【32】偽聖女エミリアの決断

エミリアは、ゆっくりと目を開けた。


視界にぼんやりと部屋の様子が映り込み、優しい海色の瞳がこちらを見下ろしているのに気づく――精悍な美貌に心配そうな色を乗せ、じっとこちらを見つめていた。

「エミリア」

「ディオン、さま」


起き上がろうとするエミリアの背を、ディオンはそっと支えた。

「具合はどうだ? 毒は抜けたみたいだな」

「毒……」

「サラが、君に毒を飲ませたことを自白した」


険しい顔をして、ディオンは教えた。


「サラは投獄した。サラはグスマン侯爵から『気付け薬』と称して精神高揚剤を渡されて、それを服用してから君への行為に及んだそうだ。とはいえ、暗殺への加担は彼女自身の意思だったから決して許されることではない。サラ以外にも、この事件に関わる者はすでに全員捕らえている。彼らには相応の報いを――」


「ルカだったの?」

エミリアは、ディオンの声を遮って尋ねた。毒のことも、殺されかけたこともどうでも良い。

エミリアにとって一番大切なことは、別なのだ。


「ディオン様が、ルカだったの?」


エミリアはふと、サイドテーブル上に置かれていた物へと意識を向けた。

一対の、銀製のイヤリングだ。片側は海青石がきれいに輝いているが、もう片方は石が取れて台座の部分も歪んでいた――離れ離れだった右と左が、テーブルの上で仲良く寄り添い合っている。


「……ああ、そうだよ」

「そんな。私、全然気づきませんでした」


あの日出会ったルカは、黒髪の華奢な少年だったのに。


「確かに「似てる」と思う瞬間は何度かあったけれど、同一人物とは思いませんでした。だって……ルカは女の子みたいな可愛い声をしていたし」

「声変わり前だったからな」

「私と同じくらいの背の、華奢な男の子だったのに。ディオン様みたいに大きくて逞しい人とは、全然イメージが重なりません」

「8年も前だぞ? 背は伸びたし、体は鍛えたら勝手にこうなった」

「髪の色は? ルカは、黒髪でしたよ?」


「染めて変装させられてたんだよ。第一王子の俺が竜化病を発症したなんて『汚点』を他国に知られたら、弱みを握られることになる――というのが父上の判断だった。ルカというのもまぁ、偽名みたいなものだ。カサンドラと俺は面識があったから、身元がバレないように竜鎮めを受けさせようと、ずいぶんと気を揉んだようだぜ」


そうだったんですか――と、エミリアは戸惑いがちにうつむいている。

「ルカ……、いえ、ディオン様はいつから私がエミリアだと気づいていたんですか?」


「砂漠で顔を見た瞬間、すぐに君だと分かった。でも、知らないフリで通すことにしたんだ――君が俺を忘れていると思ったから」


「ルカのこと、忘れる訳がないでしょう!? でも、あなたがルカだとは気づかなかった。……私って、やっぱり鈍感なのかな」


ディオンは返事をしなかった。

何と答えるべきか悩んでいるようで、困り顔で口をつぐんでいる――その態度からだけでも、『エミリアは鈍感だ』と思っているのが伝わってきた。


ちょっと気まずい沈黙を挟んでから、エミリアはディオンに訴えた。


「でも、他人のフリなんてしないでほしかった……。ディオン様が『俺がルカだよ。俺のこと、覚えてるか?』って言ってくれたら、すぐ分かったのに」

「悪かったよ。……色々、勇気が出なかったんだ」


済まなかった、と言いながらディオンはつらそうな顔でエミリアの手を握った。


「俺が至らないばかりに、君の命まで危険に晒すことになってしまった。何が『用心棒』だ……不甲斐ない自分が、本当に情けない」


――命の危険。

ディオンは、暗殺未遂事件のことに話題を戻そうとしているようだ。


「君が命を狙われたのは、俺の妻だからだ。サラが毒を盛ったのは、グスマン侯爵に「暗殺の手はずを整えてくれ」と依頼されたから。そしてグスマン侯爵が君を暗殺しようとしたのは、さらに上の立場の者から命じられていたからだ」


「上の立場の者……?」

「レギト聖皇国の皇太子ヘラルドだよ。グスマンが自白した」

「!?」


思いがけない名を聞いて、エミリアは青ざめる。

「どうしてヘラルド殿下が私を!? ま、まさかログルムントに密入国していたことがバレて……?」

「いや違う。偽聖女エミリアは死んだと思われている。君が狙われたのは、ただ純粋に『王弟ディオンの妃』だからだ。『平民出身の王弟妃』を排除して、俺に新たな婚姻を結ばせようという魂胆だったらしい」


「新たな婚姻……?」

「皇女カサンドラとの婚姻をな」


要領を得ず、エミリアは眉をひそめた。

「ごめんなさい、ちょっと話がよく分かりません……」

「ムダに権力を持ってるクズどもが、好き放題やろうとしてるって話だ」


忌々しげに、ディオンは語り始めた。


――カサンドラが疲労で倒れ、レギト国内での聖女業務が滞っている。

――だから、ログルムントからの竜化病患者の受け入れは全面停止されてしまった。

――レギトの皇家は、ディオンをカサンドラのもとへ見舞いに来させるよう要求している。

――ディオンの見舞いを機に両国の関係性を親密化させなければ、ログルムントの竜化病患者は今後も受け入れない。と脅してきている。


「グスマンの話によると、実際にはカサンドラの病状は大して重くないらしい。ログルムントへの駆け引きの材料にするために、竜化病患者の受け入れを拒んでいるようだ」

「……なによ、それ!」


エミリアは気色ばんで声を裏返らせた。


「私、許せません。なんて身勝手な人たちなんでしょう」


自分が偽聖女として扱われるのは、たいして不満には思わなかった。

しかし、身勝手に竜鎮めの仕事を放棄したり、ディオンに迷惑を掛けたりするのは許せない。

そんなものは、聖女でも聖皇国でもない――と、エミリアは震えた。


「ログルムントの王都は、現時点ですでに10名の竜化病患者が収容されている。……これからも、じわじわ増えていくだろうな。いつレギト聖皇国に受け入れてもらえるか全く見通しが立たず、彼らの苦しみを想うとやり切れない」

