16:人間に戻った王子様
イスカの呪いが解けるまで、女性陣は居間で待機することになった。
イザークが解呪魔法の使い手と共に別室に残ったのは、万が一の事故に対応するためだ。彼は魔導士ではなく魔導『師』の称号を持つ魔法の専門家。魔法に関して、これほど心強い人間はいない。
(いつ呪いが解けるのかしら)
ヴィネッタとエルザの向かいのソファに座り、リナリアはそわそわしていた。
テーブルには紅茶やお菓子が用意されているが、手を付ける気になれない。
エルザはイスカの人間時の姿を知っている――正確には想像がつくらしい。
フルーベル王国には、嫁入り前の淑女を貴婦人の元で花嫁修業させる風習がある。
三年前、当時十五歳だったエルザは王宮に上がり、第二王妃ロアンヌに仕えたそうだ。
三か月が経ち、王宮勤めにも慣れた頃。
皆が寝静まった深夜、寝付けず散歩していたエルザは王宮の庭園で世にも美しい少年を見たのだと言う。
抜けるような白い肌。月光を受けて輝く雪色の髪。その瞳はサファイア。
「月光の使者。あるいは神に遣わされた天使――あまりにも彼が美しすぎて、わたくしは本気でそう思いましたのよ」
脳髄が痺れるような衝撃を受け、動けずにいたエルザに彼は近づき、柔らかく微笑んだ。
――初めまして。私はセレン・フレーナ・フルーベル。貴女の名前を聞いてもいいですか?
翌朝、エルザはロアンヌの前に跪き、セレンに仕えたいと訴えた。
エルザの再三にわたる訴えをロアンヌが聞き入れたのは実に半年後のことだった。
誠心誠意仕えるエルザに心を許してくれたらしく、仕え始めた一年後、ベッドに横たわるセレンはとっておきの秘密を打ち明けてくれた。
絶対に誰にも言わないでね、君を信用したから話すんだよ、と前置きして。
――私には双子の弟がいるんだ。君と出会ったあの日の夜は久しぶりに体調が良かったから、人目を忍んで、こっそり弟に会いに行っていたんだよ。
「セレン王子は弟は自分に良く似ていると仰っていましたわ。入れ替わってもきっと誰も気づかないくらいにそっくりだ、と。いまのうちに覚悟したほうが良くってよ。絶世の美女ならぬ絶世の美男と対面することになるのですから」
「…………」
リナリアは膝の上でぎゅっと手を握った。
(私はそんな美青年を抱きしめ、撫で回してしまったの……?)
イスカにした数々の行為を思い出し、顔から血の気が引いていく。
恥ずかしさのあまり逃げたくなった。
「無事呪いが解けたぞ」
イザークの声が聞こえて、どきーん!! と心臓が跳ねた。
心臓はそのまま暴れ始め、身体中から汗が噴き出る。
「まあ! なんてことなの、本当にセレン王子にそっくりだわ!!」
エルザが感動した様子で立ち上がり、ヴィネッタと共に廊下に出ていった。
挨拶を交わす声が聞こえる。
リナリアはそちらを見る勇気が出せず、俯いていた。
やがて、皆が部屋の中へと入ってきた。
足音が近づくにつれ、リナリアの心臓はますます音を大きくした。
「なんで俯いてるんだ?」
知らない声が――低く透き通った男性の声が聞こえて、リナリアはびくっと肩を震わせた。
ヴィネッタたち三人は並んで向かいのソファに座ったが、紺色の脚衣を着用したその何者かは、リナリアの傍に立った。
すぐ隣に立たれては、もう無視を貫き通すことはできない。
どっ、どっ、どっ、どっ――
激しい鼓動の音を聞きながら、リナリアは意を決して顔を上げた。
そして、ひと目見て、絶句。
艶やかな白銀の髪。夏空をそのまま切り取ったかのような、深い青の瞳。
身に纏うのは上等な上着と紺色の脚衣、茶色の靴。
サイズが微妙に合っていないのは仕方ないところだろう。
神が自らその手で作ったとしか思えないほどの――非現実的なまでに美しい、芸術品のような青年がそこにいた。
彼の左手首には赤い宝石のついた腕輪が嵌められている。
身体の形状変化に伴い、耳飾りは腕輪へと変わったらしい。
「感想は?」
左の腰に手を当て、どこか悪戯っぽい眼差しでイスカがリナリアを見つめる。
リナリアはイスカを優雅で上品な紳士だと思っていた。
エルザに聞いたセレンはまさに『絵本の中に出てくるような王子様』だったから、きっとイスカもそうだろう、と。
しかし、こちらに向けられた表情を見る限り、どうやらイスカは想像とは全く違う性格だったらしい。
「なんだよ。おれと喋りたい、話したいことがたくさんあるって言ったくせに、なんで黙ってんだよ。なあ、せっかく人間に戻れたんだぞ、感想は? 格好良いとか、逆に期待外れとか、想像と違うとか、とにかくなんでもいいから何か言えよ。おれだけ浮かれて馬鹿みたいじゃねえか」
固まっているリナリアに焦れたらしく、イスカは腰から手を離し、どかっと腰を下ろした。
遠慮なく、リナリアの隣に。
距離の近さにまた心臓が余計な音を立てる。
「おーい? 貴女のアルルですよー? なーんて」
反応をどうにか引き出したいらしく、つんつん、とイスカが人差し指でリナリアの頬を軽く
肉球でリナリアの頬を叩いたウサギ型の魔物と、彼の印象がぴたりと重なった。
絶望的な気分で理解する。やはり彼はアルル――イスカなのだ。
(わ、私はこんな美しい人を抱きしめ、撫で回して、キスをして、はっ、裸を……裸を見せっ……)
身体がぶるぶる震える。できることなら気絶して、全てを無かったことにしてしまいたい。
「……か、格好良いです。あなたほど美しい方はこの世に存在しません、イスカ様。あなたが一番です」
「ありがとう」
イスカは嬉しそうに笑った。
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