55:私とダンスを

「リナリア。セレンが本当はおれの弟だっていうのは、あいつには言わないでくれ。もし事実を知ったら、あいつはきっと気に病む。余計な負い目を感じさせたくないんだ」

《百花の宮》に戻るなり、アルカは真顔でそう言った。


 人払いを命じなくとも、侍女たちが近づく気配はなく、居間にはアルカとリナリアの二人きり。向かい合うのではなく、並んでソファに座っている。


「承知しました、アルカ様。言わないとお約束します」

「……。なんか不思議な感じだな。違和感があるような、そうでもないような……お前が名付けたアルル+イスカでアルカと思えばいいか」

 アルカは頬を掻き、それからリナリアの表情に気づいて首を傾げた。


「何か怒ってねえか? 口調がいつもより他人行儀で、しかも刺々しいような」

「はい。お察しの通り怒ってます」

 リナリアはソファの座面に手をつき、軽く上体を捻ってアルカに向けた。


「なんでさっき、ウィルフレッド様の妃になれと言われたときに抗議してくれなかったのですか。『ちょっと待った、リナリアはおれのものだ!!』と格好良く宣言してくださらなかったのですか。救いの女神だとか最高の女だとか惚れ直したとか言っといて、土壇場で怖気づいてウィルフレッド様に譲るとか、酷すぎませんか? 私は弄ばれたのですか?」

「弄――」

 強い言葉にアルカは一瞬、絶句した後で、すぐに猛然と抗議を始めた。


「いや、だって、しょうがねえだろ!? おれの立場になって考えてみろよ! ウィルフレッドの妃になればお前は将来王妃になれるんだぞ!? 王妃になって王宮で贅沢三昧するよりおれの妻になったほうが幸せだ! なんて、言えるかよ!! どんだけおれは自信家なんだよ!? おれには金も地位もねえんだぞ!?」


「それが何だって言うんですか!!」

 負けじとリナリアは大声を出した。

 アルカが怯んだ隙に早口でまくし立てる。


「私だって金も地位もない、ただ少し歌が上手いだけの孤児でした!! たった一年淑女教育を受けただけの元・平民が王妃になるなんて荷が重すぎますよ!! そもそも王妃の座に興味はないと言いましたよね!? ああもう、何回言えばいいんですか、私がなりたいのはアルカ様の妻なんです!! 他の男性なんて眼中にないんです!!」

 アルカの両手をがしっと掴み、顔を近づけて睨みつける。


「というわけで!! いい加減覚悟を決めて私と結婚しなさい!!」


「……、おかしいな。普通は男が女に言う台詞じゃねえかな、それ。しかも求婚されてるっていうより脅迫されてる気分なんだが……『結婚しないなら酷い目に遭わすぞテメエ』って語尾につきそうな……」

「はい、仰る通り酷い目に遭わせます!!」

「どんな目だよ!?」

 アルカがそう言った瞬間、リナリアはすぐそこにあったアルカの唇を自分の口で塞いだ。


「!!?」

 口づけに際して閉じていた目を開けると、アルカは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「どうですか。唇を奪ってやりましたよ」

 ふふんと笑う。


「……酷い目っていうか、これはむしろご褒美じゃねえか?」

 アルカは唖然としている。


「そうですか。でも、ウィルフレッド様の妻になったら私はウィルフレッド様とキスをすることになります。もちろんそれ以上のことも。あんなことやそんなことも」

「………………」

 想像したらしく、アルカの顔色が蒼くなった。


「あーあ。意気地のない誰かさんのせいで、私は将来ウィルフレッド様の子どもを産むことになるんでしょうかねー」

 リナリアは凍りついているアルカから顔を背けて深いため息をついた。独り言のように言う。


「私、アルルのこと女の子だと思ってたんですよねー。もし女の子が生まれたら、ウィルフレッド様にお願いしてアルルっていう名前をつけさせてもらおうかなー。第二のアルルとしてめいっぱい可愛がるんだー」


「わかった。おれが悪かった。頼むから止めてくれ」

 早々に白旗をあげて、アルカはリナリアを抱きしめた。少々苦しくなるほどの力で。


(勝ったわ)

 抱きしめられたまま、リナリアは密かに強く拳を握った。


「では、アルカ様。私に言うべきことを言ってください」

 にっこり微笑む。


「……こっちに来てくれ」

 アルカはリナリアの手を引いて立ち上がった。

 ソファから少し離れ、リナリアの前で片膝をつき、跪く。


(え? あれ? 別にそこまでしてくれとは――)


「リナリア・バークレイン。愛している。どうかおれの妻になってくれ」


 これ以上ないほどの真剣な顔でそう言って、アルカはリナリアの左手を取り、手の甲に口づけを落とした。


「……!!」

 目頭が熱くなる。

 胸は甘く痺れ、身体は歓喜に震えた。


(やっと言ってくれた)

 これこそ、リナリアが待ち望んでいた言葉だ。


「……はい。喜んで」

 泣きながら微笑むと、アルカは安堵したように笑って立ち上がった。


 自然と二人、手を伸ばして抱き合う。

 リナリアは彼の胸に濡れた眦を押し付けて言った。


「建国祭では私と一緒にダンスを踊ってくださいますね?」

「ああ。腹を括った。後で説教を喰らうのは覚悟の上で、大暴れしてやろう」


 リナリアたちは笑い合った。

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