第30話 静かな怒り3
30話 静かな怒り3
「へぶっ!? クソ、クソクソクソッッ!! 当たんねぇ……何なんだよお前は、マジでよぉ!!」
拳が顔に当たる直前。わずかにそれを避けて見切り、左手の甲を当てる。そこから水流のように滑らかな曲線を腕で描き、懐に潜り込んで。即座に足を絡めて体勢を崩してから膝裏を踏みつけ、地面に突き落とす。
犬原君による蹂躙が何度も続いた頃。ようやく私の目にもそれが追えるようになり、何をしているのかを理解し始めた。
彼は全てをいなし、遊んでいるのだ。どれだけ殴っても蹴っても、そのうちの一つでも犬原君に当たることはない。それらは全て一瞬のうちに見切られ、次の瞬間には逆にその衝撃を利用して自分の方が地に伏させられているのだから。
まるで、バトル漫画の達人の動きを見ているような感覚だった。まさか犬原君がここまで強かっただなんて。誰が想像できただろうか。
「いって!? てめ、離せ! 離せって!!」
「この手ですか? 僕の大切な人に触れて、殴ろうとしたのは」
「うるせぇ、ぶち殺すぞ! 調子乗りやがってよ……こんなんで勝った気になってんじゃーーーー」
「じゃあ、この手をへし折ったら。負けを認めさせられるってことでいいですか?」
「へっ……?」
ゾクッ、と背筋に寒気が走ると共に。腕を掴まれ身動きの取れなくなった男の顔が青ざめていく。
「指を一本ずつへし折って、手首を外して。腕も使い物にならなくしたら、先輩にはもう触れられませんよね。あ、右手だけじゃ足りないなら左手も同じようにしてあげますよ?」
「な、に……言って……」
「言いましたよね、僕は怒ってるんです。だから手加減もしたくない。本当ならこうやって聞くこともせず、両腕をへし折ってから二度と立てないようにしてやりたいんです。僕には、それを出来るだけの覚悟と力があります」
優しくて、笑顔が可愛くて。いつも私を気遣ったり、不意にドキドキさせたり。そんな彼がいつもとは違った激情を見せ、到底彼の口から発しているとは思えない言葉を並べているのに。
それが私のためだと思うと、たまらなく嬉しくて。止めなきゃいけないないのに、心臓の音がうるさくて。
(犬原君……)
「でも、きっと先輩はそんなこと望んでない。先輩は……僕の彼女さんは、優しいんです。僕を助けに来させないために自分を犠牲にしてしまうくらい」
また、私の気持ちがバレている。私のしようとしたことまで、全部。
でもそれはきっと、彼が私のことを一番に考え、想ってくれているからだ。私の全てを見ても好きだって言ってくれる、彼だから……
「だからもう、これ以上はしません。あなたの腕をへし折ることも、足の骨を砕くことも。顔を変形させることも」
やっぱりこれは喧嘩なんかじゃなかった。
これは、私を守るために犬原君がしてくれた……喧嘩なんかよりも、もっと優しくて。でも同時に相手からすれば恐怖的で。そんな、″尊厳を折る″戦いだったんだ。
「でも、もし。あなたたちがまたこうやって、先輩に手を出そうとするなら、その時はーーーー」
だから犬原君は、すぐに倒すことはしなかった。
じっくりと相手に実力の差を分からせ、刷り込んで。どうしても敵わないと思わせてから、脅すような文句を続けた。
それらは全て、もう二度と私に火の粉が降りかからないようにするため。ズタズタにプライドを削いで報復するという気持ちすら浮かばないようにして、私を守るために。
「その時は、こんなもので済むと思わないでくださいね」
(やっぱり優しいね、君は……)
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