46:初めまして、お父さんです

「おお……冗談のつもりだったのに、結婚する気満々か……イスカ様も否定しないし……やっぱり俺って邪魔?」

「そんなことありませんよイザーク様、どうかこのまま居てください。ところで、いま『父上』と言われませんでしたか? まだお目通りは叶っていませんが、やっぱりジョシュア様も陰で私たちのために頑張ってくださったんですね。早くお会いして直接お礼を言いたいです」

 胸の前で手を合わせ、まだ見ぬ養父の姿を想像しながら微笑むと。


「――と言っていますが、父上?」

 イザークは壁際に目をやって言った。

 つられて右手を見るが、そこには本棚と壁があるだけだ。


「デイジーの企みに加担し、悪事に手を染めた者たちは片っ端から捕まえて牢に入れました。現体制に不満を持ち、密かにデイジーの企みを後押しした貴族たちも尋問中。一連の事件はもはや解決したも同然です。そろそろ正体を明かしても良いのではないでしょうか?」

「あの、イザーク様、誰と会話を――」


「――そうですね。もう私が陰から守る必要はないでしょう」

 少年の高い声で返答があった。


 本棚の前の空間がぐにゃりと歪み、お仕着せを着たアンバーが姿を現した。

 驚いている間に、アンバーはにこりと微笑んだ。


 もう一度ぐにゃりと空間が歪み、アンバーの姿も歪む。

 次に空間が正常な姿を取り戻したとき、そこにいたのはアンバーではなく、大人の色気漂う中年男性だった。


 金色の髪。琥珀色の目。きりりと引き締まった精悍な顔立ち。


「この姿では初めましてだな、リナリア」

 美しい中年男性は、美しいバリトンボイスでそう言った。


「……アンバーの正体はお父さまだったのですか! 初めまして、リナリアです!!」

 リナリアは唖然とした後で立ち上がり、頭を下げた。予期せぬ事態に心臓がバクバク音を立てている。


(道理で、イザーク様以上に魔法に長けているわけだわ! ジョシュア様はこの国の魔法使いの頂点に立つ宮廷魔導師団長なのだもの!!)


「おれも本来の姿のジョシュアに会うのは初めてだな」

 慌てふためくリナリアを見て、イスカは笑いながら立ち上がった。どうやら彼はアンバーの正体を知らされていたらしい。


「ジョシュア・バークレインだ」

 それぞれ挨拶を済ませてから、ジョシュアはイザークの隣に座った。リナリアたちも着席する。


「うむ。娘の淹れた紅茶は格別だな」

 リナリアが淹れた紅茶を一口飲み、ジョシュアは満足そうに頷いた。恐縮です、とリナリアははにかんだ。


「さて。昼間の茶番劇は思惑通りデイジーの名誉を失墜させた。よくやったと言いたいところだが、その代償に大貴族たちの機嫌を損ねた。これ以上の騒ぎを起こすとセレン王子の立場が悪くなるぞ、イスカ」

 ジョシュアはティーカップに入った紅茶と似た琥珀色の瞳でイスカを見つめた。


「わかってる。あとはおとなしくセレンを演じるつもりだ……それはいいとして、なんでセレンには敬称をつけるのにおれには敬称をつけないんだよ。前から思ってたんだが、ジョシュアはおれに敬語を使わないよな。誰もが崇める宮廷魔導師団長様にとっては、金も地位もない名無しの王子なんて敬意を払うに値しないと?」

 どうやらイスカは以前言われたことを少々根に持っているらしい。拗ねたような言い方だった。


「将来君は娘の夫になるのだろう? ならば、少し気が早いが君は私の義理の息子だ。息子扱いが嫌だというのなら態度を改め、王子としてきちんと敬うが」

「……息子……」

 イスカは当惑したように呟いた。思ってもみなかった言葉だったらしい。


「……いや。そういうことなら……突っかかって悪かった。そのままでいい」

 イスカは俯き、小さな声でそう言った。


 傍らでやり取りを見ていたリナリアは、胸が締め付けられる思いだった。

 イスカは多分、父親に――テオドシウスに息子として愛されたことがない。


(後でジョシュア様に思いっきりイスカ様を甘やかしていただくようお願いしよう)

 密かに決めつつ、リナリアは切り出した。


「ところで。事件は解決したように思えますが、まだ一つ大きな謎が残っていますよね。結局、誰がイスカ様を魔物に変えて森へ追放したのでしょうか。クロエはこの国にもう一人王子がいることを知らないようでしたし、デイジーもイスカ様のことについては全く触れませんでした。犯人はきっとデイジーではありません」


 あの後、デイジーに捨てられたクロエはヴィネッタが公爵邸に連れ帰ることになった。


 魂が抜けたような顔でぼうっと突っ立っていたクロエはヴィネッタの申し出に驚き、困惑していたが、結局「お世話になります」と頭を下げた。


 ヴィネッタが面倒を見てくれると言うのなら安心だ。

 公爵邸は春の陽だまりのように温かい。顔に傷跡があるからとクロエを気味悪がったり、意地悪をするような人間など一人もいないと断言できる。


「ああ、そういえば、誰の仕業なんだろうな。エルザの推測通りロアンヌだったのか、違うのか……気にはなるが、おれは正直、もうどうでも良いかなと思い始めてる」

「いやいや、駄目でしょう!? どうでも良くないですよ、魔物に変えられたんですよ!? 一年も森をさまよったんですよ!? 辛かったでしょう!? 苦しかったでしょう!?」

 勢い良く首を回し、イスカに顔を向ける。


「でも、おかげでリナリアに会えたし、ジョシュアたちにも会えた」

 イスカは手を伸ばしてリナリアの肩を掴み、引き寄せた。

 抱き寄せられたことで、また心臓が騒ぎ出す。


「最初の頃は魔物に変えた犯人を恨みもしたが、いまはむしろ感謝してるくらいだ。王宮の地下で幽閉されてたときは朝が来るのが憂鬱だった。朝が来るたび、代わり映えのしない鉄格子と石壁を見てはため息をついたよ。だが、いまは笑って朝を迎えることができる。毎日が楽しみなんだ。お前たちと会えて本当に良かった」

「イスカ様……」

 目頭が熱くなった。


「それは光栄だが、それはそれ、これはこれだ。未来の息子を酷い目に遭わせた犯人には報いを受けさせねば気が済まん」

 淡々と言って、ジョシュアはリナリアを見つめた。


「犯人を突き止めたらどうする?」

「とりあえず半殺しで」

「異議なし」

「決まりだな」

 即決し、三人で頷き合っていると、イスカが噴き出した。


「『とりあえず』で人を半殺しにするなよ。半殺しって、どういう意味かわかってるのか? ほとんど死ぬ、それくらい酷く痛めつけるってことだぞ?」

「いえ、イスカ様を魔物にしたのですから、それくらいの報いは受けてもらわなければ困ります」

「全くだ」

 首肯するジョシュアを見て、イスカは少々困ったように、それでも本当に嬉しそうに笑った。

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