【6】危険な契約書

「でしたら、私は異論ありません。契約しましょう、ディオン殿下」


王弟ディオンとの契約結婚に同意することにしたエミリアは、ディオンとともに詳細な契約条件について話し合うことにした。応接室からディオンの執務室へと場を移し、話し合いの末にエミリアはディオンとの間に2種類の契約書を取り交わすことにした。


契約書を作成し終えたディオンは、笑みを浮かべてエミリアに契約書を差し出した。


「よし、こんなところか。君も内容をチェックしてくれ」

「はい」


応接ソファに腰を下ろしたエミリアは、2通の契約書を入念にチェックする。


――1枚目は、『雇用契約書』。

エミリアが雇用主となり、ディオンを雇うための契約書だ。

この契約によりディオンは〝用心棒〟となり、雇用主エミリア及び従者ダフネの自由と安全を保障することとなっている。

雇用契約書であるにもかかわらず、報酬欄には給与金額が書かれていない。

金額の代わりに記載されているのは、「金銭ではなく雇用主との婚姻関係の維持を、本契約における報酬とする」という文章だった。


「はい。雇用契約書のほう、確認しました。とくに問題ありません」

「それじゃあ、二枚目のほうも頼む」


――2枚目は、『結婚契約書』だ。

こちらの契約書には、ふたりの契約結婚の詳細条件が綴られている。

条文は6つ。

エミリアは、丁寧に目を走らせていった。


一、ディオンが求めた際には、メアリエミリアは愛妃として宮中行事や社交場に同伴する。

二、対外的には相思相愛の夫婦を演じる。

三、メアリの過去と素性について、ディオンは一切の詮索をしない。

四、メアリのヴァラハ領内での自由行動を認める。

五、契約期限は最低6年の随時更新


「最低期間が6年なのは、なにか理由があるんですか?」

「あと6年で、第一王子セリオが立太子可能な年齢になるからだよ」


ディオンの姉である女王ヴィオラーテには、4歳のセリオと3歳のヴィオという2人の息子がいる。


「この国の法律では、10歳になるまで立太子できないんだ。だから最低でも6年は、君と別れるわけにはいかない」


「なるほど。分かりました」

(……ふむふむ。とくに問題なさそうね)


と思っていたエミリアは、最後の条文に眉を寄せる。


〝六、閨事は強要しない。妻の自由意志に委ねるが、随時相談。〟


「……殿下。なんですかこの六番目の条文は」

「いやだから。君の意志に任せようかと」

「そんなの、イヤに決まってるじゃないですか! 契約結婚でしょう!?」

「べつに契約結婚と白い結婚は同義イコールじゃないと思うんだが。だからこそ条文に起こす訳で」

「白です! 白と明記してください!!」


分かったわかった。と、いたずらに失敗した子供みたいな笑い方をしながら、ディオンが『六、閨事は執り行わない』と書き改めた。


(もう! 何なのこの人、油断も隙もない……)

顔を赤くしながら、エミリアはジト目でディオンを睨んでいる。


「ほら。これで問題ないだろう?」

「…………」


穴が開くほど契約書をチェックし、怪しいことが書かれていないか確認し尽くした上でエミリアは頷いた。


「確認しました」


「それじゃあ、二通の契約書それぞれにサインを。……あぁ、ファミリーネームは書かなくていい。あとで君の家族関係を捏造するときに、ファミリーネームは変更するだろうから」

