34:続く受難と美少年

 緩やかな風の吹く夜の中庭に一人残ったリナリアは座ったまま足の具合を確かめた。


 裸足で全力疾走したせいで足の裏は傷つき、血が滲んでいる。


 少々痛いが、とにかく《光の樹》が無事だったのだから文句はない。


 左手の甲に浮かぶ《光の花》はさきほどのように明滅することなく光り続けている。《光の樹》の心が安定した証拠だろう。


(良かっ――)

 自分の右隣にある《光の樹》の芽を見下ろして微笑んだそのとき、視界の端で何かが光った。

 訝るよりも早く。


 ――バチィンッ!! 


 紙の束を床に叩きつけたような音が響き、視界全体が眩く光った。

 リナリアは反射的に身を竦めて目を閉じた。


(何!? 何が起きたの!?)

 数秒待ってから、恐る恐る目を開き……すぐにその目を見開く。


 背後の《光の樹》を庇うように、リナリアの右斜め前に美少年――艶やかな金髪に琥珀色の目を持つアンバーが立っていた。


 男性用のお仕着せを着用したアンバーは《百花の宮》につい最近配属されたばかりの侍従だ。年齢は十三。


 リナリアの周囲にはアンバーを中心とした球状の光の膜が展開されていた。


 リナリアと《光の樹》を丸ごと包む大きさの黄金に輝く光の膜には謎の文字や図形が浮かんでいる。

 イスカが受けていた魔法講座を興味本位で見ていたから知っている。


 これは防御魔法だ。


 それも、浮かぶ模様の複雑からして恐らく第一級相当の、超強力な。


 リナリアは思わず息を飲んだ。


 一瞬でこの規模と強度の防御魔法を展開したとなると、アンバーは只者ではない。もしかしたら、宮廷魔導『師』の称号を持つイザークよりも優れた魔法使いかもしれない。


「ご無事ですか? リナリア様」

 夜には目立つ防御魔法を解いてアンバーが振り返り、声変わりしていない少年特有の高い声で尋ねてきた。


「え……ええ。あなたは魔導士だったのね、アンバー。もしかして、ジョシュア様が内密につけてくださった陰の護衛というのはあなたなのかしら」


 ジョシュアは言っていたのだ。リナリアにはイザークに匹敵する優秀な護衛をつけると。ただし、それが誰かは内緒だと。


「はい。リナリア様がご登城されたときから、私は付かず離れず、一定の距離を保って陰から見守っておりました。あくまでただの侍従の一人として振る舞い、正体を明かすつもりはなかったのですが。緊急事態につき止むを得ませんでした。私が魔法を使えることはごく一部の人間しか知りません」

 何が言いたいのかを悟り、リナリアは頷いた。


「他言無用ということね、わかったわ。それで、一体何があったの?」

「遠距離から魔法で狙撃されました。私がとっさに防がなければ危なかった。敵はかなりの手練です」

 顔面から血の気が引いた。


 危なかったとは、つまり、アンバーがいなければ死んでいたということか。

 この伏魔殿には《花冠の聖女》の存在を良しとしない者がいる。


「ど、どうして私を狙うの? たとえ敵がロアンヌ様やメイナード様、いえ、もし彼女たち以外の王宮関係者だったとしても。《光の樹》は魔素マナを生み出す貴重な源泉なのよ? 少しでも考える頭があれば、《光の樹》が今後フルーベルに莫大な富と利益をもたらしてくれるということはわかるはず。仮に私自身が気に入らないのだとしても、《光の樹》を成長させた後で排除すべきなのに、理屈に合わないわ。さっきだって、何者かが直接芽を摘もうとした。意味がわからない。犯人は一体何がしたいの? もしかして、フルーベルの国力の増強を畏れた他国の工作員の仕業なの?」

 混乱する頭で、リナリアは思いつくままに喋った。


「落ち着いてください、リナリア様。敵が何者かわからない以上、その意図や動機を考えたところで時間の無駄です」

 アンバーは屈んでリナリアに視線を合わせた。まるで子どもにするように。


「深呼吸してください。はい、息を吐いて。吸って」

 言われるままリナリアは深呼吸した。

 ここにはイスカもイザークもおらず、アンバーしか縋れる人はいない。この状況で彼の言葉に逆らうことなどできるわけがなかった。


「……普通は逆ではないのかしら?」

 深呼吸した後でリナリアはどうでも良いことを聞いた。他に聞くべきことは山ほどあるはずなのだが、やはりまだ脳が混乱しているらしい。


「実は肺の中の空気を吐き切るほうが大事なんですよ。しっかり息を吐けば、その反動でたくさんの息を吸う。新しい空気が肺の中に入ってくると、全身の緊張状態が解かれ、前を向く気力が湧きます――なんて、そこまで劇的な効果は望めませんが。少しは楽になったでしょう?」

 アンバーは微笑んだ。

 リナリアは初めて見る彼の微笑みにきょとんとして、つられるように笑った。


「ええ。そうね、ありがとう」

「笑う気力が取り戻せたようで良かったです。では、真面目な話をしましょう」

 アンバーの表情から笑みが消える。リナリアも緩んだ頰を引き締めた。


「リナリア様。いましがたあなたを狙った不届き者は私が捕まえると約束しますので、命を狙われたことはイスカ様とイザーク様以外には言わないでください」

「えっ? 報告してはいけないの?」

「残念ながら、現状、この王宮内においてあなたの味方だと断言できるのはお二人だけです。国王に報告すればあなたには常時護衛がつくことになるでしょう。しかし、その護衛が味方であるとは限りません。笑顔であなたの寝首を搔くかもしれないのです。御身を守るためにも、周りは全員敵だと思った方が良い」

 厳しい眼差しと声で言われ、リナリアは青くなった。


「……わかったわ。私は、私を守ってくれたあなたを信じます」

「ありがとうございます。必ず信頼に応え――」


「リナリア様、ご無事ですか!?」


 アンバーの台詞に重なって、遠くから複数の足音と男性の声がした。

 ウィルフレッドがリナリアの身を案じて兵を呼んでくれたらしい。


「私は再び身を隠します。念のためこれを。破城槌すら防ぐ第一級防御魔法が刻まれた護符です。悪意を持った攻撃に対して自動で発動します」

 アンバーは一枚の護符をリナリアに手渡して走り去った。


「ああ良かった、ご無事のようですね! 《光の樹》は!?」

「大丈夫です。樹も私も無事です」

 息を切らして駆け付けた兵士たちを見上げ、リナリアは護符を握り締めて頷いた。

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