【最終章】 ニセモノ。本物。

【33】愚かな本物、正しきニセモノ

――夏華祭から、3ヶ月あまりが過ぎた。


レギト聖皇国の皇城では、皇帝・皇后とふたりの子供たちが長い晩餐用テーブルを囲んで夕食をとっている。


「とうとうディオン殿下が、わたくしに会いに来てくださるのですね!?」


皇女カサンドラの声に、皇帝は大きくうなずいた。

「ああ。今日届いた女王ヴィオラーテからの書簡に、そう書いてあった。聖女カサンドラの慰問のために、使節団を派遣したいと――王弟ディオンが代表を務めるとも明記されている」

「嬉しいわ! ディオン殿下がわたくしに会いに……!」


皇太子ヘラルドは皮肉げに唇の端を吊り上げた。

「実際はお前に会うためではなく、竜化病患者の受け入れ再開を求めるのが目的だろうがな。受け入れを完全に停止して数か月経つから、流石に根を上げたのだろう」


「ヘラルドったら。細かいことは、どうでも良いではありませんか」

と、皇后が声を挟んできた。


「大切なのはカサンドラの婿候補が、こうして訪ねてくることです。滞在中に仲を深めさせて、婚約手前まで進めたいものですね。ヘラルドの情報によれば、ディオンと平民妻との関係はすでに破局しているそうですね。離婚も目前だとか」


「ええ、母上」

誇らしげにヘラルドはうなずいた。


「影を預けているグスマンからの情報ですが、『ディオンと平民妻との関係は冷え切っていて、離婚の準備を進めている様子だ』と。王族と平民では住む世界が違いすぎますから、一時の情熱で結婚しても長持ちしなかったのでしょう。勝手に離婚するなら、無駄なリスクを犯して暗殺する必要はありません。なので暗殺に代わる任務として、【陰】には引き続きログルムント王国内の諜報活動に当たらせています。今後の外交を優位に進めるのに役立つでしょう」


皇帝と皇后は、「流石はヘラルド」と満足そうにうなずいている。


カサンドラは、夢見る乙女の表情だ。

「数年ぶりのディオン殿下……きっと、さらに素敵におなりだわ! どんなドレスでお迎えしようかしら!」


「これカサンドラ。お前はらしくしなければならんぞ?」

「でも父上。せっかくお越しいただくのに、みすぼらしい恰好では失礼ではありませんか!」


「それなら華美を避け、清楚ながらも美しいドレスを新調してはどうかしら?」

「ええ、母上!」

カサンドラはすっかり上機嫌だ。


(最高の気分ですわ。最近は、聖女の業務もなんとか回せるようになってきたし。エミリアを消した直後はどうなることかと思っていたけれど……意外に何とかなるものね)


この3ヶ月あまりのうちに、皇帝とヘラルドは聖女業務の徹底的なテコ入れを行い、低能なカサンドラでも『最低限』の仕事を続けられる体制を作った。


巡礼者への『癒し』は神官に丸投げし、国内の『竜鎮め』については、カサンドラのキャパシティを越えないように受け入れ患者の数を絞ったのだ。


これまでは発生した竜化病患者は出来るだけ早く皇都へ移送する決まりだったが、今後は患者が発生した土地の領主に高額な「祭祀料金」を請求することにしたのである。有償化したため依頼頻度が減り、カサンドラの仕事が楽になった。


……減った依頼の裏側で、治療を受けられずに投獄されている竜化病患者がいる訳だが。カサンドラにとってはどうでも良い話だった。


(聖女の仕事も軌道に乗ってきましたし。わたくしの人生は順風満帆ですわ!)




「父上。竜化病患者の受け入れは重要な交渉材料ですから、一気に全面解除とするのではなく、粘って徐々に緩和しましょう。ディオンの婿入りが決まるまでは全面受け入れとはせず、さらに婚礼時には譲渡物としてログルムントの領地を一部要求するのがよろしいかと」


「よし! そうしよう」


「あなた。わたくしはログルムントの銀と宝石が欲しいです。婚礼持参品として持ってこさせましょう?」

「うむ、かまわんぞ。こちらが多少のワガママを言ったとしても、ログルムントは文句を言えん。何と言っても我が国は『聖皇国』! 法王猊下によって、西側諸国の宗教的統率権を委ねられているのだからなぁ」


皇家の4人は、私利私欲で頭をいっぱいにしながら楽しげに食卓を囲んでいた。




   *




2週間後。ディオンの率いる使節団が、レギト聖皇国の皇城へと到着した。


謁見の間の玉座に座した皇帝と皇后、その傍らに控えた皇太子ヘラルドは、使節団の面々を迎えた。


使節団のメンバーはディオンを筆頭に、外交官と書記官が一人ずつ。侍従・侍女が数名と、護衛の騎士が二十名ほど。そのほかには、フード付きの法衣をまとった神官が二名同行していた。目深にかぶったフードの下の顔は見えないが、神官のひとりは背中の折れ曲がった老人だ。もう一人は、小柄な体躯から察するに女かもしれない。使節団に神官が含まれているのは珍しいが、訪問の目的が『病中慰問みまい』なので、回復魔法の使い手である神官が同伴するのも納得できる。