「わかりました」


ディオン=ファルサス・ログルムント。

メアリ。


ふたつの名が綴られた契約書を、ディオンは嬉しそうに見つめていた。


「この出会いに感謝を。今後ともよろしく、メアリ」


満面の笑みで、ディオンは彼女に握手を求める。

偽名で呼びかけられることに違和感を覚えつつ、エミリアは緊張しながら手を握り返していた。


   ***



その後エミリアは、胃の痛くなるような緊張の日々を送ることになった。最初に直面した困難は、ダフネの説得である。



ディオンとの結婚を決めたエミリアは、すぐにダフネに会いに行った。領主邸の客室に寝かされていたダフネは、エミリアの顔を見るなりベッドから跳ね起きた。


「良かった! ご無事だったのですね!?」

「……あのさ。何してたのかな? ダフネ」


ダフネのベッドのまわりには騎士服を着た男性たちが数名、気絶して倒れていた。部屋の隅では医師と思しき男性も、泡を吹いて気を失っている。


「この者たちは私に『安静にしろ』と命じてきましたので。力づくで取り押さえようとしたため、反撃して黙らせました。……ただ、暴れすぎるとあなた様の不利益になるかとも思い、医師の指示通り安静待機することといたしましたが」


「怖いよダフネ……。まぁ、元気そうでよかったけれど」

エミリアは誰にも聞こえないように、声を落としてダフネに耳打ちをした。


「あのとき解毒してあげられなくて、ゴメンね」

「私自身が望んだことです。あなた様がご無事で、本当によかった」

「ところで、大事な話があるんだけどさ」

「はい」

「私、王弟殿下と結婚することになったの」

「はい?」


ダフネはエミリアから、事の次第を聞かされた。

ダフネの鋭い美貌は驚きに染まり、次第に表情が失せ、最終的には唐辛子よりも赤くなって憎悪の色に染まった。


「……く、くそ、あの男!! 殺してやるっ――!」

ディオンを惨殺しかねない勢いで気炎を吐き散らし、ダフネは客室から飛び出そうとする。


エミリアは彼女の腰にしがみついてズルズルと引きずられながら説得を続けた。

「待って待って待ってダフネ!」

「私が不甲斐ないばかりに、あなた様が身売りすることになるなんて! あの男、臓腑をえぐり出してやる……」

「だめだってば。殿下を殺さないで!」

「ですが――」


ダフネにも一応は冷静さが残っていたらしい。周囲に聞こえないように声を落として、エミリアに囁きかける。

「契約結婚などするべきではありません。どのような不利益が生じるか――」

「でも、本当に好条件なんだよ? 殿下の庇護下で暮らした方が、安全だと思ったの。……私が決めたの」

「……っ」


ダフネは忠実なる従者だ。だから主人エミリアから「私が決めた」と言われた以上、それを覆すことはできない。


「私が、殿下と結婚したかったの! だから許して、ダフネ。お願いだから、今は自分の身体を治すことだけを考えてよ。本当はまだ竜毒でつらいんでしょう?」

「…………………………くそっ」

壁を蹴りつけて悪態をついてから、ダフネはベッドに戻って布団をひっかぶってしまった。

不機嫌極まりないダフネのことを、エミリアは数日掛けて説得したのだった……。



   ***


次に厄介だったのは、王弟ディオンの結婚に反発する貴族たちの存在だ。


エミリアと契約を結んだ直後、ディオンは王都に伝令を送って、結婚のことを実姉である女王ヴィオラーテに伝えた。女王からの承認はすぐに得られたものの、ディオンの結婚に猛反発する貴族は少なくなかった。


中には、王領ヴァラハの領主邸まで押し掛けて、直接ディオンに文句を言いに来る貴族までいた――とくに面倒くさかったのは、グスタフ・グスマン侯爵という人物である。


「王弟殿下! なぜ平民なんぞと結婚をなさるのですか!? このようなことはログルムント王国の建国以来、初めてのことですぞ!? ディオン殿下には我が娘こそが相応しいと、常々申し出ておりましたのに……それをさんざん無視した挙句、まさか平民などを妃になさるとは! 正気の沙汰とは思えませんぞ」


応接室の中から響くグスマン侯爵の怒鳴り声を、エミリアは廊下でげんなりしながら聞いていた。侯爵の声に続いて、ディオンの冷静な声が漏れ聞こえる。


「私の結婚については、すでに女王陛下より承認が下りている。卿にとやかく言われる筋合いはない」


ディオンの声音は、とても理知的だった。

エミリアと話す時の砕けた口調とはまるで別人だ。彼の声を盗み聞きしていたエミリアは、

(へぇ。ディオン殿下ったら意外とちゃんとした喋り方も出来るのね。さすが王弟……)

