【27】グスマン侯爵の接触

ダンスの時間は続いていた。

ホールから流れる楽団の調べを聞きながら、エミリアはディオンと一緒にテラスで夜風に当たっていた。


「疲れたか?」

「いいえ」


ちょっと照れつつ、エミリアは彼に感謝を伝えようと思った。

「……ディオン様」

「ん?」

「いつもありがとうございます。ディオン様のおかげで私、毎日楽しいです。こんな楽しい生活、予想してませんでした」

「こちらこそ。……君が妻で居てくれて良かった」


とても柔らかく、彼は微笑む。その微笑は月明りよりもきれいで温かい。

エミリアは、胸の高鳴りに戸惑っていた。


(……落ち着かなきゃ。今の『妻で居てくれてよかった』というのは、お飾りの王弟妃を用意できたからだもの。なんでドキドキしてるんだろ、私……バカだなぁ)


だが利害関係が一致しているにしても、ディオンはとても温かい。きっと、彼の人柄が優れているからに違いない――と、エミリアは納得していた。


(お飾り役が務まりそうな女性なんて、探せばいくらでもいるはずなのに。どうして私みたいに厄介な『偽聖女』を、リスクを冒して守ってくれるんだろう? ……ルカから、私の素性を聞いていたはずなのに)


ディオンの顔を見上げたいような、恥ずかしいから見たくないような。

勝手に、頬が熱くなってくる。


「顔が赤いぞ。ホールの熱気に当てられたか?」

そう言って、彼はそっと頬に触れてくる。


「……違いますってば。さっきお酒を飲んだからです」

「たった一口で赤くなるのか?」


意外そうに眼を見開いたディオンの顔が、ふとルカに重なって見えた。

(やっぱりディオン様は、ルカと似てる。でも、ルカのことを聞くと嫌そうな顔をするから、あんまりしつこく聞かないほうがいいのかな……)


そんなふうに考えていた、ちょうどそのとき。




「おや。こちらに居られましたかな? ディオン殿下、メアリ妃」

ねっとりとした声を投じられ、エミリアはディオンとともに振り返った。


(あぁ……この人、見覚えがあるわ)

声を掛けてきたのは、グスタフ・グスマン侯爵だった。

ディオンが『平民女性と結婚する』と決めた直後、猛反発してディオンの屋敷に文句を言いに来た貴族である。


(自分の娘さんをディオン様と結婚させたがってた人よね。……何の用だろう。今でも諦めていないのかしら)

胸のざわつきを感じつつ、エミリアは平静な態度で礼をしてみせた。

そんなエミリアを庇うように、ディオンが半歩前に出る。


「……無粋な男だな、グスマン卿。私は妻との時間を楽しんでいたのだが」

「どうか無礼をお許しくださいませ。殿下はいつも王都にはおられず、なかなかお目通りが叶いませんので。こうしてお話をさせていただく機会も作れず、寂しく思っておりました」

「それで、何用だ?」


白髪交じりの髭を撫でつけ、グスマン侯爵は目を細めた。

「ディオン殿下と、お二人で話がしたいのですが?」

「あいにくだが、今日は妻と離れる気はない」

「左様でございますか。それでは、メアリ妃とご一緒にお聞きいただくことになりますが……?」

ワザとらしい困り顔を作って、グスマン侯爵は肩をすくめている。


「……それで、殿下? レギト聖皇国のカサンドラ皇女殿下のお見舞いには、いつごろいらっしゃるご予定なのですかな?」



――カサンドラ様のお見舞い!?

エミリアは、思わずディオンの顔を見た。


ディオンは、怪訝そうに眉をひそめている。

「見舞いだと?」


「ええ。カサンドラ皇女殿下は、尊き皇族であり同時に聖女でもあられる特別なお方。最近ではご多忙のあまり、病床に伏して聖務にも付けないご容体だと聞きます。衰弱しきったカサンドラ殿下は、幼少時より親しくしていたディオン殿下にぜひお会いしたいと仰っているとか」


エミリアの顔色が悪くなっていった。

(幼少時より、親しく? ディオン様はカサンドラ様と知り合いだったの? ……でも確かに、隣国の王族・皇族同士なら、あり得ることかもしれないわ)


青ざめるエミリアに見てみぬ素振りをしながら、グスマン侯爵はディオンに語り続けた。


「レギト聖皇国の市井では、吟遊詩人のこのような歌が流行っているそうですよ? ――カサンドラ殿下とディオン殿下はかつて想いを通わせる仲であったと。政略上の事由で仲を引き裂かれ、それぞれやむなく別の相手と婚約を結び……しかしこの度の病中慰問で、おふたりの仲がふたたび進展するのでは、と」


