【8】偽聖女と『竜を鎮める乙女』
豪奢なウェディングドレスの新婦と正礼装の新郎が騎乗している姿は、砂漠にはあまりにも不似合いであった。おまけにディオンは魔獣が出たときに備えて帯剣していたから、なにもかもがチグハグだ。
砂漠に入ると、ラクダに乗った十数人の『砂の民』の戦士たちが出迎えてきた。ディオンとエミリアの護衛と、道案内をしてくれるそうだ。
一時間ほど馬を駆ると、天幕住居の群れが見えてきた。
ディオンが先に馬を下り、エミリアを抱き上げて運んだ。
「ドレス姿じゃあ砂の上は歩けないだろう。不便をかけて済まないな」
「いえ……」
天幕から顔を出し、褐色の肌をした老若男女が親し気にディオンに話しかけてきた。
「よぉ、兄弟。そのお嬢さんがお前さんの花嫁か?」
「ああ、そうだよ。言った通り、美人だろ?」
「まったくだ! とんでもねぇ別嬪さんだな、うらやましいぜ」
砂の民が物珍しそうに、エミリアを見て称賛の声を上げている。
「亜麻色の髪の人間なんて、初めて見たわぁ」
「きれいだねぇ」
「花嫁衣裳も見事だね。王国人は、こういうのを着て嫁ぐのかい?」
ディオンは歩みを進めつつ、彼らと会話を楽しんでいた。エミリアにそっと耳打ちをする。
「……な? 明るい奴らだろ」
戸惑いがちに頷くと、ディオンは白い歯を見せて笑った。
天幕の群れの最奥に位置する大きな天幕の入り口の前に立つと、ディオンはエミリアを下ろした。儀式的な所作をしてから、天幕のなかに入る。
「族長。邪魔するぞ」
広々とした天幕には、背中の曲がった小柄な老婆がひとり。
座ったまま、ゆるりとこちらに首を向ける。
「おや。ディオン、よく来たねぇ」
「約束通り、俺の嫁を連れてきた」
「分かるよ。嗅ぎ取ったことのない気配を感じていたから」
けひゃひゃひゃ。という独特な笑い方をするこの老婆は、視力を失っているようだ。まぶたを閉じたまま、しかし視えているかのようにエミリアに顔を向けている。
エミリアを族長の対面へと導きながら、ディオンが説明をする。
「族長のゼカ殿だ。砂の民は結婚すると、自分の部族の族長から祝福を授かる。俺が結婚すると話したら、ゼカ殿が祝福をしてくださると言ってくれた」
「こっちにお座り。お嬢さん」
はい……。と気後れしつつ、エミリアは丁寧な礼をしてから対面に座した。椅子のない床に座るのは初めてだ。
「おまえたちに祝福を授けよう。互いを補い深く交わり、何にも分かたれない真の番となるように」
耳慣れない言語で祈祷をしてくれたあと、族長は皺だらけのまぶたをゆっくり開いた。まぶたの下から覗いた族長の目は、7つの色が交じり合う虹の色をしていた。
「……っ!?」
エミリアは思わず顔を引きつらせる。
(虹色の目!? それって、竜化病患者の特徴だわ! ……でもこの族長は患者には見えない。ということはつまり、この人は
偽聖女として培った知識が、頭の中で渦を巻く。
エミリアが混乱していると、その混乱さえ見越したように族長はにやりと笑った。
「おや。お嬢さんは竜を鎮める乙女かい?」
――『竜を鎮める乙女』。
言われた瞬間、エミリアの心臓が跳ねた。しかし平静を装って、首をかしげてみせる。
(『竜を鎮める乙女』って……古語で『聖女』の別名だわ。この人、私が聖女の力を持っているのを見抜いているの!?)
