【28】侍女サラの暗躍

パーティホールにディオンを残し、エミリアは貴賓室へと戻って来た。

部屋で待機していた侍女のサラが、恭しい態度で出迎える。

「お帰りなさいませ、メアリ奥様。お顔の色が優れないようですが?」

「大丈夫よ。馴れないパーティで、少し疲れただけ」


「失礼ですが、ディオン殿下とはご一緒に戻られなかったのですか?」

「ええ。ディオン様はもう少しお話があるようだったから、私は先に休ませてもらうことにしたの」

「……左様でしたか。お疲れさまでした」


サラの態度が、心なしかいつもより丁寧だ。

「お召し替えのあとでお茶をお持ちしますから、ゆっくりお休みくださいませ」

「ありがとう、サラ」


サラに手伝ってもらって、豪奢なパーティドレスを脱ぐ。締め付けの少ないルームドレスに着替えて、エミリアはほっと息をついた。


「お茶をお持ちしました」

「ありがとう」

出された紅茶を口にして、エミリアは深い息を吐く。


「……おいしい。でも、ちょっと珍しい風味ね」

「メライ首長国の特産品でございます」

かすかな苦みと酸味、それらを和らげるようなハーブの清涼感が特徴的なお茶だった。

二口、三口と味わいながら、エミリアは思いを巡らせていく。


(カサンドラ様が倒れたというのは……聖女の仕事がストップしているというのは、本当なの? 竜化病患者がひとりも出ていなければいいのだけれど)


聖女でなければ、竜化病は治せない。カサンドラが働けないなら、他国派遣中の他の聖女を呼び戻して国内の聖女業務をさせることになるはずだ。


(……でも、派遣中の聖女を強引に呼び戻したりしたら、派遣先の国との関係悪化は避けられないわ。どうするつもりなんだろう)


聖女の他国派遣は外交官の派遣と同様、国と国とのパワーバランスを考慮しながら慎重に為されるものだ。そう簡単に呼び戻せるものではない。

聖女を求めて困っている人が沢山いるに違いない――そう思うと、エミリアの胸は痛んだ。そして――



(カサンドラ様が、ディオン様と結婚したがっているというのは……本当なの?)


この二人の接点など、これまで考えたこともなかった。

カサンドラがディオンを求めているとして、ディオンはその申し出を受け入れるのだろうか……?


エミリアとの契約結婚は、ログルムントの王位から遠ざかるためだ。

レギト聖皇国に婿入りするというのなら、ログルムントの王位を脅かさずにすむ。

身元不明の平民女メアリより、隣国の皇女カサンドラを妻にする方が、国内貴族の口出しを避けるという意味でも有益なのではないだろうか……?


エミリアの胸が、ずきずきと痛む。――息が、苦しい。


不安に駆られた彼女は、鏡台の引き出しにしまっておいた、ルカのイヤリングを取り出した。

悲しいときも疲れたときも、ルカのイヤリングを握りしめれば勇気が湧くのだ。

なのに……

今は、気持ちがちっとも楽にならない。


(……ルカ。私どうしたらいいのかな。もしディオン様が望んだら、ちゃんと離婚してあげなきゃダメだよね? でも……)


この契約結婚が白紙になったら、自分はどうなってしまうのだろうか?

白紙になれば、ディオンがエミリアを守る理由は消失する。


(ディオン様は心の優しい人だから、もし離婚しても偽聖女の私をレギト聖皇国に引き渡したりはしないと思う。でも……)


エミリアは気づいた――自分は、ディオンと離れたくないのだ。

なんで離れたくないのか、よく分からない。

でも、彼がいないととても不安だ。


ついさっきまで楽しい気分だったのに、今はこんなに寂しくて寒くて、苦しい。


息が苦しい。体が、しびれる………………


平衡感覚を失ったエミリアは、ぐらり。と体を大きく傾かせて椅子から転がり落ちていた。


(私、どうしたの!?)

自分の身に何が起きているのか、まったく理解できなかった。

ひどく混乱する。

体がしびれる。


「苦しいですか? メアリ奥様」

「サラ……?」


サラはエミリアのすぐそばまでやってきて、助け起こすでもなくエミリアを眺めていた。


「毒が効いてきたからだと思いますよ」

「毒……?」

「ええ。毒入りのお茶を飲んでいただきましたので」


耳を疑うエミリアを、サラは冷たく見下ろしている。

「苦しいですか? いい眺めですね」


サラの顔は愉悦の色に歪んでいた。


「大丈夫ですよ、即死するような毒ではないので。しびれて動けなくなるだけだし、ほんの二、三十分のうちに体の中で分解されて、なくなってしまうそうですよ? だから調、も何も検出できないそうです」


「……な、にを。ふざけているの……? サラ……」

「ふざけてるのは、あんたでしょ!?」

サラはエミリアの手を踏みつけた――イヤリングを握りしめていた、右手を。


ぁあっ――と苦鳴を漏らすエミリアを、嗜虐的な目で見下ろしながらサラはぎり、ぎりりと踏みにじる足に力を籠める。


「なんで平民のクセに、王弟殿下と結婚してる訳? 私のほうがあんたより、ずっと殿下を尊敬してるし、殿下をお慕いしてるの! でも私は、あんたみたいに馬鹿じゃない。だから使用人として仕えることが、私の示せる最大の愛情だって分かっている訳。……なのになんであんたみたいな平民が、横から殿下をさらっていくの? 身の程を、弁えなさいよ!」


エミリアは、浅い呼吸を繰り返しながらサラの言葉を聞いていた。


「グスマン侯爵から聞いたんだけど、ディオン殿下と隣国の皇女殿下との縁談の話が出てるんですってね? 馬鹿なあんたにも分かるでしょ? 卑しい平民女より、高貴な皇女が相応しいってことくらい。だから、死んでよメアリ奥様!!」


そしてサラは、扉のほうを振り向いて大きな声で呼びかけた。

「さぁ、私はきちんと役目を果たしましたよ? 、さっさとこの女を処分してください!!」


(……計画通りって、どういうこと? 誰かいるの!?)

