21:聖女の覚醒
「…………」
イスカは口を閉じた。
じわじわと顔を赤くして、嬉しそうな――それでいて、どこか寂しそうな笑顔を浮かべる。
(あ)
悟る。口では結婚したいと言いつつも、イスカが本気で自分と共にいるつもりはないことを。
彼は一人で兄のいる王宮に行ってしまうことを。
そして、そのまま戻ってこないつもりであることを――
「……ありがとう。本当に嬉しかった」
イスカはまたリナリアを抱きしめた。
イスカの身体は温かい。
ずっとこのまま彼の腕の中にいたいとさえ思ってしまう。
だが、いまイスカの頭を占めているのは自分ではない。
双子の兄の問題が解決しない限り、イスカは恋愛などとてもできる心理状態ではないのだ。
彼の腕の中でリナリアは目を閉じた。
泣くなと言われたばかりなのに、涙の衝動が込み上げてくるのを、奥歯を噛み締めて耐える。
(どうして私は《花冠の聖女》じゃないの……女神様。先ほど私は愚かにも自分を卑下し、聖女の器ではないと否定してしまいましたが、どうか私の過ちをお許しください。お願いします。私に《光の花》の紋章をください。私にイスカ様を救う力をお与えください)
心の底から願った。
叶うことならイスカを抱き返したいが、自分にその資格はない。
イスカの力になれない自分には。やがて置き去りにされる自分には。
「なあリナリア、子守唄を歌ってくれないか」
数秒して抱擁を解き、イスカは落ち着いた声音でリナリアにそう頼んだ。
「子守唄、というと……王都の宿で歌った曲でしょうか」
「ああ。お前と知り合って一年、色んな曲を聞いてきたが、あの歌は凄く良かった。不思議とぐっすり眠れたしな。魔物に姿を変えられてから安眠できたのは初めてで、自分でも驚いたんだ」
「では……」
リナリアは立ち上がり、歌い始めた。
目を閉じたイスカの美しい顔を見下ろしながら考える。
(あのときはただただ、アルルの――イスカ様のために歌ったのよね。安らかな気持ちで眠って欲しいという願いを込めて。願い……心……)
――一つ助言をしてあげよう。歌はあくまで手段であり媒体に過ぎない。何よりも大事なのは心だ。
《予言の聖女》だったらしいカミラの――いや、イレーネの言葉を思い出す。
《花冠の聖女》が力を発現する源は歌ではなく、聖女自身の心だというのならば。
(もしかして――)
脳裏に閃くものがあった。
さきほどリナリアは歌いながら花瓶の花に『咲け』と強く念じた。
他人に命じられて喜ぶ人間はいない。
むしろ『なんだコイツ、偉そうに命令しやがって』と苛立ち、反抗心を抱くだけだろう。
(それは植物も同じなのではないかしら)
本当に『咲いて欲しい』と思うのなら、心を込めて、真摯に『お願い』するべきだったのではないだろうか。相手が口も利けない植物だからと侮って、傲慢に命令するなど、とても聖女のやることではない。
リナリアは子守歌を歌いながら、テーブルの上にある小さな花瓶を見つめた。
花瓶には三本の花が活けられている。
そのうちの一輪、黄色い花はまだ蕾だった。
(お願い。咲いて。どうか、お願い……!!)
――そして、奇跡は起きた。
黄色の蕾がほころび、すっかり開いたのだ。
同時、リナリアの左手の甲がほのかに熱を帯びた。
見れば、左手の甲に六枚の花びらを持った花の紋章がくっきりと浮かび上がり、神秘的な金色の光を放っているではないか。
これは《光の花》――《光の樹》が一年に一度だけ咲かせる奇跡の花と同じだった。
「ええええええええええ!?」
リナリアはびっくり仰天し、自分の左手を見つめて大声を上げた。
心の底から奇跡を願ったものの、いざ現実に起こるとすんなり受け入れられるはずもなかった。
「なんだ!? どうした!?」
目を閉じて子守唄に聞き入っていたイスカはびくっと肩を震わせ、弾かれたように立ち上がった。
リナリアは左手を裏返し、彼の目前に《光の花》の紋章が浮かぶ手の甲を突きつけた。
ついでに空いた右手で花瓶を指さし、言う。
「あの花瓶の黄色の花!! さっきまで蕾だったんです!!」
イスカはまだ現実が飲み込めていないらしく、目をぱちくりしながら花瓶とリナリアの左手の甲を交互に見た。
「……お前ほんとに《花冠の聖女》だったのかよ!!」
少しして、イスカが叫んだ。
驚愕と歓喜が入り混じったようなその顔は、リナリアが初めて見る表情だった。ついでに言うなら、こんな風に叫ぶところも初めて見る。
「そうみたいです。自分でもびっくりしたんですけども」
言い終わるよりも早くイスカはリナリアの左手を掴み、じっと手の甲を見つめた。
「……お前が《花冠の聖女》なら……《光の樹》を蘇らせることができるのか?」
イスカの眼差しは真剣だ。
「……わかりません。ですが、努力します」
リナリアの真摯な返答を受けて、イスカは悩むように目を伏せた。
決断を待っていると、イスカはついに顔を上げて言った。
「リナリア。おれと一緒に王宮に行ってくれないか。おれは」
「もちろんです!」
イスカの台詞を遮り、張り切って頷く。リナリアはその言葉を待っていたのだ。
危険かもしれないとか何があるかわからないとか、そんなことはどうでも良い。
(これからもイスカ様と共にいられる!)
リナリアにとっては、それが一番大事なことだった。
「たとえこの先どんな困難が待ち受けていようと、二人でセレン様をお助けしましょう。絶対に」
微笑むと、イスカはなんだか泣きそうな顔をし、再び両手を伸ばしてきた。
あっと思う暇もなく、リナリアはイスカの腕の中に閉じ込められた。
「おれたちの救いの女神になってくれるか?」
イスカはさっきよりも強くリナリアを抱きしめた。
「はい。必ず!」
(もう自分を卑下して謙遜するのはやめた! できないかもしれないなんて弱音は吐いてられない! イスカ様のためなら聖女でも女神でも、何にでもなってやるわ!!)
決意を込めて、リナリアはイスカを抱き返した。
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