【1】偽聖女、逃げ出す。

『私の存在価値は、になりきることだった』――エミリア・ファーテはそう思っている。


エミリアの人生に転機が訪れたのは2ヶ月前、偽聖女として投獄されたときのことである。


……いや。

『転機』というなら、これまで何度も経験していた。

エミリア・ファーテ18歳。その人生は、いつでも波瀾万丈だった。


   *


最初の転機は、7歳のときに訪れた。

レギト聖皇国の鉱山の麓にある小村で生まれたエミリアは、身よりのない孤児だった。

採掘所の親方のもとで荷運びとして働いていたエミリアは、ある日突然に『聖女の力』を目覚めさせる――崩落事故で大量の重傷者が運び出され、瀕死の彼らを見た瞬間に聖女特有の『回復魔法』が発動していた。


すり傷を治す程度の軽微な回復魔法なら、修行次第で使える人間もたまにいる。しかしの回復魔法は、瀕死のケガさえ一瞬で癒すことができるのだと言われていた。聖女の魔力は高純度なため、雪の結晶のような『結晶光』が舞い上がるのも有名である。


エミリアは結晶光を噴き上げて、重傷者たちを全回復させた。


「……ま、まさか、エミリアは聖女なのか!?」


きょとんとしているエミリアを、大人たちが驚愕の眼で見つめていた。

大人たちはエミリアの起こした奇跡に感激し、しかし次の瞬間……青ざめた。


「た、大変だ。すぐに領主さまに報告しねぇと! 聖女を隠すと、死刑になるぞ!!」


聖女はこの『竜骸大陸』にわずか数十名しかいない、きわめて希少な人材だ。

だから大陸法の定めによって、聖女を秘匿すると重罪に処せられることになっている。


大人たちは、速やかに領主に報告した。

そして領主はすぐさま皇都に伝令を送り、エミリアは馬車で極めてスピーディに皇城へ送還されたのであった。



皇城内の拝謁の間にて。

壇上の皇族3人の御前で、エミリアは平伏していた。

(しんじられないわ……。まさか、わたしに『聖女の力』があったなんて)


頭を床につけてひれ伏しながらも、全然実感がわかない。


(親方が『大陸西部では、聖女はレギト聖皇国このくにでしか生まれない』とか言ってた。……よく分からないけど、なんかすごそう)


戸惑うと同時に、エミリアはワクワクしていた――もし自分が聖女なら、困っている人を助けてあげられるからだ。

エミリアはこれまで、鉱山事故で亡くなる人を沢山見てきた。


(……わたしが赤ちゃんのとき、お父さんは事故で、お母さんは病気で死んじゃったって親方が言ってた。わたし、聖女になったらお父さんやお母さんみたいな人を沢山助けてあげたい!)


おもてを上げよ」


皇帝に命じられ、エミリアはぴこりと頭を上げた。並んだ玉座に皇帝・皇后が座し、その傍らに十歳ほどの皇太子が立っている。三人は、値踏みする目でエミリアを見下ろしていた。


「回復魔法を披露せよ」

と命じられたので、エミリアは従った。おびただしい量の結晶光が舞い上がるのを見て、皇帝は納得した顔でうなずいている。


――そのとき。


カツカツと靴音を響かせて一人の少女が乱入してきた。

「父上、母上! わたくし、もう限界ですわ!」


「か、カサンドラ皇女殿下。なりません、両陛下は今ご公務中で……」

「お黙りなさい! 生意気を言うと、お前を侍女から外しますわよ!?」

「ひっ……お、お許しくださいませ」


お付きの侍女を罵倒しながら現れたのは、豪奢な赤毛を結い上げた気の強そうな少女だった。年のころはエミリアと同じ7歳くらい。純白の法衣を纏い、顔に掛かったヴェールをめくり上げてヒステリックに怒鳴りたてる。


「わたくし、もう聖女なんてやりたくありません!!」


「これこれ、カサンドラよ。そのように怒るでない。可愛い顔が台無しだぞ?」

皇帝が、甘ったるい笑顔でそう言った。

皇后も猫なで声を出す。

「そうですよ、カサンドラ。あなたは気高き皇女であり、同時に聖女なのですから。もっと優雅にふるまいなさい」


「でも! どうして皇女であるわたくしが、病人やケガ人の治療なんてしなければいけないのですか!? そんな雑用、神官にやらせれば済むことでしょう? わたくし、二度とやりません!」

