42:次の婚約者は?

「ウィルフレッド様!?」

 どよめきと悲鳴が上がる。


 彼の近くにいた騎士サリオンが素早く駆け寄ってウィルフレッドを抱き起こす。

 しかし、ウィルフレッドは口から赤黒い液体を零したままぐったりとして動かない。


「毒を盛られたのか!?」

「そんな、一体誰が!?」

 ウィルフレッドに酒杯を渡した給仕が騎士に拘束されている。

 給仕は目に涙を浮かべて震えているが、素晴らしい演技だ。


 国王と王子、会場にいる騎士たちとウィルフレッドに酒杯を渡す役の給仕には予め事情を話していた。イザークとヴィネッタも知っているため、招かれた貴族のうち、彼らだけがさほど動揺を見せなかった。


「……陛下。ウィルフレッド様の脈がありません。即効性の強力な毒だったようです。恐らくは瞬時に死を与える魔法薬の類でしょう。残念ですが……」

 ウィルフレッドの首筋に手を当てたサリオンは沈痛な面持ちで言った。


「嘘よ!! ちゃんと確かめて!!」

 酒杯を落とし、絹を裂くような悲鳴を上げたのはデイジー。

 彼女は涙目でウィルフレッドに駆け寄ろうとしたが、騎士たちに引き止められた。


 半狂乱で騎士たちと揉み合いをしていた彼女は、はっとしたようにイスカを見た。

 イスカは倒れたウィルフレッドを見下ろし、薄笑いを浮かべていたのだ。


 貴族たちもイスカの不気味な笑顔に気づいて騒ぎ始めた。あの表情を見ろ。セレン様がやったに違いない。なんということだ、身体の病気が頭に回ったのか、セレン王子は!


「セレン様! あなたの仕業なのね!? 王太子の座をウィルフレッド様から奪うべく毒を入れたのでしょう!」

「私は罰を与えただけだ。第二王子の分際で王太子を気取るウィルフレッドが悪い」

 イスカは腰に手を当て、絶対にセレンが言いそうにないことを堂々と言い放った。

 貴族たちが一斉に非難の声をあげる。


(セレン様、お許しください!! 私たちのせいで極悪人のレッテルが貼られてしまいましたが、後で責任をもって誤解を解きますので!!)


 怒号と罵声、非難の声。大混乱の中でリナリアはここにいないセレンに心から謝った。


「どうやらセレンは気が触れてしまったらしいな。直ちにセレンを牢に入れよ!!」

 国王の命に応じて騎士たちはイスカを拘束した。


「何をする! 止めろ! 私は王太子だぞ!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながらイスカは騎士たちに連行されていった。

 ウィルフレッドもまた担架に乗せられ、運ばれていく。


 動けないよう騎士に手首を掴まれた状態で、呆然と一連の騒動を見ていたデイジーは突然力を失ったかのように座り込んだ。


 騎士たちの声にも反応せず、地面に蹲ったまま深く項垂れている。


「デイジー様、大丈夫ですか」

 リナリアは歩み寄り、屈んで声をかけた。

 デイジーは潤んだ瞳でリナリアを見上げたものの、何も言わずにふらりと立ち上がった。


 婚約者を亡くしたショックが抜けきらないらしく、歩き出したときはふらふらと危なっかしく身体を左右に揺らしていたものの、テオドシウスの元に辿り着く頃にはきちんと歩けるようになっていた。


「国王様。お尋ねしたいことがございます」

「何だ。いま余は頭が痛い。あまりのことに何も考えられないのだ」

 テオドシウスは顔をしかめている。


「お察し致します。私も婚約者であるウィルフレッド様が亡くなってしまい、頭も胸も痛いですわ。ウィルフレッド様は亡くなり、セレン様は気が触れてしまいました。たとえ正気を取り戻したとしても、異母弟を殺害したセレン様では王太子にはなれませんよね。では、?」


 貴族たちのざわめきの種類が変わった。たったいま、目の前で第一王子が第二王子を殺害するという大事件が起きたというのに、こいつは何を言っているのか。そんな困惑が広がっていく。


「何を言い出すのだデイジー!! お前はいまどういう状況かわかっているのか!?」

 アーカムが血相を変えて叫んだ。


「だって、お父さま。私はお父さまの言いつけ通り、一年も歌のレッスンに励み、苦労に苦労を重ねて王太子の妃という、女ならば誰もが羨む栄光の座を掴んだのですよ? それなのに、ご覧の通り、ウィルフレッド様は亡くなってしまいました。こんなの、あんまりではありませんか。私は幼いころから努力を怠りませんでした。全ては誰よりも美しく輝く王妃になるためです。ウィルフレッド様の妃として選ばれ、王宮で妃教育だって受けてきたのですから、私には次の王太子の妃となる権利があるはずです」


「…………」

「デイジー様……普通は、婚約者を失った直後に『次』を求めたりはしないんですよ」

 アーカムが絶句している間に、女性の声が滑り込んできた。


 中庭の土を踏み、歩いてきたのはクロエだ。

 長く伸ばした髪で半分顔を隠し、背中を丸め、俯き加減に歩く陰気な侍女を見て、誰かが小さな悲鳴を上げる。貴族の中には露骨に眉を顰める者もいた。


 そういった反応には慣れているらしい。傷ついた様子もなくクロエはデイジーの傍に立った。


「あら、クロエ。どうしてここにいるの。部屋に戻りなさい。大勢の人が集まる場には出てこないように言いつけたでしょう。あなたの風貌を見て、皆が怯えているのがわからない? 察してもらわないと困るわ」

 デイジーは眉をハの字にし、本当に困ったような表情を浮かべた。


「……ふふ……」

 クロエは小さな笑い声を上げた。まるで、泣いているような笑顔だった。


「そうですね……あなたはいつもそう言うんです。具体的な指示は決してせず、あなたを慕う人の前で、ただ、困る、嫌だ、と……心底悲しそうに、肩を震わせ、涙を浮かべ……憐憫を誘うような表情を作り、大げさに嘆いてみせるのです。そうしてあなたはあなたに心酔している人々を操り、セレン様の薬を絶った。メノンがリナリア様を殺すよう仕向けたんです」

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