「よくぞ参られた、ディオン殿」

皇帝の声に、ディオンと使節団の一同は深く首を垂れた。


「聖女カサンドラ殿下がお倒れになったこと、心よりお見舞い申し上げます」


「面を上げよ。ディオン殿の言葉、ありがたく受け取ろう。我が娘カサンドラは、幼少期からの激務が祟って病床に伏してしまった――徐々に回復しつつあるが、まだ余談を許さぬ。カサンドラはディオン殿を幼少時よりたいそう気に入っておってな。貴殿の来訪を、心待ちにしていた」


「光栄でございます」

「このたびの貴殿の来訪を、両国のさらなる融和のきっかけと為せればと思う。カサンドラとも、仲良くしてやってくれ」


皇帝が手をかざして合図を送ると、謁見の間にしずしずとカサンドラが入ってきた。

光沢を抑えて装飾を控えめにした、締め付けの少なそうなドレスを纏っている。赤毛はゆるやかに結っただけにしてあり、顔は血色が悪く見えるよう化粧で調節してあった。


カサンドラは儚げな笑顔をディオンに向けた。

「ディオン様……お久しゅうございます。お会いしとうございましたわ……」


ディオンは、驚いた表情で彼女を見つめ返している。

「これはこれはカサンドラ殿下。病中の身でありながら、私の出迎えを?」

「ええ。居ても立ってもいられなくて……」


カサンドラがこちらに歩み寄ろうとするのを、ディオンは身振りで制した。

「それはいけません。お体に障りますから、どうかお休みください」

「御心配には、及びませんわ……」

カサンドラはディオンの制止を無視して、一歩また一歩と彼に歩み寄ろうとしてくる。


ディオンは静かな声を響かせた。

「実は本日、我が国から回復魔法の使い手を連れて参りました。カサンドラ様を癒すために、この者の治療を受けていただきたく」


「せっかくのお申し出ですが、神官の回復魔法は毎日受けておりますの。心労にはあまり効かないのがつらいところですわ……これまで毎日働きづめだったから、疲れが溜まっていたようです」


カサンドラは憧れの眼差しでディオンを見つめ、さらに歩を進めていく。

「回復魔法もお薬も、なかなか効果がありませんの。しかし、あなたが一緒に居て下されば、きっとわたくしは――」


手を伸ばせば触れ合える距離にカサンドラが迫ろうとしたそのとき。

ディオンは、にっこりと笑った。




「あぁ、なるほど! バカにつける薬はないと言いますからね」



「………………はい?」

「聞こえませんでしたか? あなたのようなバカは、救いようがないと言ったんです。だからこそ、あなたにはの治療が必要です」


謁見の間が凍り付いた。

っ……!? とカサンドラは顔を引きつらせ、ぽかんとしていた皇帝は我に返って「非礼であるぞ!」と怒鳴る。


ディオンは、使節団メンバーの後方に控えていた神官のひとりを手招きした。

フードを目深にかぶった小柄な神官は、ディオンの隣に並び立つ。

その神官は、自らフードを取り去った――亜麻色の髪と、幼さの残る美貌が露わになる。



皇帝たちは息を呑み、カサンドラが声を裏返らせる。


「っ……お、お前は、エミリア!?」



神官の服を纏っていたのは、死んだはずの偽聖女エミリアだったのだ。


「な、なぜ!? なぜお前がここに……っ!?」

「ご無沙汰しております、カサンドラ様」

「どういうことなの!? だってお前は死んだはず――」


皇帝が「カサンドラ!!」と声を張り上げた。余計なことを口走ろうとしたカサンドラを、遮ろうとしたのだ。


謁見の間に居合わせた皇帝の側近や書記官などが、こそこそと囁き合っている。

「あのエミリアという娘は何者だ?」


ディオンは声を張り上げる。


「この者はエミリア・ファーテ。聖女の能力を持ちながら、レギト皇帝の命令によりその事実を伏せられていました。エミリアが成り代わっていたのは一度きりではなく、過去11年間ずっと聖女カサンドラの身代わりをさせられていたのです」


謁見の間が騒然とし、カサンドラは青ざめてうろたえている。

皇帝・皇后とヘラルドもエミリアの登場という想定外の出来事に絶句していた。


「聖女カサンドラが数ヶ月前に倒れて聖務に支障が出ているのは、周知のことでしょう。だが実際には病気などではなく、エミリアの不在が原因です。エミリアは聖女カサンドラに命をねらわれ、我が国へと亡命したのです」



エミリアは一歩踏み出し、カサンドラの真正面に立った。

エミリア、腐りきったあなたと皇家ご一同を治療するため戻って参りました」


エミリアは両手を広げて、まばゆいばかりに回復魔法の光を発した。光が、謁見の間いっぱいに広がっていく。雪の結晶に似た白い光の粒が舞い上がる――それは、聖女の魔力に特有の結晶光と呼ばれるものだった。

