19:王子様の無理難題

 夕食を終え、約束通りにリナリアは大広間で歌った。

 大広間にはバークレイン一家はもちろん、住み込みで働くメイドや庭師たちも集まった。


 久しぶりに大勢の前で歌を披露することになり、緊張しながら歌ったのだが、観衆の反応は劇的だった。


 口と目を丸くする者、感極まって泣き出す者。

 目を閉じて聞き入る者、歌に合わせて無言で身体を揺らす者。


 歌い終わったリナリアは拍手の洪水に包まれ、リクエストに応じてそのまま三曲ほど歌うことになった。


 ヴィネッタはリナリアの両手を握り締め、涙ながらに絶賛。

 イザークは「いますぐ歌劇場へ行くべきだ。どんな歌い手も君の前では羞恥に跪くだろう」と興奮気味に言った。


 使用人たちもリナリアを褒め称えてくれた。

 中には「公爵邸に勤めていて良かった、あなたの歌が聞けて良かった」と言ってくれた者もいた。


 全員から讃えられて、リナリアはもちろん嬉しかった。

 過剰ともいえる誉め言葉に何度も頭を下げた。


 でも、やはり。

 歌いながら強く『開け』と念じていたにも関わらず、大広間の花瓶に飾られた花の蕾が開くことはなく――その事実に落胆したのだった。

 



 ミストロークの街に真夜中を告げる鐘が鳴り響く。

 リナリアは二階の客室で荘厳な鐘の音を聞いていた。

 天鵞絨張りの長椅子に、美しい彫刻が施されたテーブル。

 花の模様の壁紙に、花の形を模したシャンデリア。


 ここが女性用の客室であることは一目で知れた。

 自分が使うにはもったいないくらいの素敵な部屋だが、ヴィネッタはリナリアにこの部屋を使う許可をくれた。貴女は娘の恩人だから、いつまででも居てくれて良いと。


 鐘が鳴り終わる前に、リナリアはドアノブを掴んで部屋を出た。

 階段を下り切ったところで偶然ユマと会った。


「リナリア様。夜遅くに、どうされましたか?」

「イスカ様とお話がしたいのです」

「でしたら居間へお行きください。さきほどイザーク様と会話されているのを見かけました」

「ありがとうございます」

 礼を言って、リナリアは居間へ向かった。

 ユマの言葉通り、居間にはイザークとイスカがいた。

 二人の前には紅茶が置いてあるが、中身は減っていないようだ。


「だから、いくら言われても無理なものは無理ですよ王子」

「ならお前はエルザが同じ目に遭っていても許せるのか?」

「それは……」

 テーブルを挟んで向かい合い、何やら真剣な様子で話し合っていた二人は、リナリアを見るなり会話を打ち切った。


「どうぞ」

 イザークはリナリアに席を譲って立ち上がった。


「いえ、お二人の会話を邪魔するつもりは……」

「俺は空気が読める男なんだよ」

 ぱちんとウィンクして、イザークは退室した。

 扉が閉まる音。


「……お邪魔でしたか?」

「いや。堂々巡りの不毛な会話だったからな。気にすることはねえよ。座れ」

 それが素らしく口調を変えて、イスカが着席を促した。


「失礼します」

 リナリアはイスカの向かいに座った。

 ソファの座面にはまだイザークの温もりが残っている。


 シャンデリアの明かりがイスカの整った顔に陰影を与えている。

 彼の顔には疲れがあった。疲れたような……諦めたような。失望したような。

 とにかく、あまり良くない感情だ。


「……イザーク様にまたお願いされていたのですか?」

「まあな。でもやっぱり駄目だとさ。当たり前だろうな。一国の王子を王宮から連れ出せなんて、自分で言ってて無茶だと思うよ」

 右手で額を押さえて、イスカは苦く笑った。


「…………」

 リナリアの歌が終わり、バークレイン一家を居間に集めたイスカが頭を下げてまで頼んだことはこうだ――『セレンを王宮から連れ出して保護してほしい』。


 それが無理難題なのはリナリアにもわかる。


 発覚すれば一族の首が飛ぶと知りながら、王子の誘拐に手を貸す者は誰もいないだろう。


 でも、なりふり構っていられないイスカの気持ちも痛いほどわかる。


 国王は国中から歌姫を募り、第二王子ウィルフレッドの妃選考会を開いた。


 公言こそしていないが、国王がウィルフレッドを王太子にし、セレンを切り捨てるつもりなのは明白だった。


 近いうちにセレンは病死を装って殺されるだろう。政務に耐えられないほど病弱で、金ばかり食う王子を生かしていたところで王宮には何の利益もない。


 か弱い命の炎が悪意ある誰かに吹き消されてしまう前に、イスカはなんとしてでも兄を助け出そうとしていた。


「……バークレイン家の協力を取りつけることができなければ……イスカ様はどうされるのですか?」

「三日経っても無理だったら、おれ一人で王宮に行ってセレンを攫う」


(無理よ……絶対に)

 ひやりとしたものが背中を突き抜けていった。


 王宮には宮廷魔導師団も騎士団もいる。

 いくらイスカが強くても多勢に無勢。

 たった一人で突撃したところで返り討ちに遭うのが目に見えている。


「約束したからな、あいつが死んだらおれも死ぬって。おれたちは一蓮托生なんだよ」

 イスカは笑っているが、リナリアはとても笑えない。


「……イスカ様の死をセレン様は望まれているのですか?」

 青ざめて問う。


「いや。昔そう言ったら、頼むから止めてくれと懇願されたよ」

「でしたら、どうか――」

「でも、これはおれが決めたことだから。あいつがいない世界なんて、生きる意味がない」


 イスカはリナリアの言葉を拒絶するように、きっぱりと言った。

 双子には想像もつかないほどの強い絆があるらしい。


 たとえリナリアが何を言おうとイスカは心を変えないだろう。

 イスカの眼差しには揺るぎがない。

 とうに覚悟を決めてしまっていた。


「……でも。私は……イスカ様に死んでほしくはありません」

「ありがとう。リナリアに会えて良かったよ。本当に」

 イスカは微笑んだ。

 まるで別れの言葉のようなことを言うものだから、リナリアの目に涙が浮かんだ。


「どうした。なんで泣くんだ」

 戸惑ったようにイスカが言う。


「……ごめんなさい、イスカ様。私が《花冠の聖女》でなくて」

 皆から《花冠の聖女》であることを期待されたのに。


 違うと否定しつつも、そんな器ではないと謙遜しながらも、リナリアも心の奥底で、ほんの少しだけ、自分に期待していたのに。


 リナリアの歌では花瓶の花を咲かせることはできなかった。

 部屋に戻って改めてみても、身体のどこかに《光の花》の紋章が浮かび上がっていることもなかった。


「もし私が《花冠の聖女》だったら、枯れたこの国の神樹を蘇らせることができたかもしれないのに……」


 神樹を蘇らせることができれば、二百年前の罪は許されたとして、この国の王家に双子の男児が生まれても問題はなくなる。


 イスカは誰の目を気にすることもなく、セレンと笑い合い、太陽の下で堂々と胸を張って生きることができるのに。


 リナリアでは駄目だった。

 リナリアはただ歌が上手いだけの少女でしかなかった。


(歌が上手いだけでは意味がないのに――)

 リナリアがイスカの力になることはできなかった。

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