「ディオン様! 私にその人たちの竜鎮めをさせてください!」


エミリアは、ディオンの手をきつく握った。


「お願いします。……すぐ近くに苦しんでいる人々がいるのに、放っておくなんて。許されることではありません」

「エミリアなら、そう言うと思った。俺も同意見だよ。姉上に掛け合おう」


エミリアは、覚悟を込めてうなずいた。でも、同時に胸が疼く。


「……でも私の素性を陛下たちに明かすことになりますから、これでもう、私とあなたの『夫婦関係』は、おしまいですね」


エミリアは、寂しそうに笑った。


「聖女能力を保有する者を秘匿するのは、大陸法違反ですから。女王陛下はきっと、私の処遇に頭を悩ませることになるでしょう。……本当にすみません。できるだけ、ディオン様やヴィオラーテ陛下達のご迷惑にならないようにします」


「そのことだが――。俺に考えがある」


ディオンは、エミリアに耳打ちをした。

彼の話を聞いて、エミリアは驚愕に目を瞠っている。




「……そんなの、上手く行きますか?」

「俺は、うまく行くと思っている。だがその前に、国内の竜化病患者を全員治してもらいたい。やってくれるか?」

「もちろんです」


「それじゃあ、さっそく姉上に話をしに行こう。君もついてきてくれ、エミリア」


   ***






身支度を済ませたエミリアは、ディオンに付き従って女王の執務室へと向かった。

ディオンが話を通していたらしく、執務室ではすでに女王ヴィオラーテと王配ミカエルが待っていた。


「メアリ! 目覚めたのですね。本当によかった」

無事を喜ぶ女王達だったが、ディオンから『メアリの事実』を聞くうちに、困惑の色が濃くなっていく。


「……メアリが、『偽聖女』? 皇女カサンドラの……身代わり? それは……」

「姉上、メアリというのは偽名なんだ。彼女の本当の名はエミリア。聖女の能力を持っているのに、レギト皇家の思惑で法王への申請がなされていない。エミリアは存在を伏せられて、カサンドラの身代わりとして働かされていた」


「そんなことが……」

耳を疑うヴィオラーテに、エミリアが訴えかける。


「女王陛下! 私を竜化病の人たちのところに連れて行って下さい。私は竜鎮めを行うことができます」


女王は、王配と目を見合わせた。だがやがて、意を決したようにうなずく。

「メアリ……いえ、エミリアが竜鎮めを行えるというのなら、是非お願いしたいものです。ともに主神殿へ行きましょう、私とミカエルも立ち合います」




主神殿に着くなり、エミリアは次々と竜鎮めを行っていった。

その鮮やかで慈愛に満ちた姿には、ヴィオラーテもミカエルも目を瞠るばかりである。


「我が声を聞け、荒ぶる竜よ。我は女神の代行者、そなたの怒りを鎮める者なり――」


竜化病に侵された患者たちが、エミリアによって救われていく――彼女はまさに聖女そのものだった。

疲労困憊でも連続で竜鎮めをしようとするエミリアを、ディオンが押しとどめて強制的に休憩を挟ませる。

数日かけて患者をすべて癒し終え、エミリアはヴィオラーテから賞賛の言葉を受けていた。


「聖女エミリア。貴女の力に救われました」

深々と頭を垂れる女王の前で、エミリアは困惑していた。

「陛下、頭を上げてください。それに私は公認の聖女ではありませんし……」


「いいえ、あなたは紛れもない聖女です。自分の労苦も厭わず病める者をひたすらに癒すあなたが聖女でなければ、一体誰が聖女だというのでしょうか?」


ヴィオラーテはこの数日間のうちに、ディオンからすべての経緯を聞いていた。

カサンドラがエミリアを虐げていたことも。

カサンドラが嫉妬に狂い、エミリアを処刑しようとしたことも。


ヴィオラーテは、口惜しそうに首を振る。


「レギト聖皇国が憎くてたまりません。『聖女の生まれる地』である聖皇国の役割は、周辺諸国に聖女を授けて大陸中の民を救うことであるはず。にもかかわらず、聖女を切り札にして外交を優位に進めようとしたり、エミリアに聖女と認めず不当な扱いをしたり。愚劣にも程があります」


「ヴィオラーテ陛下……」

「たとえ法王猊下の定めた大陸法に反することとなろうとも、私はエミリアを庇護します。あなたの身柄は、絶対にレギト聖皇国には引き渡しません」

「え!? でも、私を匿ったことが明るみに出たら、ヴィオラーテ陛下が罰せられてしまいます」


微かに眉を寄せるヴィオラーテに、ディオンは声を投じた。



「姉上、私に考えがあります。お聞きいただけますか?」

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