カサンドラは、駄々っ子のように泣き出してしまった。


エミリアは『ぽか~ん』とした顔で、皇族一家のゴタゴタを眺めている。

……だが、



「そんなに嫌なら、その平民娘にお前の身代わりをさせれば良いじゃないか」



という声を聞き、エミリアは首を傾げる。

声の主はカサンドラの兄――皇太子ヘラルドであった。

皇帝と皇后が、驚いたように目を瞠る。


「カサンドラの……身代わりとな?」


「はい、父上。カサンドラとその娘は、年頃も背格好も同じようです。髪を染めて化粧をさせれば、見分けが付かないのではありませんか?」


「なるほど……だが、顔の違いを化粧で誤魔化せるか?」


「可能かと思います。聖女は薄絹のヴェールを顔にかけるのが正装ですし、そもそも大陸西部にわずか9人しかいない聖女に、替え玉が存在すると思い付く者はいないかと」


ヘラルドは、フッと意地悪そうに唇を吊り上げた。


「やる気のないカサンドラよりも、無知な平民を躾けて働かせるほうが、皇族のイメージアップに使えそうだとは思いませんか?」


皇帝と皇后は目を輝かせ、「さすがヘラルド!」などと褒めちぎっていた。



(……? 『むちな平民』ってなんだろう)

頭を疑問符でいっぱいにしているエミリアに、皇帝が厳かな声で語りかける。


「よし、エミリア・ファーテ。そなたの能力を認め、聖女の聖務を行うことを認めよう。皇城内に居室を与えてやるから精進せよ」

「は、はい! ありがとうございま――」


「ただし、正式な聖女とは認めない。そなたは、カサンドラの身代わりとなるのだ」


「はい??」


それが、エミリアが「偽聖女」に任命された瞬間であった――



   *



エミリアは、偽聖女だ。

『聖女の力』を持っているが、聖女ではない――聖女を名乗るには、法王の承認を受けなければならないからだ。


法王はこの大陸の最高権力者であり、巨大砂漠に囲まれた大陸中央の『法王領』で暮らしている。皇帝の決定により、エミリアの存在は法王に申請されなかったのだ。


だが、エミリアはそれほど不満には感じなかった。

(べつに偽聖女でもいいや。困ってる人を助けられるなら、それで十分だし)


エミリアは「聖女カサンドラ」として、精力的に働いた。

皆が喜んでくれるし、採掘場の荷運びよりも楽しくてやりがいがある。


カサンドラの替え玉だから、痩せっぽちではいけない――という理由でおいしいご飯を食べさせてもらえるし、居室のベッドはふかふかだ。ふつうの平民孤児には、こんな暮らしは絶対に出来ない。


(私ってすごく運がいいわ! だからその分、いろんな人を助けてあげなきゃ)




そんなエミリアに向かって、カサンドラはいつも嫌味を言っていた。


「お前って、無駄な努力が好きなのね。いくら頑張っても、誰もあなたを認めてくれないのに。お前は、わたくしの身代わりなのだから。……理解できているのかしら?」


「あ、はい。分かってます」

エミリアがけろりとした顔で答えると、カサンドラはなぜか不機嫌そうになる。


「……ふん! せいぜい身の程をわきまえてしっかり働きなさいな。逃げ出そうなんて、絶対に考えないことです!」


「とくに考えてませんが」

 

「うふふふ、そうでしょうねぇ。大陸法で、聖女の身柄を隠すことは重罪とされているの。つまりお前が逃げ出しても、誰にも匿ってもらえない――どこにも逃げ場はありませんわよ?」


「はぁ」

月に何度かは、このようなやりとりが繰り返されていた。




カサンドラに釘を刺されなくても、エミリアはともかく働き者だった。

7歳で始めた聖女の仕事を、10年以上毎日欠かさず続けている。


聖女の仕事は『竜鎮め』と『癒し』の2つ。

竜鎮めとは、『竜化病』という特殊な病を治すこと。癒しは、回復魔法でケガや病気を治すこと。要するに聖女は治療のスペシャリストである。


エミリアの演じる『聖女カサンドラ』は、年月を重ねるごとに人気者になっていった。

尊い皇族でありながら、献身的に民を癒してくれる。

地方から要請があれば、すぐに出向いて救ってくれる。


聖女カサンドラの人気と共に、レギト皇家の評判も年々高まっていった。にもかかわらず、皇帝たちはエミリアに感謝の言葉も休息も与えようとはしなかった。



   *


「エミリア様! なぜあなたはいつも、のんびり笑っていられるのですか!? あなたの功績がすべて、カサンドラ皇女殿下のものとなっている……。私は、悔しくて溜まりません」