私はレギト国内でもいくつか事業をしておりましてなぁ、あちらの国の情報には少々詳しいのですよ――と、誇らしげにグスマン侯爵は笑っていた。


ディオンがエミリアを引き寄せた。


「あちらの国では、見当違いな歌が流行っているのだな。くだらない」

「しかしあちらの民は、皇女殿下とディオン殿下のご成婚を望んでいるとか」

「私は妻帯者だ」


「仰る通りでございます。いやはや、民草とは困ったものですなぁ。……しかし兎にも角にも、レギト聖皇国から求められている以上、早急な慰問が必要となるのでは? ディオン殿下の一刻も早い訪問を、と皇家は幾度もヴィオラーテ女王陛下に要請しているそうではありませんか?」


ディオンは無言で眉を顰める。


「差し出がましい発言ですが――皇家を無下になさっては、両国間の交友関係によからぬ影響が及ぶかもしれませんな。私は一臣下として、両国の末永い友好を望むばかりでございます」


芝居がかった声音で沈痛な表情をつく手みせるグスマン卿。小柄な彼はディオンの顔を見上げて、「おや、おや?」と苦笑して見せる。


「そのご様子ですと……まさか、ディオン殿下は何もご存じないのでしょうか!? まさか女王陛下は、ディオン殿下にお伝えではないと!? おぉ……これは、なんという……。ご当人以上に私の如き臣下が仔細を存じているとは、これは誠に奇なること。非礼をお許しくださいませ」


「誠に非礼だ。弁えよ」

ディオンの静かな声音には、明らかな怒りが篭もっていた。

これまで調子に乗ってまくし立てていたグスマンは、「ひっ……」と無様な声を漏らす。


「その口を閉じろ、グスマン。卿の不遜ぶりは目に余る。……事の仔細はのちほど、私が女王陛下にお尋ねすることとしよう。今の話、間違いがあったらただでは済まさんぞ。私と妻への不敬と受け取り、厳格な対応を取らせてもらう。覚悟しておけ」


「い、いえ、殿下、私は――」

「話が済んだなら、消えろ」


追従笑いをしながら、グスマン侯爵はホールに戻って行った。

侯爵の背中を睨みつけていたディオンは、その背が完全に見えなくなってからエミリアを振り返った。


「メアリ。大丈夫か。顔が真っ青だ」

「大丈夫です」

「いまの話、君が心配することは何もない。……俺とカサンドラ皇女殿下とは何度か顔を合わせた程度で、それ以上は何もないんだ。子供の頃に何度か『婿入り』の打診を受けていたが、それも毎回断っていた」

「……そうでしたか」


エミリアは、ひどく混乱していた。


ディオンとカサンドラに多少なりとも関わりがあったことも。

カサンドラが病床にあり、聖女の仕事が止まっていることも。


(……カサンドラ様が聖女の仕事をしなかったら、今レギト皇国はどうなっているの?)


「ディオン様。話の真偽を、今すぐ確認すべきです。女王殿下に聞きに行かれてはいかがでしょうか?」

「だが君は――」

「私は、先に部屋に戻らせてもらいますね。少し疲れが出てしまって」

エミリアは、気遣うように微笑みかけた。


「私のことは心配いりません。お願いだから、真偽を確認してきてください……レギト聖皇国で聖女の仕事がストップしているというのも、気がかりなんです」


聖女の癒しを求めて、毎日たくさんの巡礼者が主神殿へと訪れているはずだ。「癒し」は神官が代理を務めることもできるから、多少の混乱があっても何とかなるかもしれない。しかし――


「カサンドラ様が竜鎮めをしなければ、竜化病患者を救うことができません! 私、不安でたまらないんです。ディオン様……どうかすぐに、真偽のご確認を!」


「――分かった」


ふたりはパーティホールを出て、控えの部屋で待機しているはずのダフネを探した。

しかし、ダフネの姿が見えない。


「ダフネが黙っていなくなるなんて、珍しいな」

「でしたら誰か代わりの方と一緒に、賓客室に戻っていますね。私にはお構いなく、ディオン様はヴィオラーテ陛下のもとへいらしてください」


エミリアは気丈に笑って、ディオンの背を押した。

「……わかった。俺も話が済んだら、すぐに部屋に行く。あとで詳しく話すよ」

ディオンはホールに戻って行った。


ダフネの代わりの騎士とともに、エミリアは賓客室へと戻って行った。

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