エミリアは、自身に聖女の力があることを居合わせたすべての者に見せつけたのだ。


「皆さま、私には聖女の力があります。しかし私は、偽聖女に過ぎません。本来ならばレギト聖皇国から法王へと為されるはずの申告が、皇帝陛下の独断で為されなかったためです! 皇帝陛下は私を公認の聖女とはせず、カサンドラ様の替え玉として働かせることを選びました」


「黙れ!」

皇帝は声を張り上げた。

「小汚い平民の分際で、このわしを陥れようとするか!? よい度胸だ!」

わなわなと肩を震わせ、忌々し気に顔を歪める。


「まさか隣国の王族に取り入るとは、やるじゃないか。……だが、お前は告発の場を間違えた! 公衆の面前ならばともかく、皇城内の出来事など、のは簡単だ」


皇帝は、卑しい笑みを浮かべた。

一時は青ざめていた皇后やヘラルドも、今では皇帝と同様に悠然と笑っている。


「揉み消す? ご自身の罪を悔い改めるでもなく、偽聖女を処分して、なかったことにしようと?」


「その通りだ!」


エミリアは、不快そうに眉をしかめた。

「本当に卑しい方ですね。これまで黙って偽聖女として働いてきましたが、それは間違いでした。私が公認の聖女になれていたら、国内外の人々にもっと広く手をさしのべられたのに……」


「ニセモノの分際で、聖女気取りか? お前など、道具に過ぎん! あくせくとタダ働きをする、無知で無欲で便利な道具だ。だが、お前のような生意気な道具は、もういらん!」


皇帝が手をかざすと、衛兵たちが槍を構えて使節団の全員を取り囲んだ。

嗜虐的な笑みを顔面に刻んで、皇帝はディオンに声を投じる。


「ディオン殿。貴殿は偽聖女エミリアをこれまで匿っていたということだな? これは重大な大陸法違反だぞ!」


ディオンは首をかしげていた。

「大陸法違反? ですか?」


「そうとも。聖女の力を持つ者エミリア・ファーテを秘匿していた貴殿には、大陸法の定めにより重罪が科せられる! 大陸法は、法王猊下がお定めになった絶対の法だ。たとえ一国の王弟といえど、免れることはない!!」


「エミリア・ファーテを秘匿していたのは、私皇帝陛下なのではありませんか? 法王猊下に申請すべきところを、陛下が伏せていらしたのですから」


皇帝は勝ち誇った顔で答えた。


「ふはは! わしが秘匿しても法王猊下の耳には届かぬ! そして大陸法の違反者を裁くのはこの私、レギト聖皇国皇帝だ! わしが何をしたとて、法王猊下に知られることはないのだよ!!」


落ち着き払った表情で、ディオンは静かに聞いている。

槍を向けられていながらも、使節団の全員が平静な態度を崩さなかった。


「ログルムント王国王弟ディオン、偽聖女エミリア並びに使節団の全員を捕縛し、大陸法違反の罪で極刑に処す! 女王ヴィオラーテには、此度の不敬行為への賠償を請求してやる。大陸法違反者として貴様らを裁いたのち、法王猊下に此度の一件を報告するとしよう」





「それには及ばぬよ」


――突如。

低くて深い、しわがれた声が謁見の間に響いた。

使節団の一員である、神官服を纏った老人が発した声であった。


視線が集まる中、老人は自らの頭を覆うフードをゆっくりと外した。

頭髪のないつるりとした頭の、柔和な顔立ちの老人だ。

長い眉毛の下の双眸は閉じられており、目が見えない様子である。

「嘆かわしいことだ。これが、今のレギトの有様か」


「何だ、この爺は!」

皇帝が不愉快そうに声を張り上げた。


老人は、ゆったりとした足取りで進みだした――エミリアの対面にいる、カサンドラの前まで。


「おやおや。これが聖女カサンドラか。このように堕落するとは……嘆かわしい」

「な、何なんですの!? このヨボヨボの神官は!」


皇帝は忌々しげに老人を見ていたが、やがてハッとして顔をこわばらせた。

「ま、待て、カサンドラ……!」


カサンドラは止まらない。ゴミを見るような目をして、老人を罵倒し続ける。

「わたくしが『堕落している』ですって!? お前のようなみすぼらしい老人に言われたくありませんわ」



長い眉毛の下の両目が、ゆっくりと開いた――老人の瞳は、鮮烈なまでの虹色だった。

カサンドラが、びくりと身をこわばらせる。


「お、お前、まさか竜化病なの!? そんな汚らわしい者が皇城に入り込むなんて! 衛兵、早く捕まえなさい!!」

「黙れカサンドラ、このお方は…………!!」



ディオンとエミリア、使節団の全員が老人に向かってひざまずき、深く首を垂れていた。


老人は、溜息をついてカサンドラを見やった。


「まったく。聖女でありながら、竜人ドラゴニュートを化け物扱いとは嘆かわしい。余はイェルダード8世。――ログルムント王家からの直訴を受け、忍びにて査察に参った」

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