第9話 お昼も放課後も

9話 お昼も放課後も



 繋いだ手のひらから、犬原君の体温を感じる。


……あったかい。じんわりと伝わってくる熱は、昨日私の心を溶かしてくれたあの言葉のように、優しいぬくもりを宿していた。


「み、見せつけるって……。いいん、ですか?」


「私はすぐ変な噂立てられるからね。犬原君との関係を変に誤解されるくらいなら、堂々としてた方がいいかなって。犬原君はこういうの、嫌?」


「ま、まさか!! 嬉しい、です。先輩にそう言ってもらえて」


 紅潮した顔で、バツが悪そうに。でも、嬉しそうに。微笑んでから、私が一方的に繋いだだけだった手から、力が返ってくるのを感じた。


 ああ、落ち着く。


 周りからの視線も、ひそひそ話も。イヤホンから流す曲で無理やり壁を作らないと気になって仕方なかったものが、全部。たったこれだけの小さな動作で、かき消されていく。


 もしかしたらこれを見せてもなお、周りの人たちはまだ誤解を続けるかもしれない。一度貼られたレッテルというのがどれだけ強大で、しつこくて。それでいて面倒なものなのかは、私が一番よく知っているから。


 けど、きっと犬原君となら何とかなる。彼女としてこんなことを考えてしまうのは良くないかもしれないけれど、彼ならそんな面倒なんて簡単に振り払ってくれると。そう、信じてる。


「楽しいね、誰かと登校するって」


「ぼ、僕は先輩とだから楽しいですよ? 他の人とならこんなにドキドキはできないです」


「もぉ、犬原君はそういうところ正直だよね。直接言うのが恥ずかしいから私はぼかしたんだけどな」


「えっ!? ご、ごめんなさい」


「怒ってるんじゃないよ。私も……うん。犬原君とだから、楽しい。他でもない君だから、心があったかくなる」


 自分で言っていてどこかむず痒くなりながらも、繋いだ手を離すことはせず。そのまま、正門をくぐった。


 本当にあっという間の時間だったな。もともと徒歩で通えてる時点で大した距離はないし、たったの十分ほどしか一緒にいられないことは分かっていたけれど。


 それでもやっぱり、少し寂しい。


 一年生と二年生では下足室のロッカーの位置がかなり離れている。つまり、朝一緒にいられるのはここまで。もう、離れないといけない。


(犬原君と同じクラス……せめて、同じ学年だったらよかったのにな……)


 ここからはまた、犬原君のいない退屈な一日に戻ってしまう。周りから腫れ物扱いされて、誰ともろくに会話すらできない。そんな、あまりに怠惰でつまらない一日に。


「あ、あの、先輩……」


「へっ!? あ、ごめん。もう手、離さないとだよね」


「はい。授業、遅れちゃうので……」


 犬原君に諭され、名残惜しいながらも手を離す。


 もう夢の時間は終わり、か。また明日まで、頑張らないと……


「せ、せせ、先輩っ!」


「……?」


「よ、よかったらお昼も……一緒に、いませんか? あと、できたら放課後も……」


「っ!?」


「む、無理言ってるのは分かってるので! ダメなら全然、大丈夫……ですから」


 どうして彼は、私が欲しい言葉をそうやって簡単に投げかけてしまえるのだろう。もしかして心が読まれてる? 実はこう見えて女の子慣れしてたり……は、流石にないか。


 何はともあれ。それは、むしろ私の方からお願いしたかった言葉だ。断る理由なんて一つも無い。


「もちろん、喜んで。じゃあまた後で……お昼休み、ね」


「ほ、ほんとですか!? へへ、なんだか午前の授業はいつもより頑張れそうです!」


「……そっか」


 私も、という言葉を直接伝えるのは少し恥ずかしくて。心の中で留めてから、彼とは別の方向へ歩き出す。



 まだ一限すら始まっていないというのに。今からお昼休みが楽しみだ。

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