【7】結婚式と口づけ

パイプオルガンの音色とともに、結婚式が始まった。

ザハットの腕に手を添えて、礼拝堂の最奥で待つ正礼装のディオンのもとへと進んでいく。


ザハットはディオンにエミリアの手を取らせると、恭しく一礼してから参列席へと下がっていった。


礼拝堂のなかにいるのはたったの5人。式を取り仕切る神官と、新郎ディオン、新婦エミリア、新婦の父ザハット。あとは宮廷政務官が1名――この宮廷政務官は、女王ヴィオラーテの名代なのだという。


「新郎ディオン=ファルサス・ログルムント。貴方はこの女性をいつ如何なる時も愛し敬い、慈しむことを誓いますか」

神官の問いかけに「誓います」と答えるディオンの声を聞きながら、エミリアはぼんやりしていた。


(私の人生って、本当に予測不能すぎる……)


ヤケクソで密入国した先で偽装結婚とは、どこまでも滑稽だ。滑稽すぎて、笑う余裕すらない。


「新婦メアリ・ザハット。貴女はこの男性をいつ如何なる時も愛し敬い、慈しむことを誓いますか」


「誓います」

(本当は全然、誓えないけど)

嘘をつくことの後ろめたさを、エミリアは感じた。偽聖女とはいえ、11年も神殿で聖女の仕事をしていた彼女にとって、嘘をつくのはやはり気が進まない。


(……まぁ、どうせ私は偽聖女だったわけだし。今度は形だけの王弟妃になるだけだもの)


どこか虚ろな気分で、エミリアは結婚式を他人事のように眺めていた。

しかし、


「それでは誓いの口づけを」

(……え!?)


口づけを、と言われた瞬間、風船がぱちんと弾けたように意識が覚醒した。


(く、口づけ?)

結婚式なら当たり前だ。

だが、エミリアはひどくうろたえていた。


(全然思い至らなかったわ……! そ、そんな恥ずかしいこと。まさかやりませんよね、殿下……!?)


同意を求めようとして、エミリアはディオンを見つめた。

ところがディオンは真剣な顔をしている。

端正な顔立ちに慈しむような色を乗せ、優しい手つきでエミリアのヴェールを持ち上げる。


(いや、いやいやいやいや。……殿下、待っ)


後ずさりかけたエミリアの腰を引き寄せて、ディオンはそっと唇を重ねた。

彼女は林檎のように頬を染め、ドレス姿に似つかわしくないほど慌てふためいている。


「……俺の花嫁は初心うぶすぎる」

と、ディオンは苦笑していた。



エミリアが赤い顔で呆然としているうちにも、結婚式は進行していく。彼女が我に返ったのは、挙式を終えて控室に戻ってからのことだった。

「お疲れ様、メアリ」

「ひゃぅ!」

「魔獣に遭ったみたいな顔しないでくれ、夫に向かって」

あはははと愉快そうに笑うディオンとは対照的に、エミリアは疲労困憊だった。……というか、式の前からすでにクタクタだったのだ。


「疲れているところ悪いが、一か所だけ挨拶周りに付き合ってもらいたいんだが」

「あぁ……そうでしたね」


挨拶周りは、あらかじめ頼まれていたことだった。挙式後にどうしても訪ねたい場所があるから、同伴してくれと。


(求めに応じて愛妃を演じる契約だもの。もちろん異論はないわ)

「はい。ご一緒します」

「ありがとう」


労うように微笑すると、ディオンはいきなりエミリアを抱き上げた。


「殿下! なにしてるんですか!?」

「いやだから。これから挨拶周りに」


仔猫を抱くように軽々と彼女を抱いて、ディオンは神殿の外に出た。

そこにはザハットが待ち構えていて、鞍をつけた馬を控えて敬礼している。


「準備ご苦労、ザハット」

「ディオン様。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「ああ」

エミリアを鞍に横座りをさせると、ディオンもひらりと後ろに騎乗した。


「我が娘メアリよ、ディオン様に心を込めてお仕えするのだぞ。砂の民の族長殿に、非礼の無きようにな」

「族長……?」


馬の腹を軽く蹴り、ディオンが馬を進ませる。重たいドレス姿での騎乗に馴れずふらつきかけたエミリアを、ディオンはしっかり抱いていた。


「殿下! 族長って……? あいさつ回りって、一体どこに行くんです!?」

「砂漠だよ。砂の民の族長が、俺の花嫁を見たいと言っているんだ」


えぇえええ!? と声を裏返らせるエミリアを支えながら、ディオンは意気揚々と馬を走らせていた。

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