29:二人だけの秘密の言葉
「セレン王子!?」
「馬鹿な! 何の支えもなく自力で立ち、歩いておられるぞ!?」
「これは夢か?」
病床に伏しているはずの第一王子――としか思えないほど良く似ている人物――の出現に大臣たちが騒いでいる。
「セレン? 何故ここに……歩いて平気なのか?」
テオドシウスは榛色の目を見張った。
実の父親だというのに、息子が入れ替わったことに全く気付いていないらしい。
(いくら似てるからって、本当にそっくりそのまま同じなわけがないのに。国王様は息子の顔も覚えていないのね……)
入れ替わりに気づかれたら一巻の終わりだとはわかってはいるが、それでも、リナリアの胸中は複雑だった。
「はい、父上。この通りでございます」
玉座の前に立ったイスカは左胸に手を当て、一礼してみせた。
ジョシュアの計らいにより、イスカは《変声器》と呼ばれる魔道具を身に着けているため、その声はセレンそのものだ。
声を変えられる持続時間は魔道具に込められた魔力が尽きるまで。しかし、膨大な魔力の持ち主であるイスカは絶えず魔力を供給し続けることができる。制限時間は実質、無いに等しい。
「謁見の許可を得ていないにも関わらず、この場に足を踏み入れた無礼をお許しください。この世のものとは思えぬほどに美しい歌声に導かれ、気づけばここに来ておりました。不思議なことに、あの歌声を聞いて私の身体はすっかり回復したようです」
「なんと。当代の《花冠の聖女》の歌声には瀕死の王子を蘇らせる力まであったのか。まるで《治癒の聖女》ではないか」
「見よ、セレン王子の健康的な顔色を。以前は死人のようであったのに……まさしく奇跡だ」
大臣たちが口々に囁いている。
「その話は誠か、セレン。《花冠の聖女》の歌声がどんな薬でも治せなかったお前の身体を治したと?」
「はい。是非感謝を述べたいのですが、歌い手は貴女でしょうか?」
イスカはリナリアを見つめた。
「僭越ながら、いかにも」
リナリアは立ち上がり、身体をイスカに向けてカーテシーを行った。
「さきほど歌いましたのは私でございます、セレン王子殿下。お初にお目にかかります。リナリア・バークレインと申します」
「なんと美しい声だ。君の声はまるでヒバリのようだね」
(すごいっ、完璧になりきってる!!)
セレンそのままに微笑んでみせたイスカを見て、リナリアは驚嘆した。
「私はセレン・フレーナ・フルーベル。素晴らしい歌と奇跡をありがとう、リナリア」
イスカは恭しく跪いてリナリアの左手を取り、《光の花》の紋様が浮かぶその手の甲にキスを落とした。
ステンドグラスを通して降り注ぐ光が、幻想的なまでに煌びやかに、けれど優しく二人を照らし出している。
頭を垂れて跪く王子と、左手にキスを受ける聖女。
大臣たちは絵画の如きその光景に見惚れていたが、当人たちは笑いそうなのを必死で堪えていたりした。
その証拠に、よく見ればイスカの唇は微かに引き攣っている。
「父上。この場を借りてお尋ねしたいことがございます」
キスを終え、イスカとリナリアは玉座に身体を向けて跪いた。
「なんだ。申せ」
「私は半年ほど前から薬の供給を絶たれておりました。これは父上のご決断でしょうか」
大臣たちがざわついた。
それが何を意味するのか瞬時に悟ったのだろう、ウィルフレッドは絶句している。
「どういうことだ。余は知らぬぞ」
テオドシウスは怪訝そうに片眉を上げた。
しらを切っているのか、本当に知らないのか。表情だけでは判断がつかない。
「父上の手配ではないのだとしたら――恐らくこの場にいる何者かの謀略でしょう」
大臣たちのざわめきが大きくなった。
「それが本当ならば恐ろしいことですわ。陛下。誰がセレン王子の命を狙ったのか直ちに調査し、犯人に厳罰を与えるべきです」
青ざめた顔でロアンヌが言う。
「無論だ。至急騎士たちに調べさせる」
「ありがとうございます。しかし、このままでは不安で夜も眠れません」
