【29】ディオンと女王
パーティホールに戻ったディオンは、女王ヴィオラーテのもとへ向かった。
「姉上。しばしお時間を頂戴できますか」
ディオンの表情から何かを察した様子で、ヴィオラーテは静かに頷いた。
「ええ、かまいません。二階席に移りましょうか」
ヴィオラーテはディオンを伴って、吹き抜けの二階席へと移動した。侍従に人払いをさせ、ディオンとともに席に着く。
「姉上。さきほど、グスマン侯爵が私に接触してきました」
「グスマンが……」
ヴィオラーテが、柳眉をひそめる。
「グスマン侯爵から、奇異な話をふたつほど聞かされました」
「2つというのは?」
「ひとつは、カサンドラ皇女殿下がお倒れになり、聖女としての聖務が滞っておられること。もうひとつは、その皇女殿下が私の訪問を要請しているということです」
はぁ……と、ヴィオラーテは厭わしげな様子で溜息をついた。それは、彼女が肉親の前でしか決して見せない表情である。
「彼がそのようなことを言ったのですか? ……まったく、私が留めておいたことを、勝手にあなたに漏らすなんて。グスマン侯爵家は国内有数の資産家ですし、王家への『支援』を通じて一定の発言権を持つ家門ですが――それにしても最近の振る舞いは看過しかねますね。彼の擁する商会がレギト皇家の御用達になったらしく、彼が増長する一因になっているようです」
ディオンは、姉の言葉を聞いて顔をしかめた。
「姉上が話を留めていた? ということは、皇女殿下の容体も見舞いの要請も事実なのですね?」
「……耳に入ったのなら仕方ありませんね。あなたの言う通り、事実です」
「なぜ姉上は、私にその話を伏せていたのですか?」
「言う訳ないでしょう? そんな幼児のワガママみたいな、くだらない話を」
ヴィオラーテの口調が、少し砕けた。
姉弟ふたりきりでいるときだけは、彼女は女王としてではなく、姉として肩の力をぬいた話し方をするときがある。
「レギトは、西側諸国随一の権限を持つ『聖皇国』です。だからと言って、我々を愚弄するような要求をして良いわけがありません。ディオンを見舞いに来させる意図は、接点を作って婚姻につなぐことです。子供の頃、あなたへの婿入りの打診がしつこく来ていたでしょう?」
「はい」
「あれは皇女の個人的希望だけでなく、ログルムントの保有資源を狙ってのことなのですよ。レギトには古来、ログルムントの属国化を狙う動きが見られます。聖女という切り札で政治的な有利を誇るレギトですが、戦争を起こすほどの国力がないのでログルムントを手に入れることはできない――だから『婚姻をきっかけにして、いずれログルムントの属国化を』ということなのでしょう」
ヴィオラーテが口元に扇を添えた――不快さに歪む口元を隠すためである。
「要するに今回は、皇女カサンドラが倒れたことを口実に、ディオンをレギトに呼びつけて婿入りさせる段取りを組もうということなのです。無茶苦茶が過ぎて、さすがの私も腹が立ちました。……しかもディオンには、メアリという妃までいるのに」
『メアリ』という名を聞いて、ディオンは少しうつむいた。グスマン侯爵からこんな話を聞かされて、彼女はどれほどつらい心境になっただろう。
「それで、姉上。皇女カサンドラの病状が重くて聖務が滞っているとのことですが、そちらについてはどのような状況なのですか?」
「……私も正直、困っているのですよ」
ヴィオラーテの美貌に、心労の影が差す。
「実は1ヶ月前から、ログルムント王国内の竜化病患者の受け入れが完全に拒否されています。すでに10名の患者が国内で発生していますが……聖女の竜鎮めを受けるめどはたっていません」
「!? それでは、患者たちは今どうしているのです?」
「やむを得ず、王都の主神殿で一時保護することになりました」
一時保護。
保護といっても実際は、鎮静剤を投与して暴走しないようにしてから投獄されるのが実情だ。
ヴィオラーテは悲しげに声を落とした。
「もちろん私も女王として、レギト聖皇国に受け入れ再開を求め続けていますが、『自国内の竜鎮めだけでも手一杯なので、ログルムントの受け入れはできない』との一点張りです。ですが――」
ですが――、の次の言葉がヴィオラーテの唇からなかなか出てこない。
ディオンは、辛抱強く姉の言葉を待った。
「最近、レギトは受け入れ再開のための明確な条件を打ち出してきました。……それは『王弟ディオンを皇女カサンドラの見舞いに来させ、両国の融和関係に一定の進展が見られること』だというのです」
は? と、ディオンが首をかしげる。
「どういうことですか? 私が見舞いに行くことと、受け入れ再開に何の関係があるのです?」
「馬鹿みたいでしょう? レギト聖皇国側の言い分としては、『王弟ディオンの見舞いは聖女カサンドラへの敬愛を意味する』。『現状ではレギト国内の竜鎮めに専念せざるを得ないが、今後ログルムントがさらなる融和姿勢を見せるのであれば、徐々に受け入れ緩和を目指していく所存だ』――とのことです」
要するに、ディオンが見舞いに来ないなら竜化病患者を受け入れてやらないぞ――という脅迫をレギト聖皇国はしているのだ。
「はっ!? 何言ってんだ馬鹿じゃねえかあいつら!」
「ディオン……」
「おっと失礼しました。うっかり本音が」
こほん、と咳払いしてから、ディオンは口調を整えた。
「まさか姉上が先日お倒れになったのは、この件で心労がたまったせいですか?」
「……たとえそれが一因だとしても、あなたが気に病むことはありません。私はこの国を導く王なのですから。打開策を模索するのも、私の仕事です」
可哀そうなのは、竜化病の患者たちです――と、ヴィオラーテは声を落とした。
「現在の患者は10名。数としてはまだそれほど多くありませんが、今後も数が増えるとなれば対応しきれなくなります。厳重な保護下にあるとはいえ、彼らは強大な魔力がいつ暴走するか分からない存在。患者自身の苦しみと、万が一のときの危険性……看過できる状態ではありません」
ディオンは、ぎりりと歯を食いしばる。
エミリアが『竜化病患者を見過ごせない』と言って苦しんでいたときの気持ちが、痛いほど身に迫ってきた。
(エミリアは患者がいると知ったら、居ても立ってもいられなくなるだろうな……。だが、ダメだ。エミリアに竜鎮めをさせる訳にはいかない)
ディオンが眉を寄せて黙り込む。そのとき――
ホールの外から、突如轟音が響いた。空気がびりびりと震えて、地震のように床が揺れる。
「何事だ!?」
駆けつけた護衛たちがヴィオラーテとディオンの周囲を取り囲んだ。
窓の外に目を馳せたディオンは、唖然とした。
賓客棟の最上階にある一室が、大破している。窓ガラスが破れ、壁がはがれかけているあの部屋は――
自分とエミリアにあてがわれた貴賓室だ。
(……エミリア!?)
ディオンは貴賓室を目指して疾駆していた。
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