などと感心していた。


「しかし殿下……! 我がグスマン侯爵家は由緒ある名門。王家の繁栄にも、幾度となく貢献して参りました!! 当家がディオン殿下の後ろ盾となり、殿下の王位継承にお力添えをしたいと申しておりましたのに――!」


(……あぁ。こういう貴族が多いから、ディオン殿下は困ってたのね)

廊下で聞き耳を立てながら、エミリアはうんうんとうなずいてしまう。


「グスマン卿。私は王位を望まないと、これまで幾度も伝えてきたではないか。私は辺境たるヴァラハ領を守り、この王国を陰ながら支えていく所存だ。卿の口出しなど、今後も一切受け入れない」

ディオンの声は刃のように鋭い。


「それに、我が妻となるメアリは平民ながらも聡明で美しい女性だ。卿の令嬢に劣る点など一つもない。それに、メアリはから、出自は決して卑しくない」


「ぐっぐぬぬ」

「話は終わりだ。引き取りたまえ、グスマン卿」

「し、失礼いたしました……」


悔しがりながら退出するグスマン侯爵の背中を、エミリアは物陰から見送ったのだった。


(それにしても、私が『ディオン殿下の部下の娘』ね……。殿下ったら私の経歴もかなりこだわって捏造してくれたけれど)


エミリアは、ディオンの部下である『グレイヴ・ザハット』という人物の娘という設定になっていた。ザハットは六十過ぎの老人で、頬に大きな刀傷がある。


(まさか密入国のときに居合わせたご老人が、私の『父親』になるなんてね……)


ザハットはディオンの腹心で、ヴァラハ駐屯騎士団参謀長という役職を預かる人物だ。平民階級の古参騎士で、いかにも武人という感じ。寡黙で気迫あふれる彼は、老いの影など一切感じさせない人物である。


(私、赤ん坊の時に父親を亡くしてるから、『父親』ってどういう感じなのか全然分からないのよね……。だからザハットさんを見ても、全然父親とは思えないわ)


あの武闘派老人を、父親として見られる日は来るのだろうか……?

エミリアは、溜息を重ねるばかりだった。



   ***


そして契約を取り交わしてから1か月が経ち、エミリアとディオンは結婚式の日を迎えた。

式場はヴァラハ領内の小さな神殿だ。列席者は、最小限とした。


(毎日が疾風怒濤すぎて、頭がクラクラしてきちゃった……)

豪奢なウェディングドレスを纏ったエミリアは、控室でぐったりしていた。


(それにこのドレス、宝石がたくさん埋め込まれてて布が重いわ。一度しか着ないウェディングドレスにお金かけるなんて、やっぱり王族ってお金持ちなのね。……当たり前か)


一人でぐだぐだ思いめぐらせていると、ノックとともに『父親』――ヴァラハ駐屯騎士団参謀長のグレイヴ・ザハットが入室してきた。


「我が娘メアリよ。開式の時間だ。参るぞ」

「は……はい、お父様」


自分の娘に『我が娘』って呼びかける父親なんていないんじゃない? ――などと思いつつ、エミリアはザハットに付き従った。介添え人の案内を受け、神殿の礼拝堂へと進んでいく。


(……契約結婚とは言え、まさか私に結婚する日が来るとはね。現実味が全然湧かないわ)


礼拝堂の最奥に立つディオンは正礼装を纏っていた。陽光のように眩しい笑顔で、優しくこちらを見つめている。


(私の人生って、本当に予測不能すぎる……)


パイプオルガンの音色が響き、ディオンとエミリアの結婚式が始まったのだった。



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投稿が少し遅れてすみませんでした!!ご覧いただきありがとうございます!

次話は1/9(火)12:00頃です。

明日からも一日1話毎日12時投稿します。


書き溜めがたっぷりでき次第、一日2話でどんどんしていきますのでどうぞ引き続きよろしくお願いします!

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