15:アルルが逃げ回る理由

 それから三日後の昼下がり、バークレイン公爵邸ではちょっとした騒ぎが起きていた。


「客室に逃げたわ! 捕まえて!!」 

「「はいっ、お嬢様!!」」

 虫取り網や籠を持ったメイドたちが一階の客室に突撃していく。

 遅れて到着すると、明るい陽光が差し込む豪奢な客室の中には逃げ回るイスカがいた。


 メイドの中には魔法を使って捕獲しようとしている者もいるのだが、イスカは本棚を蹴り、空中で身体を捻り、壁を蹴って宙を飛び、さらにまた壁を蹴って高く飛び、次々と自分に向かって飛んでくる籠や網や魔法を回避している。


 実に素晴らしい反射神経と運動能力だ。リナリアは胸中で唸った。サーカスに入れば脚光を浴びられるのではないだろうか。そんなことを考えて、不敬だと打ち消す。


「あらあらまあまあ」

 縦横無尽に部屋を駆け、とにかくひたすら逃げ回るイスカを見て、ヴィネッタは苦笑している。


「そこですっ!」

 イスカめがけてメイドが虫取り網を振り下ろす。

 それをイスカが間一髪で回避した結果、虫取り網に当たって花瓶が倒れ、床に落ちた。

 哀れな音を立てて花瓶が割れ、花と水がカーペットに散らばる。


「ああもう、イスカ様!! どうしてそのように逃げ回るのですか!! 我がバークレイン家はこの度あなたのために全力を尽くしました! お父様はご多忙の中、時間を割いて超一流の解呪魔法の使い手を探し出し! お兄様は休暇を取り、わざわざ長距離転移魔法で連れてきてくださったのですよ!? 解呪の準備はすっかり整っています! あとはあなたが魔法陣の中に入るだけだというのに、一体何が不満だというのです!? まさか一生、魔物の姿のままでいたいと仰るの!?」


 ガシャーン。パリーン!

 盛大に部屋中を引っ掻き回され――いや、物を壊しているのはイスカではなく、メイドたちが振り回す籠や魔法のせいなのだが――苛立ったようにエルザが叫ぶ。


 彼女が今日着ているのは華やかな黄色のドレスだ。

 大胆に開いたデコルテに添えられたレースがなんとも美しく、胸元では涙滴型の宝石が煌いている。


 自宅にいながら着飾っているのはイスカのためだろう。公爵令嬢としての矜持だ。


「これはこれは。派手にやってるなあ」

 部屋の入り口からひょこっと姿を現したのは、イザーク・バークレイン。二十二歳。


 燃えるような赤い髪と赤い目。

 涼やかな目元に、大勢の淑女を虜にしてきたであろう秀麗な顔立ち。

 彼はその長身に宮廷魔導師しか着用を許されない深紅のローブを羽織っている。


「感心している場合ではありませんわ、お兄様! わたくしよりもお兄様のほうが魔法に長けておられますでしょう!? なんとかしてくださいませ! このままでは公爵邸が滅茶苦茶になってしまいます!」


 パリン! ガシャン!! ドーンっ!!


「いや、俺も何故ああも頑なに王子が解呪を拒むのか不思議だったんだ。魔物の表情なんてわからないけれど、解呪魔法の使い手を紹介したとき、王子の目は輝いて見えたからな。それがどうして、いざ呪いが解ける段階になると逃げ出したのか――でも、考えてみたら理由は明白だった。王子の立場になってみればわかることだ。俺でも全力で逃げる。きっとお前もだ。間違いない」

「何故ですの? もったいぶらないで理由を仰ってくださいませ」

 エルザは形の良い眉をひそめた。

 リナリアもエルザの隣でイザークを見上げた。ヴィネッタも息子を見ている。


「王子は耳飾り以外、何も身に着けていない。その状態で魔法陣に入り、見守る皆の前で呪いが解けたらどうなる?」


「…………っ!!」

 エルザとリナリアは顔を真っ赤にした。

 メイドたちが顔を見合わせ、手にした獲物を下ろし、発動寸前だった魔法を消す。


 半壊した壺の上にいたイスカが、『やっとわかってくれた……』とでもいうように、ぐったりした様子で突っ伏し、長い耳を垂らした。

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