専属侍女のダフネは、エミリアと2人きりになると不満を漏らした。


「ダフネ、なんで怒っているの?」

「むしろなぜエミリア様は怒らないのですか?」


ダフネは20代半ばの侍女だ。

武芸に秀でた女性であり、エミリアが地方視察に出向く際には護衛騎士の役も務める。今のダフネは闇のような黒髪をきっちりと編み上げて、侍女の出で立ちだ。


「カサンドラ皇女殿下は遊び呆けているのに、あなたは働き詰めです。待遇の改善を申し出てはいかがです?」


「私は平気よ」

とは言いながら、エミリアも少なからずの疲労は感じていた。自分ひとりで聖女の仕事をするのはかなり大変で、カサンドラが手伝ってくれたらいいのに……と思う日はある。


前にそれとなく協力を願い出てみたら、こてんぱんに怒られた。

言っても無駄だとよく分かったから、エミリアはそれ以来なにも言わないことにしている。


「ですが、エミリア様……!」


「大事なのは私がチヤホヤされることじゃなくて、困っている人が助かることよ。――ほら、イライラしたときはこれを見て! 癒されるでしょ?」


エミリアは引き出しから、一粒の宝飾品を取り出した。

海色の石が嵌まった銀製のイヤリングだ。片耳の分しかない。


ダフネが溜息をつく。

「またそれですか。本当にお気に入りなんですね」

「うん! きれいでしょ?」

「昔助けた少年から貰ったもの――でしたっけ?」

「そう、ルカがくれたの。これを見ると、元気が出るんだ」


エミリアはイヤリングを握りしめ、力強く笑った。


「よし、元気出てきた! ともかく私は大丈夫。だから、あなたもそんな顔をしないで。ダフネ」

気丈に笑って、エミリアは日々の聖務を果たし続けた。


   *



――私はまだまだ大丈夫。だって、毎日楽しいもの。

――とくに不満なんてないし。

――皆が笑って、喜んでくれる。それなら全然、問題ないわ。


大丈夫。大丈夫。まだまだやれる、大丈夫。

でも実際は、少しずつ不満が溜まっていたのかもしれない。

11年も酷使され、ひとことの労いもなければ不満を持つのは当然だ。


それでもまだ、大丈夫だとエミリアは思っていた。


カサンドラに意地悪を言われても、ヘラルドにゴミ屑を見るような目をされても、皇帝と皇后に道具扱いされていても。べつにぜーんぜん大丈夫。


自分の堪忍袋の緒は、この程度では切れやしない。

18歳になったエミリアは、毎日のように自分に言い聞かせてきた。

……だが。


なぜかエミリアより先に、カサンドラの堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。




唐突に事件は起こった。

皇都の神殿前広場でエミリアが宗教行事を執り行っていた真っ最中に、本物のカサンドラが乱入してエミリアを糾弾したのである。


「皆、だまされてはいけません! この女はわたくしの偽物です。私の名を騙り、私の名声をかすめ取ろうとする卑しい女なのですわ!」


(――――なに言ってんの、この人!?)

エミリアは頭が真っ白になった。


壇上に現れた【2人のカサンドラ】に、会場の人々は騒然。

赤く染めていたエミリアの髪に、カサンドラは水をかけ、流れ落ちる赤い染料を見て嘲笑った。


「騎士達よ、この偽物を捕えなさい! 本物の聖女はわたくしよ!!」

カサンドラが連れてきた十数名の騎士達がエミリアを捕え、あっという間に投獄してしまった。


……何があったか知らないが、どうやらカサンドラは、エミリアが皆にチヤホヤされるのが不満だったらしい。


「おほほほほ、ざまぁ御覧なさい! お前が皆に愛されるのも、聖女として尊敬されるのも、すべてわたくしの代用品だったからよ? 今後はわたくしが聖女の務めを果たして人々から直接賞賛を受けますので! お前は用無しですわ。そのうち処刑してあげますから、この牢獄で待っていなさい」


カサンドラは踵を返して牢屋を去っていった。


(――なんて滅茶苦茶な人なのかしら)



全部バカ臭い。

皇帝には、カサンドラの替え玉になれと命じられ。

カサンドラからは、偽物のくせに調子に乗るなと責められる。

挙句の果てに、処刑とは……。


「あんたら、良い加減にしてよ、もう!!」


泣いても叫んでも、エミリアの状況は変わらなかった。




しかし、1月ほど経ったとある晩。


「エミリア様、逃げましょう」

看守の目を潜り抜け、専属侍女のダフネが脱獄を持ちかけてきた。


「ダフネ……?」

今のダフネは帯剣しており、女騎士の出で立ちである。


「でも、逃げるって……?」

「この国を捨てて、隣国へ逃れましょう。命に代えても、私があなたをお守りいたします。出国の準備はすでに整っておりますので――エミリア様。どうか、手を」



エミリアはダフネの手を取った。

偽聖女の汚名を着せられたまま、やけくそで逃げ出したのである。



逃げた先の隣国で王弟と結婚することになるとは、このときのエミリアは想像もしていなかった。




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第一話にお付き合いいただきありがとうございます!

次話は1/6(土)12:00過ぎのリリースです。

ぜひぜひお付き合いお願いいいただけますと光栄です!

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