第32話 弱者のための矛

32話 弱者のための矛



「すんっ。ごめんね、犬原君。もう大丈夫」


 何度も何度も啜り泣いて、全てを出し切って。どこかすっきりとした感覚を覚えながら顔を上げる。


 思っていたより私は、彼らに対して怯えていたらしい。まあ思い返せば、むしろよくあんなハッタリを押し通せたなと自分でも不思議なくらいだ。


 そして気持ちがスッキリし始めると、当然のように一つの疑問が頭に浮かぶ。


「で、なんで犬原君はあんなに強いの?」


「あはは……やっぱり聞かれますよね」


 当たり前だ。あれはどう考えても一般人の動きのそれではなかった。


 何故犬原君にあんな動きができるのか。不思議に思わないはずがない。


「実は僕の実家、道場なんです。僕は武道なんてこれっぽっちも興味なかったんですけど、お父さんに小さい頃から「最低限だけでも」って叩き込まれてて……」


「ど、道場!? それってあれ? 空手? いや、あの動きを見る限りは合気道ってやつ?」


「まあそれに近い感じですかね。一応流派はお父さんの我流なんですけど、なんでもこれは『弱い者のための力』らしいです」


「弱い者の、ための……」


 弱い者。そう言われて一番最初に浮かんだのは、自分の顔だった。


 しかし犬原君のお父さん目線では、彼もその対象だったのだろう。道場ということは後継なんて問題もあるだろうから、それで技術を叩き込んだだけの可能性も充分にあるけれど。


「武の力は強い者が己の実力を誇示するためのものではなく、弱い者が身を守るためのものである。そして……」


「そして?」


「……大切な人を守るための、矛である。これが、お父さんから習った家訓です」


 大切な人を……た、大切な人を!?


 それって……


「もちろん、僕にとっての一番大切な人は月島先輩、あなたです。こんな力、持ってたってどうにもならないと思ってたんですけどね。先輩を守るためにこの力を使えて、本当によかった」


 察してはいたことだけれど、やっぱり改めて言われると照れくさい。


 犬原君は力を手に入れた。弱い自分を守るための盾を。


 でもそれは同時に、自分の大切な人に危険が迫った時の矛でもあったのだ。盾として守るだけではなく、矛として撃滅し、追い払う。全く、頼もしい限りだ。


「そ、そっか。大切な人……か」


 やっぱりかっこいいな、私の彼氏君は。


「先輩? て、手が……」


「どうしたの?」


「い、いえ。嬉しいです」


「ならよし。色々あったけど、犬原君がやっつけてくれたから。公園デート、再開しよ」


 隣に座る犬原君の指をなぞり、繋げて絡める。


 綺麗で、か細くて。でもあったかくて。私の大好きな手だ。


 手のひらから彼の体温を感じ、確かな幸せを噛み締めると。頬を赤くする横顔に無意識な笑みが漏れて。


ーーーー気づけば、唇で触れていた。


「っえぁうぅあ!?」


「もぉ、驚きすぎ。別にいいでしょ? 私は犬原君の彼女さんなんだから」


 これは、私からのご褒美とか、お礼とか。そういった彼のためにするかっこいいものではない。


 私が……私自身が、シたくなったから。本当は唇にするべきだったんだろうけどな。寸前でビビってしまった。


 でも、この小さな一歩を踏み出すとよく分かる。


 私はやっぱりーーーー




「大好きだよ、犬原君」

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