エミリアは恐怖に竦んだ。


ところが、いつまで経っても扉の向こうから誰も現れない。

サラの顔が、不安げに歪む。

「……ちょっと! いるんでしょ!? 早く来てよ、暗殺計画が台無しになっちゃうじゃない!」


サラは焦った様子で扉を開いたが、誰もいないらしく「ちょっとぉ!」とヒステリックな叫びを上げていた。


「はぁ!? なんでよ、グスマン閣下の話と違う! どうして誰も来ないのよぉ!? 毒の効き目が切れちゃうじゃない!」


サラはヒステリックに髪を掻きむしると、今度はエミリアに近寄っていきなり腕を引きずり上げようとした。


エミリアの脇を支えて、無理やり立たせようとする。

「な、なにを――」

エミリアは抗議の声を上げたかったが、舌がしびれて喉に力が入らない。


「暗殺者が来るはずだったのよ! 何の手違いか知らないけれど、誰も来ないなら私がやるわ。あんたを窓から突き落とすくらい、私にだって出来るもの!」

「!?」


異様なまでに興奮しながら、サラは醜く唇を吊り上げていた。


「メアリ奥様、あんたはディオン殿下の寵愛を失う恐怖に耐えきれなくなって、窓から身を投げてしまうの! そういう筋書きになってるんだから。私が手伝ってあげる!」

「やめて……」



サラはエミリアの脇を支えて、窓辺に向かって歩き出そうとしていた。


「ここは4階だから、落ちたら無事では済まないわよ? ぐちゃぐちゃに死んでね、奥様。……ふふ、あはははは」


(本気で私を窓から落とす気? 暗殺者って、手違いって、どういうこと!?)


体に力が入らない。そのまま、ずるずると窓辺にと引きずられていく。

解毒魔法は、術者自身にかけても効かない。だからエミリアは、サラにされるがままになっていた。


サラは窓辺を目指しながら、恍惚とした表情で語り続けている。


「ディオン殿下がレギト聖皇国に婿入りする際には、私も殿下付きの侍女として同行できるように、グスマン伯爵がお力添えをしてくれるんですって。――あぁ、幸せ!! 私はあんたと違って、分不相応な愛情なんて求めないんだから。ただの侍女として、ディオン様のそばに居られれば幸せなのよ!」


(……サラの興奮ぶり、正気じゃないわ。なにか薬を盛られているの?)


盛られた薬の種類が分かれば、サラを解毒して正気に戻せるかもしれない――しかし、この状況では種類を突き止めるどころではなかった。


「あんたがいなくなれば、ディオン殿下の奥様の座が空く。そうすれば、殿下が皇女殿下とお幸せになる日が近づく。私は忠実な侍女として、ずっと殿下のおそばに……」


(ともかく、殺されるわけには行かないわ。ディオン様の身の振り方は、ディオン自身が決めることだもの……サラや私が口出しするようなことじゃない!)


ましてや、人間の命は他人の都合で奪われて良いものではない――そう思った瞬間、エミリアの胸に怒りが湧いた。強い怒りを瞳に込めて、ぐっとサラを睨みつける。


「あら、何よその生意気な目。あんた、自分の立場が分かってないのね」


(――どうしたらいいの? どうしたら、この場を切り抜けられるの!?)

力がこもらず、歯を食いしばることさえできない。緩んだ右手から、ルカのイヤリングがこぼれ落ちた。


サラはニタリと唇を吊り上げ、イヤリングを拾い上げた。

「あぁ、このイヤリング。浮気相手から貰ったモノでしょ? ずいぶん高価な代物みたいねぇ。平民のクセに金持ちの男に取り入るのが上手いのね。ホント軽蔑しちゃう」


「ち、違……返し、て」


「ディオン殿下の妻の座を射止めたくせに、ほかの男の贈り物まで大事にしちゃって……なんて汚らしい! こんなモノ!!」


興奮していたサラは、イヤリングを力任せに床に叩きつけた。


――ぱり、ん。


と悲しい音が響いた。

イヤリングに嵌まっていた海色の石に、大きなひびが入っている。


(……イヤリングが!)

泣き出しそうなエミリアに見向きもせず、高ぶったサラは憎しみを込めてイヤリングを踏みつけた。


「こんなモノ、こんな汚らしいモノ!!」

サラは執拗に踏みにじる。

海色の石が、粉々に砕けていった。


エミリアの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


(ルカがくれたのに……大切なものなのに!)


世界にたった一つの、大切な思い出だったのに。

いつも心を支えてくれた、大事なプレゼントだったのに――


――許せない。


わなわなと震えながら、エミリアは激しい怒りに突き動かされた。

しびれて力が入らなくても、自分には出来ることがある。


――こんな横暴は、絶対に許さない。


エミリアはためらわなかった。

もう、サラの好きにはさせない――私がサラを止める。



エミリアが扱えるのは、回復魔法だけではない。

いざというときのために、必要最低限の攻撃魔法も学んでいたのだ。

人を傷つけるような魔法を、エミリアは普段絶対に使わなかった――だが、今は。


エミリアは両手いっぱいに、爆風の魔法を発動した。彼女の周囲のすべての物が吹き飛ばされて、あらゆる窓のガラスが砕ける。彼女の怒りは、宮殿そのものを地震のように激しく揺らした――

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