イスカは憂い顔で目を伏せた。セレンそっくりの仕草だった。
「十七年もの間、辛く苦しい発作に耐え抜き、いまようやく聖女の奇跡を得て健康体になったというのに、悪意ある何者かの
大勢の人間から見つめられたイザークは無言で頭を下げた。
ジョシュアは「口が堅くて信頼のおける優秀な人間をイスカの護衛につける」と言っていたが、そこで白羽の矢が立ったのがイザークだ。
イザーク本人は「命を狙われてる王子の護衛とか骨が折れるし、超絶面倒なことになる予感しかしないんですけど……護衛なら俺よりもっと腕の立つ他の人にお願いして欲しいんですけど……」とぼやいていたが、泣き真似をするエルザを見て黙った。なんだかんだ言っても、彼は妹に弱い。
「騎士ではなく宮廷魔導師であるイザークを護衛とするのか?」
「はい。二年もの間、私の侍女として仕えてくれたエルザから剣術にも魔術にも優れた天才の兄の話はかねがね聞いておりました。エルザは私に心から尽くし、陰から薬を供給し、今日まで無事生き長らえさせてくれました。エルザの兄ならば、私も全幅の信頼を寄せることができます」
「待て。いま、陰から薬を供給したと言わなかったか」
テオドシウスはエルザを見つめた。
「はい。命綱である薬を絶たれ、王宮の隅でひっそり息を引き取るはずだった私の運命を覆してくれたのは、エルザ・バークレイン。彼女です」
兄がそうしたように、エルザは無言で頭を下げた。
「エルザ。何故セレンを助けたのだ」
「答えは単純でございます、陛下。セレン様をお慕い申し上げているからですわ」
臆さず言い切ったエルザを見て、大臣たちがどよめく。
「父上。私は命の恩人であるエルザに深く感謝しております。また、エルザを心から愛しております。これからの私の働きを認めてくださった暁には、彼女と結婚させていただきたい。もはや彼女以外を妃として迎えることなど考えられません」
ずきりと胸が痛んだ。
セレンとしての演技だとわかっていても、好きな相手の口からはなるべく聞きたくない言葉だ。
(あ)
イスカの左手――軽く握られた手の親指と人差し指が素早く二回、合わさった。
これは事前にイスカが決めていた動作だ。
――セレンを演じる以上はエルザを愛しているフリをするけど、あくまでフリだからな。おれが真実愛しているのはお前だけだ。
一足先に王宮に向かう直前、イスカが自分を抱きしめて言った言葉を思い出し、たちまち胸の痛みが消え去った。
(私を愛していると、確かにイスカ様はあのときそう言ったわ。そしていまもそう伝えてくれている。私だけしか知らない秘密の
リナリアは緩みそうになった頰を慌てて引き締めた。
「……ふむ……」
頭を下げたイスカを見て、テオドシウスは考えるように唸った。
玉座の斜め下から、黒髪緑目の宰相アーカム・フォニスがテオドシウスの横顔を見つめている。
「よかろう。イザークをお前の専属護衛とし、今後一年のお前の働き次第ではエルザとの結婚を認める」
国王の宣言に、大臣たちから驚きの声が上がった。
「ありがとうございます」
エルザの横顔は喜びに満ち、イスカは深々と頭を垂れた。
その一方で、ロアンヌが不意に菫色の双眸を高座の下にいる何者かに向けた。
反射的に視線を追うと、大臣たちに混ざって立っているのはロアンヌの兄。メイナード・シラー侯爵。
短く切り揃えた金髪。凍てついた冬の湖面を思わせる青い瞳。
精悍な顔立ちをした彼は国王の側近。
エリート官僚である書記官の中でも、彼は筆頭書記官としてテオドシウスに重宝されていた。
その影響力は強く、王宮内にメイナードの息がかかった者は多い。
(……もしかしてイスカ様を魔物に変え、セレン様の薬を絶ったのは……)
まだそうと決まったわけではないが、要注意人物として、リナリアは彼の名前を心に刻んだ。
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