第6話 溶かされた心

6話 溶かされた心



 好きが、揺るがない? 今この子は、そう言ったのか?


「ちゃ、ちゃんと見えてる!? 刺青があるんだよ!?」


「はい、見えてます。綺麗な荊模様です」


「見えてるなら、なんで……こんなの見せられたら、普通嫌いになるんじゃないの……?」


「な、なりませんよ! 先輩、さては僕の好きはその程度なんだって思ってますか? ナメないでください! 僕は先輩が人殺しでもない限りこの好きが一ミリも揺るがない自信があります!!」


 だ、ダメだ。この子おかしい。


 恋は盲目、なんて言うけれど、まさかここまでなんて。これだけ弱音を吐いて、あなたの好きになった女は偶像だよって教えてあげて、そのうえこんなに醜い傷まで見せたのに。


「どう……して」


 どうして、この子はまだ、私を好きだと言ってくれるのだろう。

 

 私には何もない。あるのは築き上げられたハリボテの嘘だけ。それを嘘だと知ってなお、私を好きだと言う理由がどこにあるというのか。


 分からない。一体、何が彼の心を……


「どうして、まだ私を好きでいられるの? 私は君の思ってるような人じゃない。弱くて、ちっぽけで。醜い女なんだよ……?」


「えっと、どうして……って言われると、難しいんですけど。とにかく先輩のことが好きだからです」


「分かんない! そんなんじゃ、分かんないよっっ!!」


 気づけば、目から大粒の涙が溢れていた。


 これが何の感情から来た涙なのか、自分でも分からない。けど、どれだけ拭っても拭っても、それが止まってくれることはなかった。


「先輩が、僕の見ていた先輩じゃないことは分かりました。僕の恋した孤高の一匹狼のような人じゃないってことは。けど、本当……自分でもびっくりするくらい、まだ月島先輩のことが大好きなんです。たとえ弱くてちっぽけで、醜い女の子だったとしても」


「君、おかしいよ……。絶対、おかしい」


「おかしいのは先輩の方です。どうして自分の好きなものを、そんな風に言えるんですか?」


「自分の、好きなもの……?」


 そう言って、犬原君は私が脱ぎ捨てたパーカーを拾う。


 ポケットから溢れた、イヤホンを拾う。


 ポケットから溢れた、スマホを拾う。


「先輩は、これらを全部ハリボテの嘘だって言ってました。身につけることで自分を強く見せるてるだけのものだって。けど、僕は違うと思います」


「それって、どういう……」


「好きだから、身につけてる。好きだから捨てられない。初対面の僕なんかが先輩を分かったかのように言うのはおこがましいかもしれませんが、きっと先輩は先輩が思ってる以上に自分のことを諦めきれてないんですよ」


 違う。絶対に違う。


 私は私が嫌いだ。お父さんとお母さんを離れ離れにして、迷惑をかけてばかりな私が嫌いだ。自分を強く見せることでしか自我を保てない私が大嫌いだ。


 私が一番、私のこと諦めてる。犬原君が拾ってくれたこれらは、私の好きなものなんかじゃない。だって、これを好きな私じゃ、また……


「月島先輩のご両親は、月島先輩が好きなものを好きでいたせいで離れ離れになった。だから好きだったものが嫌いになって、自分を守るための道具にしか見えなくなった。けど本当に大嫌いになったのなら、一番最初に手放すと思うんです。見たくもないくらい、嫌いになれたなら」


 心臓の鼓動が、速くなっていく。


 犬原君の純粋な目線に当てられ、心の底を覗かれたかのように私の真意に迫られて。


 何かに気付かされそうになっているこの瞬間が、堪らないほどに恐ろしくて。


 この場を今すぐにでも逃げ出したいのに、脚が動いてくれない。身体が鉛のように重くて、ほんの少しも動かない。


 まるで、本能が……この声に、耳を傾けたがってるみたいだ。


「僕は、先輩のことが好きです。月島明里さんという、今目の前で弱さを見せて泣いている女の子のことが大好きです。だから、もう好きなものを我慢してほしくない。嘘をつき続けてほしくない」


 もしこの感情を嘘だと言い聞かせなかったら。私は大好きだった両親よりもそれらを優先してしまったことになる気がして。そのことが、ずっと怖くて。


『このパーカー? 友達に貰ったの。制服ちょっと生地薄くて寒いし、上から羽織ってくよ』


『この髪? 美容師さんにお任せにしたらこうなったの。まあ別に何でもよかったし、これでいいよ』


『このイヤホン? 安売りされてたから買ったやつだけど。別に音質とかよく分からないし、どれでもよかったから』


『このスマホカバー? なんか今流行ってるんだって。まあ何もつけないのもあれだし……とりあえず、ね』


 どれもこれも、自分の意志で選んだものだ。


 それなのに、そうだと言うのが怖くて。お母さんには全部適当か貰いものだと返した。


「いいの、かな……私の好きなものを、好きだって言って。そのせいで、大切な人が離れていったのに……」


「少なくとも、僕は離れません。先輩が傍にいていいって言ってくれるなら、絶対に」


「っ……!!」


 もし、この感情に名前をつけるなら。


 私のくだらない価値観を壊して、私が好きなものを好きでいていいよって。ずっと傍にいてくれるって。そう言ってくれる彼に対するこの、心臓がキュッとなるような感情を、一言で言い表すなら。


「月島明里さん。何度でも言います。僕はあなたのことが好きです。大大大大好きです。ずっと、あなたの隣にいさせてくれませんか……?」



 きっと、それはーーーー

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