも早く家族と会えるように尽力するし、ほかのことも上手くやる。だから、安心してお休み」


安心しきった表情で、エミリアは、すぅ――と寝入ってしまった。

愛おしげに彼女の寝顔を見つめるディオンに対して、ダフネが硬い声で呼びかける。


「……ディオン殿下」

「今日のことは、全部不問にしておく。俺はメアリと約束しているんだ――メアリだけでなく、ダフネのこともしっかり守ると」


ダフネは、驚いたように目を見開いた。


「だからダフネ、お前も今後は怪しい行動をするな。なにかあれば事前に俺に相談しろ。……もしもお前の首が飛んだら、メアリが泣く」


行くぞ。とダフネを促して、ディオンは地下牢をあとにした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る