興味深そうな顔をして、族長はエミリアをじっくりと覗き込んでくる。
逃げ出したい――エミリアがきつく目を閉じると、ディオンが静かな声を投じた。
「族長、嫁が怖がっているからやめてくれ」
「そうかい? つまらないねぇ」
けひゃひゃ、と族長は笑った。
「祝福は済んだから、帰っていいよ」
「ああ、また来るよ」
エミリアの手を取って立ち上がろうとしたディオンに、族長がゆったりと笑いかける。
「ディオン、お前さんのおかげで王国ともいい関係を築けそうだ。だから嫁のことも、もちろん我々は歓迎するさ。困りごとがあれば我々を頼るといい。砂の民とお前さんの国との、末永い共存を望むよ」
「ありがとう。今後ともよろしく」
大きな笑顔で握手を交わす彼らを、エミリアはじっと見つめていた。
天幕を去り、エミリア達はヴァラハ領の領都へと戻る。行きと同じように砂の民に護衛されながら、彼らを乗せた馬は進んだ。
「疲れただろう? 先にもっと詳しく話しておけばよかったな。悪かった」
「いいえ」
エミリアは首を振る。ふと、疑問を口にしてみた。
「……殿下。ログルムント王国は昔から、砂の民と仲が良かったのですか?」
「ん?」
「私の住んでいたレギト聖皇国では、砂の民は巨大砂漠を根城にする『蛮族』だと恐れられています。砂の民と魔獣があまりに危険だから、
「法王領だろ? そうらしいな、砂漠の果てのオアシスが法王領で、その心臓部には法王が住んでいるそうだ。危険な砂漠を越えられるのは、魔法壁で守られた交易路を独占所有しているレギト聖皇国だけ――だから俺たちには、関りのない世界のことだ」
世間話のように、ディオンは続けた。
「砂の民と仲良くなったのは、この1,2年くらいのことだよ。俺がヴァラハ領の領主を任されるようになった後のことだ。昔はかなり険悪で、駐屯騎士団と砂の民の衝突が日常茶飯事だったらしい」
屈託のない笑みを浮かべて、ディオンは前を見つめていた。
「じゃあ、どうして今はこんなに仲良しなんですか?」
「俺のほうから、砂の民に接触してみたんだ。俺は砂の民が好きだよ。話せば分かる良い奴らなんだ。友好のしるしに彼らの武器と衣服を貰ったから、砂漠に入るときは彼らの装いに倣うようにしている」
エミリアが彼を野盗と見紛った、あのときの服装だ。
「王家直轄領ヴァラハは緑地帯と砂漠が半々だが、砂漠周辺に湧く魔物と戦うときは、騎士団よりも砂の民のほうが強い。それに砂の民も、王国の物資に魅力を感じている。協力して生きるほうが、お互いにメリットが多いと思ったんだ」
思いがけずディオンの良い一面を知って、エミリアは感心していた。
しかし次の言葉を聞いて、少し拍子抜けしてしまう。
「しかも俺にとって砂漠は、好きなだけ暴れられる運動場みたいなものだからな! 砂漠の魔物はかなり強いし、狩れば狩るほど皆に感謝されるしで良いこと尽くめだ!」
「運動場って……殿下。危険な場所をそんな、遊び感覚で」
「どうにも血が疼くんだ。体の中に竜がいて、疼いてるみたいな感覚がするんだよ――というか、この大陸のすべての人間は、血に『竜』を宿してると聞いたことがあるぞ? ……たまに思いきり暴れると、自分のなかの竜が鎮まるような気がする」
竜が鎮まる。
何気なく言ったであろうディオンの言葉に、エミリアは困惑していた。
砂の民の族長に言われた言葉を、ふと思い出す。――『おや。お嬢さんは竜を鎮める乙女かい?』
(あの族長は、私に聖女の力があると見抜いていたみたい。……どうしよう、絶対誰にもバレたくないのに)
ディオンにも、知られるわけにはいかない。
エミリアはちらりとディオンを振り返った。彼は笑みを浮かべて前を見ている。
(『竜を鎮める乙女』は古語だから、殿下は何とも思わなかったみたい。私のことを、疑っていないみたいだけれど……)
エミリアはきつく目を閉じた。
(バレないように気を付けなくちゃ……)
「どうした? 深刻な顔して」
「何でもありません」
気遣うディオンの言葉を、適当に受け流す。
会話を重ねているうちに馬は砂漠を抜け、領都へと戻って来ていた。
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